見出し画像

日日自炊自足【7月17日の夕食 と 「命の母A」からうまれた哲学的問い】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・キムチ
and
・塩鯖 と ゆでた小松菜 の混ぜご飯(味付:すし酢 しそ)
・卵豆腐
・味付きめかぶ
・ルイボスティー


昨日仕事帰りにドラッグストアで「命の母A」を購入した。


先日書いたこちらの記事で、きっかけもなく始まる「むかむか」を更年期症状なのでは?と疑ったことから

更年期といえば「命の母!」としか思いつかず、ドラッグストアの20%オフクーポンが消滅する前にと購入した。

詳しい効能については商品サイトでご確認ください。


昨日は仕事中の午後から、頭部に違和感があった。
ズキズキという感覚でもなく、キリキリという表現でもなく。

鼻の真ん中より上に文字で説明するなら「た行を全部濁音にして、最後に『ん』をつけた」
だんとかぢんとかづんとかでんとかどん
とかいう感じの異変があって
それは痛みというよりも重さのようなだるさのようなもの。
目は「極度に疲れている」ような状態で、自然と瞬きが多くなる。
いいのか悪いのか、こういう突発的な不調も「更年期」とすると納得ができてしまう。

仕事帰りに「命の母」を調べてみると、思っていたよりも安いと感じたので(1週間分で税抜770円。継続すれば高く感じるようになると思う。)更年期初心者らしく、ロングセラーでメジャーな「それ」をお試しに買ってみたのである。

食後に小さめピンクの錠剤を4つ飲み、洗い物も弁当の仕込みもせずベッドに入る。
目がそんな状態なので、PCもスマホも・・目も閉じた「そこ」に浮かんだのは


「指圧の心 母ごころ おせば生命の泉わく」
浪越徳治郎の名言であった。


そして


「命の母とは誰のことなのか」


という問いが浮かんだ。


わたしを生んだのはもちろんわたしの母だけれど、今わたしの命を生かしているのはわたしである。
ということは、わたしが命の母なのかい?
いやでも、わたしが命を生かしているのか。
命がわたしを生かしているのか。
となると「命の母」ではなく「母の命」となるのでは。

え・・?えー、え!?
ちょっと待て。いったん戻ろうか。って・・一体どこ まで?


いやそもそも、命とわたしは

「命」と「わたし」

のように分けられる存在、なのか?
わたしと言っているものは、命を含むのか、含まないのか。
わざわざ「わたしの」命と言うからには所有物なのか。
肉体と命とは別物か。

知らぬ間に生まれ、当たり前に生き
「命」や「わたし」を当然のように受け入れてきた50年に
84錠入り税抜き770円「命の母」(小林製薬)は
「それってほんとう?」と問いかけてきたのであった。

さすがロングセラー。(命の母の完成は明治36年)


さて、キミは・・どう思う?




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?