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電脳交通で働く人たち vol.1

「電脳交通って、動物園みたい」

ある社員がぼそっと漏らした一言。この一言は、電脳交通で働く人たちのバラエティに富んだキャリアを形容して言った言葉です。電脳交通には、本当に様々なバックグラウンドを持った人が集まり、仕事を共にしています。働いている自分たちでさえ、「よくこんなおもしろい人たちが集まったな」と驚くほど。

今回の記事では、電脳交通で働くまるで“動物園のような”バラエティに富んだメンバー、そのおもしろいバックグラウンドを、少しでも感じてもらえるよう8名のメンバーを紹介します。

代表取締役社長 近藤 洋祐

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そもそもこの人を紹介しないと始まらない、電脳交通の社長の近藤洋祐。
ところどころ取材においても語られているところですが、社長のキャリアがまずとてもユニークです。

メジャーリーガーを目指していた頃

まず、近藤は高校を卒業した後にアメリカの大学に進学します。理由は何と「メジャーリーグを目指したいから」。そう、語学のためでもなければ、勉学のためでもなく、生粋の野球人として夢を叶えるためアメリカに渡ったというキャリアを持っています。

吉野川タクシー感のある写真

野球をやり切った近藤は、祖父が経営するタクシー会社で働き始めますが、そこではドライバーとして働きます。メジャーリーグを目指した若者が地方のタクシードライバーになるという急展開
その後、吉野川タクシーの経営者となり、経営を立て直した後、電脳交通を創業します。電脳交通のサービスがタクシー事業者に寄り添い続けられるのは、近藤がドライバーとして最前線で戦った経験の賜物です。

近藤が5期目に東京進出をして新しく挑戦したいことについて語ったnoteはこちら。
電脳交通が東京オフィスを開設して始める新しい挑戦


コミュニケーションセンター 谷 公世

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何かの日本代表に選ばれた経験があるという人はどのぐらいいるでしょうか。電脳交通には何とローラースケートの元日本代表がいます。高校生で世界大会、大学生でアジア大会に出場した谷公世は、ローラースケートを離れた後に、電脳交通のコールセンター(社内ではコミュニケーションセンターと呼んでいます)でアルバイトを始め、そのまま新卒で電脳交通に入社しました。
そして、新卒2年目ながら、コミュニケーションセンターのリーダーを任されています。年齢や年次ではなく、「コミュニケーションセンターを最も引っ張っていける」のが谷だと、社長が信頼して任せました。
スキルアップにやりがいを感じていたローラースケートから、「いろいろな人と話すの好き」「会ったことがなくても関係性が生まれるのが楽しい」という新しいやりがいを見出した谷は、正解を自らつくり出すベンチャーの業務に日々愚直に向き合っています。

コミュニケーションセンターを、タクシー事業者様にもっと近い存在に、強い関係を構築した存在にしたいと考えています。カスタマーサポートやオンボードができるようになれば、実際に配車を行う自分たちと事業者様の関係を強くすることができ、カスタマーサクセスもサクセス業務に集中できます。みんなでより良いサービスをつくっていきたいと思います」


ピープル&カルチャー 光本 祥悟

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“大学生で最もかっこいい人を決める”ミスターコンテストで準決勝まで進んだ者もいます。動画の生配信をして、人気投票も実施され、ファンも一定数いたという芸能人のようなエピソードを持つ光本祥悟。

東京の企業に内定を持った身ながら、「社会人になるまでに成長したい」という想いで電脳交通でアルバイトをしていました。働く中で「電脳交通の仕事がおもしろい」「電脳交通で働いているときに圧倒的に当事者意識を感じる」と、一転入社を決意します。入社後はマルチなセンスを発揮し、セールスを経験した後、現在は採用や社内の文化醸成を担うピープル&カルチャーを担当しています。

「電脳交通は、元々知名度が皆無だったところから、少しずつ企業のプレゼンスも上がり、事業の成長を確かに実感しながら仕事ができています。当事者としてそこに関われることにやりがいがありますね

と高いモチベーションを持って業務に向き合っています。「人事担当者だけではなく、会社全体で採用をする=採用力を上げる」ことに挑戦したいと目標を語りました。


カスタマーサクセス 大森 淳司

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電脳交通でも異例のキャリアを持つひとりが、カスタマーサクセスの大森です。元々は介護の仕事をしながら、何とプロ志望のアマチュア格闘家でした。仕事をした後に、18時から23時まで週5日~6日ジムで練習する日々を送っていたと言います。15年勤めた介護の仕事から電脳交通に転職するのは当然不安が大きかったと言いますが、「職場のみんなが良い方ばかりで助けてもらった」と語ります。現在は、サービス導入のオンボーディングから導入後のアフターフォローや機能改善を担当し、事業者様と二人三脚でサービス構築を行っています。

目の前にある課題をひとつずつ形にしていくことでこそ、先が見えてくると思っています。格闘でプロを目指していた頃、プロになるという未来のことばかり考えて、試合に勝てないプレッシャーで、普段のパフォーマンスが発揮できなくなったことがありました。先を見過ぎると今が疎かになるので、電脳交通の仕事でもあまり先を見過ぎることなく、ひとつひとつ課題をクリアしていきたいと思っています。積み重ねた結果としてゴールに到達するのかなと。事業者様とシステム稼働までに密に打ち合わせをし、スムーズに稼働して、御礼の言葉をかけてもらったとき、『力になれた』と感じるので、そんな仕事をひとつずつ積み重ねることですね」


マーケティング&セールス 北野 恵

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地元の出版社で編集長を務めていたキャリアを持つ北野恵。結婚を機に退職を決めたとき、近藤から「これから拡大するスタートアップに今の時期から関わるのは絶対に楽しい。母親やダブルワークのメンバーも活躍している」と声をかけられます。産休等についても理解があり、結婚や出産等のライフステージの変化とキャリアの両立を考えていた中で心強さを感じたと同時に、「人生を振り返った時に電脳交通で働いていた時間はきっと輝くはず」と考え、全く畑の違う電脳交通にジョインしました。タクシーサイネージの営業から始まり、現在はマーケティング&セールスのインサイドセールスとして、現場を回るセールスのサポートや営業イベントの企画運営を担当しています。

「電脳交通の文化だと思いますが、『ありがとう』の総量が多い職場だと感じています。上司が部下に仕事を任せることを一種当たり前だと思っていたのですが、上司が部下の仕事に対していつも『ありがとう』と伝え、メンバー同士が仕事以外の小さなところでも『ありがとう』と伝え合うことが多いことに感動しました。これからは電脳交通のシステムを多くのお客様に知ってもらえるような動きができる人になりたいです。たくさん助けてもらっている社内に、恩返しや貢献ができる力を身に付けたいと思っています。また、前職と業界は違いますが、地域貢献・まちづくりという方向性は近いので、その領域でも課題解決ができるようになれればと思います」


開発 佐竹 恭祐

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ゼロから独学でプログラミングを学び、それを仕事に結びつけているのが開発の佐竹恭祐です。大学の学部は開発とは無縁のスポーツ健康学科。スポーツは好きでしたが、仕事ではないと感じた佐竹は、学生時代にゼロから独学でプログラミングを学び始めます。就職活動においても、開発未経験かつ新卒でエンジニアとして採用してくれる企業を探し出し、徳島の隣の香川でECサイトの開発に携わります。佐竹が仕事を始めたタイミングで急に先輩が退職し、未経験にも関わらずひとりで開発を担当するというとんでもない逆境の中で仕事をしたと言います。そんな中、電脳交通で勤める高校の同級生のSNSを見た縁で、電脳交通に転職。分野が全然違う中で扱う技術の幅も広がり、またチームでコミュニケーションを取り教え合いながら仕事ができる環境で充実していると語ります。

「多くのタクシー会社と契約し、コミュニケーションセンターにも多くの社員がいて、そんな様々な方から『便利になった、ありがとう』と言われ、必要とされていると実感できるのが大きなやりがいです。今は地域交通案件を任せてもらっていて、地図や交通の技術にプライベートでも興味が湧いています。もっと精通して、社会に役立つシステムをつくりたいですね」


ビジネスディベロップメント 原田 剛

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絵本作家で経営者。そして小説家として出版を間近に控える原田は、業務委託で電脳交通にジョインしています。元々地域の出版社に勤めていた原田は、子育ての情報が乏しい徳島で、地域を支える子どもやママのための雑誌『ワイヤーママ』をつくるベンチャー出版社を立ち上げます。更に、「子どもを叱ることができない親が増えた」ことに危機感を覚え、子どもとママに伝える『小学生のボクは、鬼のようなお母さんにナスビを売らされました。』という自叙伝兼絵本を制作し、絵本として異例の6万部を売り上げました。作家としてターゲットが限られた絵本から、より広い対象に伝える小説で勝負すると決めたのとほぼ同じタイミングで、10年来の経営者仲間だった近藤から「原田さんの力を貸してほしい」と声がかかります。小説家で死ぬと腹を括った身。「芥川賞を取ったら辞める」と約束し、小説家・経営者と並行した三足の草鞋が始まります。

「自分が一貫してやってきたことは、情報を収集して、編集して、本にすること。グルメも住まいも求人も、大きく言うとまちづくりだと思っています。今はこれを交通に置き換えて、自治体と新しい仕組みを作ろうとしています。雑誌と交通は、分野は違えどまちづくり。しかも交通は地域に住む人の足です。自分は改めてまちづくりが好きなんだなと思います。早く“TOKUSHIMAモデル”と言われるような事例をつくりたいですね。電脳交通のお膝元である徳島で、徳島発のMaaSのスキームをつくりたいと思っています」


コミュニケーションセンター Oさん

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電脳交通では、コミュニケーションセンターを中心に、多くのメンバーがアルバイトの形でジョインし、事業を支えています。ジョインする方には「新しい挑戦がしたい」「成長したい」という動機を持つ方が多くいます。

「ベンチャー企業で挑戦したかったんです。今まで無かったものを形にするベンチャーのあり方に興味を持ち、徳島でそれに挑戦できるところが電脳交通でした」

そんな高い志を持って働くOさんは、日中は理容師として働き夜に電脳交通で働くダブルワーク。今の仕事を大切にしながらも、ベンチャー企業で自分を高めたいという想いを持って電脳交通で働き始めました。パソコン自体ほとんど触ったことが無かったにも関わらず、「自分がどれだけできるか試したい」という想いで業務の合間に勉強を重ねます。今ではダブルワークながら月の15日以上電脳交通での業務に従事し、コミュニケーションセンターを最前線で支えています。



電脳交通の事業は、多様なバックグラウンドを持ったメンバーで成り立っています。そして、様々な部署で様々な働き方を通じて、やりがいを持って働くメンバーに溢れています。

vol.2以降でも様々なメンバーを紹介します。ぜひお楽しみにお待ちくださいませ。


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