第8章『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』書評へのコメント
楊逸・劉燕子『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』(ビジネス社)に対する吉成学人さんの書評へのコメントです。
中国と日本とは、実はそっくり
『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』には、中国本土で文革時に生まれ育った2人の著者である楊逸さん、劉燕子さんによる生の経験に基づいて、文学という観点から、中国共産党による大陸支配の残酷さが対談で記述されております。安冨先生は、その書評を、「読書人WEB」で発表されています。
日本のリベラルの人たちも基本的に立場主義者であることに変わりないことについては、安冨先生のブログにて、
と、述べられています。中国であれ日本であれ、こうした残酷な状況があるということの説明をしようとするならば、人類、ひいては生物種において、同種個体間で起こる種内競争と協力の存在、それを理論的に説明する「ゲーム理論」、そしてジョン・メイナード=スミスの「進化的に安定な戦略(ESS)」に行きつくのではないか、と思えます。
進化ゲーム理論,ミームおよび立場主義
ここで、経済学で用いられている「ゲーム理論」と、進化生物学で用いられている「進化ゲーム理論」の違いについては、下記の論文に記述があります。
経済学におけるゲーム理論が、各個体の戦略を「各個人の合理的意思決定によって選択される」としている点は、安冨先生の考えとは決して相容れないはずですね。よって、安冨先生がこれまで言われている「立場」というものは、経済学における「ゲーム理論」の方ではなく、「進化ゲーム理論」の方における、いわば各個体の「戦略」に近いものなのではないでしょうか(戦略が遺伝的に決められているという点は、必ずしも完全には当てはまらない可能性があるのですが、遺伝の寄与は一定程度はあるはずです・・・)。進化ゲーム理論において、各個体が戦略を持っていて(「タカ派」、「ハト派」のような)、競争したり、協力したりするというそうした戦略が、自然淘汰を通じて遺伝していくことで進化的に安定な戦略になる、ということがESS理論で説明されるわけですが、これは、日本人の大層が持っているという「立場」的に取られる行動パターンが、各立場主義者個人の立場をさらに強化していく、ということに、対比されるでしょう。
興味深いのは、進化ゲーム理論における戦略は、各個体のもつ遺伝子によって決まったパターンであって、経済学において各個人が合理的に選択するとされた戦略とは異なることだと思います。つまり、立場に立った立場主義者の行動パターンは、あたかも遺伝的にあらかじめプログラムされて決まっている行動であるかのようであって、各個人が何らかの自由意志を働かせて合理的に選択しているように見える類の行動ではなく、いわば自動人形(オートマトン)による決定論的なものだ、ということです。立場に立てば自動的・機械的に行動が決定される、ということですね。
遺伝子ではないですが、遺伝子であるかのように個体間を自然淘汰的に伝播し、個体の行動を決めている情報のようなものと私が理解しているものに、「ミーム」が知られています。
さて、安冨先生は、コラム『日本は満洲国のように崩壊しつつある』で、こう述べています。
こうした立場主義者の行動パターンは立場によって決まっている自動機械的なものであり、立場をあえて離れて無縁者になることで、フィードバックを通じた学習回路を作動させ、立場に囚われない行動をとることができるようになるというのが、安冨先生のお考えであると思われます。
進化ゲーム理論的に言うならば、立場主義者の戦略は固定的なタカ派的戦略であるのに対して、無縁者の戦略は、立場によるしがらみを離れていることから、固定的ではなく、柔軟性に富むことが可能である一方で、立場主義者の持つような利権などを持ってはいないため、ハト派的戦略で柔軟に競争や協力をする、と言えそうです。
そして、メイナード=スミスの理論で示されている「進化的に安定な戦略(ESS)」にあるように、理論上、タカ派的戦略をとる立場主義者の層は、環境に劇的な変化がないならば、絶えず一定の割合で安定して存在してしまうことともなりますね・・・。
ハト派的戦略をとる(私を含む)無縁者にとっては、安冨先生の思想を一種のミームとして取り入れ、適応範囲を広げていく戦略をとることが、権力側のタカ派的立場主義者たちに対抗するうえで、とても重要だと思えます。
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