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「都知事、138憶をドブに」から

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三点に注目したい。
 1.経営者・リーダの能力
 2.過去を攻める vs 未来を創る
 3.戦術と戦略

関連代表記事 BLOGOS SmartFLASH2018年10月26日
https://blogos.com/article/334531/
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A 後から批判するのは誰でも出来る。小池百合子さんに対して今までの浪費責任を追及するのは当然として、オリンピックや築地/豊洲といった戦術で場当たり対処した惨劇に対し、いかに挽回させ綺麗に運用するかという点を、しっかりと議論し行動に移さないといけない。


B オリンピックでも豊洲市場でも、「不具合」を叩けばいくらでも埃は出てくる。責任追及論の方が、現状をベースに今後の運用・改善を考えるよりも、非常に簡単であることはいうまでもない。


A オリンピックであれば、選手そして応援・関係者に対する環境を考えることが重要。特に、選手が安全に気持ちよく記録にチャレンジできる環境整備が必須であろう。であれば、ゼロベースで、長野開催を真剣に議論するとか、或いはアメリカとTVの関係を捨て去る勇気について採り上げることが必用になる。築地/豊洲シフトも同じであり、今後の意味ある運営について、議論すべき。


B その対にあるのが責任論だが、責任で叩くのは簡単であって、寧ろ、なぜ小池百合子さんがここまで酷いのかを考える方が、企業経営者やリーダーにとっては有意義な議論になる。自分が数千人や数万人の組織を従えたときに、小池百合子さんのようにならないとは限らないではないか。


A 思うに、ポイントは3つある。1つは、昔の畑を引きずっているということ。2つは、戦略と戦術の違いをわかっていないこと。そして、最後に放置しても機能する組織を従えていること。


B 昔の畑というのは、政治の世界ということか。小池百合子さんの得意技は、悪者を作り上げてそれを徹底して倒すというパフォーマンスをすること。これは政治の世界での有効な技であって、都政で繰り出すべきものではない。行政(都政)というのは政治とは完全に異なり、マンモス企業の経営という視座で戦略を練り、組織を動かす必要がある。


A 悪者を作り上げ叩くという行為は場当たり的になりがちであって、戦略より戦術に偏るのは言うまでもない。この戦術を次から次に繰り出し場に対処するのも立派な能力であるが、「経営者」という観点では、戦術ではだめであり、戦略を練らないといけない。


B いま目の前に立ちはだかっていることは、問題ではなくて、現象である。この現象を破壊する策を講じるのが、戦術的思考といえる。戦略は、現象の裏にある真の問題を見極めることをスタートにして、立案される。


A 詳しくは、現象の裏にある問題に関し、本質的問題を炙り出す。その本質的問題から考えられる、本質的な課題を抽出する。そして、本質的課題を解消する戦略案をつくるのだが、ここでは、脳の非線形もフル活用することになる。つまり、ロジックだけで対応できる領域から逸脱する。そして、この戦略案を実行可能にするために、実行を阻害する障壁を取り除く操作を行う。幹部のプライドが許さないかもしれないし、現場のプレイヤーが勘違いをするかもしれないし、そもそもリソースが不足しているかもしれない。


B 戦略を作る際に重要なのは、必要十分条件を満たすこと。立派な(に見える)戦略案があっても、それを組織がイキイキと実行できなければまったく意味がない。無価値である。都政を牛耳る長として、まず大きな構想を頭に描く。それを見えるようにビジョン化し、それを現実化するための戦略に落とし込む。そして、綺麗に実行されるように組織の運動や伝令系を整備する。


A 小池百合子さんに戻れば、場当たり的にグチャグチャやっていても、通常の都政は、優秀な職員組織が完璧にこなすため動いていくという状況である。いつまでも政治と行政を混同し、政治という色眼鏡で物事をみてしまっている。そして、悪者を倒すやり方を踏襲し、目の前の現象対策に終始してしまっている。それでも都政が日々廻っているのが、今の東京である。


B 経営者やリーダとして学ぶべきは、今の自分の立場を客観視すること。そこに必要な能力や視座を自分の能力とは別に、把握すること。そして、現象に惑わされず、本質的問題から入って、構想を描き、ヴィジョンにし、戦略化していくこと。その上で、本当に実行できるかを考え、大きな壁は取り払い、権限移譲しながら組織としての運動をスムーズにしていくこと。小池百合子さんの例を単なる責任論にしてしまっては、学ぶべき事項は少ないが、経営者やリーダの能力という面に立ては、非常に良い教科書といえる。

 

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