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東京から徳島に移住してまで、電脳交通にジョインした理由

本記事は2019年12月時点で収録されたインタビュー記事です。


「東京で10年仕事をしていて地縁も無いので、徳島に移り住む不安は小さくありませんでした。ただ、『やりたい仕事ができるかも』と思ったとき、移住の不安よりも『その仕事がしたい』という期待と動機が上回りました」
住む場所を変えての転職は決して簡単ではない中、東京から徳島に移住し、電脳交通にジョインしたのが西本裕紀です。西本が移住のハードルを超えることができたのは、「自分のやりたい仕事ができる」というただ純粋な期待と動機だったと言います。電脳交通のどこに魅力を感じ、何が移住を決意するまでの期待と動機を生んだのでしょうか。


まちの変化を肌で感じながら育った倉敷での原体験

岡山で生まれ、北九州、宇都宮と移り住み、小学3年から高校卒業まで再び岡山県倉敷市で育った西本は、倉敷で過ごした時間が自分の原体験だと言います。

「小学生のときに倉敷郊外にショッピングモールができ、まちが変化していく様を直に体感しながら育ったんです。何か鮮烈な出来事があったわけではないのですが、中心市街地の活気が少しずつ失われ、通学・通勤の人の流れが変わる様を肌で感じていました。倉敷は郊外に誕生したショッピングモールの存在が中心市街地の衰退を招いた事例として取り上げられることが多いのですが、それを当事者として体感して、『まちの変化』というものにおぼろげに関心を持つようになりました。元々栄えていた場所が衰退することへの疑問というか、にぎわいが減ることによる物寂しさを感じていましたね」

まちのあり方、交通や移動のあり方が、日々の暮らしの中で変化していく様を体感した西本は、大学で土木系の領域を専攻し都市計画やまちづくりを学びます。その中で、交通学の研究室に入り、タクシーの移動データの渋滞情報への活用に関する研究を行い、交通への興味を深めました。

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まちに貢献したい、住む人の移動を支えたい

就職活動では大学時代の学問領域に近い都市開発・不動産・鉄道といった業界に関心を持ち、ナビタイムジャパンに就職します。地方を始めとしたまちのあり方を良くしたいという想いの中で、特に「人の移動のあり方を良くしたい」というビジョンに共感したと言います。

「人の移動を支えることでまちに最も貢献できると考えた会社がナビタイムでした。移動を支える乗換検索を始めとしたルート検索技術、当時使っていた乗換検索サービス(EZナビウォーク)を実はナビタイムが作っていたという驚きもありました。入社して品質管理部門に配属され様々なプロダクトに関わった後、新規事業の立ち上げ、プロダクト開発のプロジェクトマネージャーや携帯キャリアとの共同事業のアライアンス責任者を経験しました。既存の道路網や収集した位置情報から人の移動に対して様々な貢献ができることに可能性を感じましたが、サービスやデータの活用で地域に課題提言や情報提供はできても、具体的にどう変えるかというところまで関わることが難しいのではと徐々に感じるようになりました。地域により強い関わりを持って仕事ができそうかを軸に考え、次のキャリアとして選んだのがぐるなびのプロモーション営業でした。地方で生産される『食』をPRし、地方の特産品の認知や消費促進を通じて地方への貢献に関われると考えたからです。行政や飲食・飲料メーカー向け営業を担当しましたが、案件を積むにつれて『本当にPRするまちや人のためになっているのか』という悩みが深まることになりました。食の分野より交通の分野で地方に貢献したいという想いが改めて強まり、JapanTaxiへ転職しました」

まちのあり方、交通や移動のあり方を、“川上から川下まで”良くすること

西本は、JapanTaxiで働く中で、自身が社会で実現したいこととして、単なる地域活性や地方創生という目線から、一段階深い想いがあることに気づき始めます。それは、地方のまちのあり方、より良い交通や移動のあり方を追求することと併せ、そのまちに住む個人の「体験」まで良くすること、その双方を高いレベルで両立させたいという想いです。社会を広く変えながら、個人の体験という細部まで行き届くサービスをつくること。例えると、OSからデバイスまでトータルで個人の体感を良いものに変えるAppleのような、病院で原因療法と対症療法の双方向からアプローチするような、そんな動き方でしょうか。

「JapanTaxiは、全国のタクシー会社と連携しアプリ操作で簡単にタクシーが呼べる仕組みをつくり、地元岡山ではまちの各所にタクシーが呼べるタブレットを配置し、ボタンひとつでタクシーが呼べる仕組みをつくっていました。まちの移動をより良い体験にできる会社だと感じましたし、自分が社会で実現したいことに近づいた感覚がありました。JapanTaxiで最も長く関わったのはタクシー向けタブレット(広告配信機能や決済機能を有する)を全国へ展開していくための立ち上げ業務です。移動の際に小銭を持たなくて済むことで、移動の障壁を下げてタクシーに乗りやすい世界観をつくる、その事実をつくれたことにとてもやりがいを感じました。移動のあり方の追求に加え、利用者の『体験』も併せて良くすることが自分のやりたいことだと気づきましたね」

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(JapanTaxi勤務時に、決済ビジネスのイベントに登壇する西本)

地方で足元の移動が無くなるかもしれない状況の中、もっと直接的に貢献できること

電脳交通を知ったきっかけはJapanTaxiと電脳交通が業務資本提携を結んだことでした。提携に伴い、電脳交通の事業が少しずつ目に入るようになったと言います。

山口市阿東地区で行われた実証実験を始めとした電脳交通の地方に目線を向けた取り組みを知り、事業領域に少しずつ関心を持ち始めました。JapanTaxiの業務も、全国に広く展開し利用してもらっている実態にやりがいを感じていましたが、少しずつサービスの“手触り感”に乏しいとも感じ始めていました。今地方では人の移動の足が無くなるかもしれない危機的状況の中で、『もっと“手触り感”を持って地域に貢献できないのか』という想いを強くしていきました。次のステップを考え始めた時、当然ながら電脳交通も行きたい会社のひとつとして見ていましたが、東京で10年住んできた中で徳島に移住して働くことはハードルが高いと率直に感じていました。そんな時、現在の上司である北島のインタビュー記事を読んで、『東京と徳島を行き来する生活ってそんなに大変なことでもないのかな』と思えるようになったんですよね。その後実際に北島とも話して、地方に対して“手触り感”を持って仕事ができる=『やりたいことができる』という期待が確信に変わり、それが徳島に移り住むハードルを上回りました

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(社内でコミュニケーションをとりながら仕事を進める西本)

地方のまちの当たり前を感じながら、まちの課題を解決する

西本は電脳交通にジョインした後、地方自治体や地域の交通事業者と電脳交通のサービスを使った新しい課題解決を企画する「ビジネスディベロップメントチーム」のリーダーを務めています。

「電脳交通でやりたいことは、地域の移動の課題を解決することと住民の移動・住む人の体験をより良いものに変えることですね。体験を変えるために、仕組みを変えたいという想いです。今のチームは、地域の交通や移動の課題にぶち当たっている自治体やタクシー会社、地域住民の方々と直接向き合い、原体験や課題を聞ける立場にあります。そういうポジションにいれるだけでも転職して大きな意味があったと感じています。住民の方々から吸い上げた課題をどう解決するか、押し付けることなくソリューションをどう折り込むか、高いレベルで追求する素地がある仕事です。また、自治体やタクシー会社はもちろん、資本業務提携を結んでいるNTTドコモさんやJR西日本さんともいっしょに仕事をしていく中で様々な課題やニーズに打ち当たり難しさを感じることもありますが、やりがいは大きいですね。
また、徳島に来てから通勤がほぼゼロ(歩いて5分)になり楽になりましたし、オンラインツールを活用して東京や大阪の会社とリモート会議で十分にコミュニケーションできている実体験もあり、東京と比べて徳島で仕事することに不便は感じていません。それに何より、自分が解決していきたい地方の当たり前や課題を直に見て感じながら仕事ができているのがメリットだと感じています。今電脳交通が向かっていることは、まちの移動を支え、まちの中に人が行き交う世界観をつくるという自分の目指す方向性に間違いなく合致しています。まちのにぎわうべきところがにぎわい、人がもっと出会い生活しやすくなる、そのための移動を実現していけるようこれからも業務に取り組んでいきたいと思います」

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