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よそじの台所から【9月28日の夕食 と ひとりでいること】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に「自分の為だけに作る食事」の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・水筒の残りのルイボスティー
・牛スジ 玉ねぎ 煮込(味付:ラカントS 醤油 酒 味噌 薄切生姜 にんにく 長ねぎの青い部分)
・キムチ(市販品)
and
・鰤の塩焼き
・茄子を電子レンジでチンしたもの と 椎茸の素焼(味付:田楽味噌)
・高野豆腐の煮物(味付:高野豆腐についていた粉末の出汁)

近頃ほんとうに「ひとりっていいなぁ」と思う。

わたしは結婚に何の疑問も持っておらず
誰もがそうするわけではない、と知っていながら
「大人になったら何人かの異性と交際をして年頃になったら
結婚をして、子供を産むんだろうなぁ・・」ということに迷いがなかった。

ただし結婚するなら父親のような人が良い。と思っていた。
ちなみにこれが、父です。

父のような、というのは
その容姿でも性格でもなく

「あまり家に帰ってこない人」

という意味であった。
父は自営業で、事務所という名目のマンションを借りていた。
家事が何でもできてしまうが故、家に帰ってこない時間が年を追うごとに長くなる。
半月も帰ってこないとさすがに母が「そろそろ・・」というので、事務所に生存確認の電話をする。
が、出ない。

ケータイ電話のない時代、以心伝心が発達していたのかもしれない。
何かを察したような父から「今山にいる!じゃぁな!」(バイクでツーリング)と電話が入るのだ。

あぁ・・・お父さんが帰ってこないって



サイコー!!

と、思っていたわたしは
異性の理想のタイプを聞かれると「お父さんみたい(にあまり家に帰ってこない)な人」と答えていた。
(その結果勧められたのは漁師であったが、たまに帰ってきたときに早起きするのも嫌だなぁと思っていた。)

のに!!

結婚したのは毎日家に帰ってくるサラリーマンで
その後(元)夫は家の家業を継ぎ、夫家族の隣に住むわ、わたしも仕事を手伝うわ。

そりゃー、窮屈になっちゃうよね!!
って話だったのだ。


今、子供も独立して
朝起きてひとり
家に帰ってひとり
何かを食べるのだって分け合う必要がなくて
どこかに行くのだって誰の許可もいらなくて
寄り道も、寄らずに帰るのも自由
窓を開けるのも、エアコンの温度も
季節の変わり目に布団を出すのもしまうのもひとり分。
全てがひとりだからこそ・・

の、幸せをかみしめている。でも


寂しいと思うことが全くないかといえば、そういうわけではない。
そう思うこともある。

ただ・・

これってなんだかおかしな話なのだけれど
ひとりでいる時には全く思うことがない。

それは、たくさん人がいる中で「わたしひとり」を感じたとき
そういう比較の中だけに存在している。
だからわたしはむしろ、結婚していた時の方が、(元)夫家族との距離感に「疎外感からのさみしさ」を感じたり
「自分の辛さを(元)夫に理解してもらえないさみしさ」を感じることが多かったように思う。

だからひとりだからさみしい、というのはわたしには当てはまらないみたいなんです。


とはいえ今でもふとした時「誰かといた方がいいのだろうか」という気持ちがわいてくる。

それはそれで素直に、そういう人生もいいかもしれないな、と思う。
が、

・・その誰かとやらと




何すんの???




と、悩んじゃうくらい、今ひとりを満喫しております。


誰かといる、ということが前提だったわたしの人生。
何がどうなったら幸せ、と決めるより
人や状況が変わっても、常に自分の居る場所が幸せだと思えたら
それが良い。というふうに、自分が変化している気がします。


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