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企画・編集人日記【2】~ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』ができるまで

●2021年5月9日
原稿執筆依頼開始。依頼はツイッターのメッセージで行った。メッセージのやり取りをするたびに頭をよぎったのは『ヘッド博士~』ではなく井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」だった。

♪この頃は友達に 手紙ばかりを書いている
ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べている
夢見がちな子供たちに笑われても

以降、執筆者との連絡、対談・座談会もツイッターのメッセージやグループ・チャットだけで行い、ファンジンを完成できたのはご協力いただいた皆様のおかげだった。コロナ禍ということもあったが距離や時間に縛られないSNSの発展も役立った。編集部も私と青木さんがデザイン入稿で数回会っただけで、ファンジン完成後の発送作業まではメンバーが実際に揃うことはなかった。

●2021年5月10日
『ヘッド博士~』発売日2か月前に「あと2ヶ月で30歳。再発は多分ないんだろうけど別の誕生日プレゼントを予定しているので待っててね」と匂わせツイートをする。4RT、83いいねで匂わせとはいえ、ファンジンを出してもこんなものだろうとこの時点では考えていた。

https://twitter.com/doctorhead1991/status/1391533440500072449?s=20

●2021年5月13日
執筆・取材ともにほぼ候補者通りに決定。以前からツイッターやブログでフリッパーズ・ギター関連の思い出を綴っていた人たちに加え、著作物のあるばるぼらさんや小出亜佐子さんの参加も決まり、編集部一同「これは豪華な内容になりそう」と喜ぶ。編集者の仕事とは執筆者・取材協力者を口説くことで、それ次第で冊子の内容が決まるということも前述の著名な編集者に教えてもらった。

●2021年5月15日
原稿締切は5月31日(※ばるぼらさん、小出さんは執筆内容の出典の検証に時間が必要なため6月10日)でお願いしたが、原稿依頼してからわすが6日間でrljp.さんから原稿が届く。相変わらずのおもしろさで「さすがです!」と即レスする。『ヘッド博士~』は買ったが熱心なファンではない私の妻にも読んでもらったが「この人おもしろい」とrljp.さんのブログを読み始めた。

●2021年5月27日
青木さんに表紙のデザインを依頼。私の案は「1.イラスト 2.フリッパーズのファッションを真似た人物写真 3.ドット柄をモチーフ」。青木さんからは「ドットはわかりやすすぎてなんとなくコレは避けたいです…」と言われ私も「確かにそうですねぇ…」と答えたが、青木さんから「言っておきながらですがドットのアイデア念のため…。二穴パンチでできたドットで黒い紙の上にヘッド博士色の丸を散りばめてコピー(スキャン)するなんてのも」と今回のファンジンの表紙の原案が出され、「今回のテーマの『記憶の記録』にピッタリに合う」と感じる。祐子さんと照井さんにも意見を求めると「そのまんますぎず、でも色のバランスだけでヘッド博士を連想することができる。美しい思い出が散らばってる感じもする」(祐子さん)、「その手があったか!的な発想を感じる」(照井さん)と好反応だったので決定する。
余談だがこの時点からファンジンのタイトルは『FOREVER DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER』になり、私が密かに考えていた『世界塔よ永遠に』略して『セカエイ』はまぼろしとなった。冷静に考えればダサい略称なのでまぼろしで終わってよかったと思う。

●2021年5月29日
「Doctor Head World Tour回想座談会」をチャットで実施。ツイッターで相互フォローのエトゥさんが「Doctor Head World Tour」を見に行ったことをツイートしていたのを思い出し考えた企画だったが、座談会の他のメンバーのみっこさん、小夜子さん、あきぽんさんは、エトゥさんが推薦してくれた。開催前は「30年前だからあんまり覚えてない」と参加メンバーから不安の声もあったが、あきぽんさんが当時つくったフリーペーパーのおかげもあって女子トークで大いに盛り上がり、司会の私はついていくのがやっとだった。

●2021年6月1日
「ヘッド博士とわたし」の原稿がすべて出そろう。締切日1日オーバーは自分の編集者経験では上出来。

●2021年6月5日
Walthamstow(ウォルサムストウ)君と「元ネタ」チャット。脱線しまくりで予定時間を大幅にオーバーするものの楽しいひと時だった。ちなみにWalthamstowはイギリス・ロンドンの街だが、彼によると、プライマル・スクリームのローデッドが作られたバークスタジオ、キュアやバウハウスのレコードを最初に出したモールワンダーレーベル、ブラーの『パーク・ライフ』のジャケットの犬レース場があるところで、友人が住んでいた思い出の街で愛着があると教えてくれた。「元ネタ」談議にふさわしい、彼らしいこだわりのニックネームだと思う。

●2021年6月13日
小出さん、ばるぼらさんの原稿も無事そろう。ばるぼらさんは多忙で一時連絡がとれず心配だったがお二人ともさすがの内容で、久しぶりに誌面に載る前に原稿を読むことができる編集者の特権を味わった。小出さんには『ミニコミ「英国音楽」とあのころの話~』では書ききれなかった1991年のこぼれ話と『ヘッド博士~』について書ける範囲で原稿をお願いしたが、1980年代半ばからUKインディーズを追いかけていた小出さんの1991年のシーンに対する正直な「違和感」と、『ヘッド博士~』を聴いてプー・スティックスの「オン・テープ」を連想されたことは当誌が初出であり貴重な内容になったと思う。一方、ばるぼらさんについては当初は私が1991年の社会の出来事や流行に関して年表のようなものを作ろうと考えていたのだがファンジンのイントロダクションになるページで中途半端な「記憶の記録」を載せることはできないと思い原稿執筆をお願いしたのだが、古雑誌蒐集家ならではの博識な内容で「1990年代は1991年から始まった」という結びは冒頭を飾るのにふさわしい名文だと思う。ちなみにばるぼらさんの原稿は私の妻のいちばんのお気に入りだが、妻はジュリアナ東京でプロディジーの初来日を見たというこれまた貴重な「記憶の記録」の持ち主でもある。

●2021年6月14日
第一回デザイン入稿。ファンジンなので手作り感を出すことも考えたが、「記憶の記録」がテーマで次の世代に引き継げる資料性のあるものにしたいという考えから、デザイナーの青木さんにはあえてファン特有の熱が誌面から伝わってこない落ち着いたトーンのデザインをお願いする。打合せより90年代雑談が盛り上がり、青木さんと「録音しておけばよかったね」と笑った。その後もデザイン入稿時は毎回1時間を超える雑談大会となった。

●2021年6月15日
ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER』発売情報解禁ツイート。201RT、580いいねと自分のアカウントでは見たことのない反響があり、初めてスマホの通知を一時オフにした。

https://twitter.com/doctorhead1991/status/1404645031512666120?s=20

●2021年6月15日
情報解禁後の夜に中沢明子さんと対談チャット。私が企業広報誌の編集者時代に彼女に取材・原稿執筆を依頼したことはあったが、インタビューするのは初めてで当然普段の彼女とのチャットとは違い正直かなり緊張した。『FAKE』というと大塚幸代さんが作ったものと言われがちだが、対談を読まれ方はおわかりになったと思うが中沢さんがいなければ『FAKE』も『FAKE HEAD’S NIGHT』も実現しなかった。

~第3回に続く~

https://note.com/doctorhed1991/n/nd3bca127f792

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