「過去からのメッセージ」まきぽん~ヘッド博士とわたし another story [2]~

1995年の中学卒業間近。「今夜はブギーバック」以降注目していた、小沢健二の新曲「強い気持ち強い愛」に衝撃を受けた私は、すぐさま彼のそれまでのCDを聴いたり、たまたま自宅にあった音楽雑誌に載っていた彼のインタビューに目を通すようになった。そこにあった「フリッパーズギター」という言葉。それが全てのはじまりだった。

新しい季節は なぜかせつない日々で。
誰も触れない 二人だけの国。
スピッツ「ロビンソン」

 高校入学前の不安な時期に、ラジオから散々流れてチャートインしていたスピッツの「ロビンソン」のこのフレーズは、もうそこにいない「フリッパーズギター」とそれを取り巻くカルチャーを知って、ワクワクしたような切ないような私の気持ちを代弁したような歌だった。

愛読していたファッション誌がmc sisterから、オリーブとなった私にとって、彼らは覚えていないくらい自然に私の元へ「音楽に詳しい隣のお兄さん」としてやって来て「軽快でポップなギターサウンド」を沢山聴かせてくれた。

だからこそ、サンプリングも元ネタも知らない高校生の私が「ヘッド博士の世界塔」を最初に聴いたときはその期待を上回りすぎて、戸惑いのが大きかった。ただ、不思議なことに聴くごとにバッチリ私の琴線に触れてくる楽曲がつまったアルバムではあったので、自分は「フリッパーズは何やってもハズさないで、バチっとはまってカッコ良いなぁ」なんて風に思っていた。

その頃だった。たまたま親戚のお兄ちゃんの引っ越しだかで部屋の片づけにいった際に、「FOOL’SMATE」を発掘して、お兄ちゃんが「それやるよ」って言ってくれたので、持ち帰った。

私は当時「フリッパーズギター」と「FOOL’SMATE」の関係性も全く分かっていなかったし、すでにヴィジュアル系バンド中心になりつつあった91年当時の誌面の中に載っていた彼らを不思議に思った。ただ、私がもらったのは91年8月号。最後の貴重なインタビューだということは理解して読んでいた。

それは過去からの置き手紙みたいで、私は初めてこの作品が最高の置き土産だったのだと認識した。

その瞬間。”誰も触れない二人だけの国”はキラキラと輝いていて、本当に実在していたこともインタビューから感じた。だからこそ、私はもう手の届かない、彼らの色褪せない青春の終わりを告げるこのアルバムに思いを馳せ続けてしまうのだ。

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