わたしたちはこうして友達「親」子になった
下戸の暮夜とは
夫なし、子は独立。
酒の飲めない40代が、ひとり過ごす昼夜を綴る生態エッセイです。
※お酒の話ではありません。
先週土曜日、娘親子とショッピングモールへ出掛けた。
目的は娘の誕生日プレゼント購入。
子育て1年目の去年はマッサージ。
今年も、と思ったけれど密室での施術はどうか・・
と悩み、本人にリクエストを聞いたら「いらない」と言われてしまった。
その後娘が「下着はどこのブランドがいいのかな?」と相談してきたので
それならばと、下着をプレゼントすることにした。
到着したのは若い女の子に人気の店。
そしてはしゃぐおばさんとその娘。
「レースが若いね」「このセットのショーツはTバックしかないよ」「デザインはいいけど色がなぁ・・」さんざんいじり倒して、娘を試着室へ送り込み、カーテン越しにのぞき込む。
見せる娘もどうかと思うけど(身に付けた後です)、「見せて」という母も、我ながらなかなかどうかしている。
その後もあれこれの下着を鏡前であてる娘に「似合うよ!かわいい!」を連発。そして上下2セットを購入した。
その後さらにショッピングモールを散策して、洋服屋さんへ。
またもや試着室でいちゃつく
THE友達親子。
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わたしたち親子・・いや、わたしがずっとこうだったかと言えば、そうではなくてむしろ
「友達親子なんて気持ちが悪い 絶対なりたくない 親バカはバカ親」と思っていた。
それぞれがそれぞれの世界をもって、交わらなくて良い「自立した親子」
を理想として、ずっと距離をとろうとしていた。
のに、そんなわたしから生まれた娘は全く違った性質を持っていた。
なかなかわたしから離れられず、一人遊びも一切できない。
兄弟がいないとなれば、遊び相手は母親のわたしのみ。
公園でもべったりとくっついて、口癖は
「お母さんも!お母さんが!お母さんと!!」
ベンチで楽しそうなママたちを恨めしく横目に捕え、ひとり砂場にすわりこむ子だくさん風なわたし。
憧れは迷子になった子供を探す母。待てと言っても止まらない子供を追いかける母。
新しいおもちゃを買うときは「ひとりで遊ぶんだよ」と約束させた。
洗濯や料理の間もそばにいて、振り返るといつのまにか密着していた娘の顔面に、わたしの腰骨がアタックしてしまい何度も泣かせた。
あまりに離れない娘に「愛情が足りないんだろうか」と悩み、保健所に電話して相談したこともあるほどだ。
ある程度大きくなっても外ではしっかり手を繋ぎ、自部屋にこもることは皆無。
親子と言えど「この線からこっちに入ってこないでほしい」というわたしの陣地に、何度言っても入ってきちゃう。
友達ができれば、進学すれば、大人になれば・・・・・・。
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三姉妹の末っ子で親と遊んだ記憶はうっすらもなく、子守を頼まれていたであろう姉たちからも
「ibitsuを連れて遊びに行きたくない」と言われ
トランプ、ゴム段、人形遊び、自然と一人遊びがうまくなった。
わたしには娘という生き物の「犬っぽさ」がずっと、息苦しかった。
人並かそれ以上に反抗期はあったものの、その波を超すとまた、わたしの陣地で尻尾をふってはぁはぁと舌を出している。
「親にそんなことも言っちゃう?」ということでもよくしゃべり、平気で大声を上げて泣き、近所のマーケットに誘えばいつでもついてきた。
そんな娘が、不思議で不思議でたまらなかった。
なぜって・・わたしと母の親子関係にないもの・・わたしが求めなかったものを平気で求めるからだ。
いやでも
わたしだって最初からそうだったわけではないはずだ。
記憶になくとも、濡れたオムツの交換や乳を求めて泣いただろうし
コミュニケーションだって求めた。
だけど、求めても求めても返ってこないことで、いつしか諦めて
「自立した親子関係」を理想にして、そこに母と自分を当てはめたのかもしれない。と、今娘を見て思う。
もしも母が求めたものを返してくれていたら、わたしが諦めなかったら、別の理想を抱いたかもしれない。
そうして諦め知らずの娘にわたしが降参するかたちで、いつしか気持ち悪めの親子に仕上がったのでした。
ではまた次回。
素面の夜に。
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長くなったので
まだ読める方だけにおまけ。
「愛情が足りないんだろうか」と悩み、保健所に電話して相談した時に言われたのは
「1あげて100受け取ってくれる子もいる
100あげても1しか受け取らない子もいる
お母さんも子供も悪くないよ」
子育て中ずっと励みにしました。
(目線)あっちあっちと指さしていたら
あっちに(パパカメラマン)向かって走っていくお孫様。
吾輩は2歳である。
理想は
まだない。
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