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日日自炊自足【6月26日の夕食 と 怒りの使い道】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・ごぼう にんじん 油揚げ の煮物(味付:砂糖 醤油 みりん)
・きゅうりの糠漬け(市販品)
・とうもろこし(味付:塩)
and
・塩鯖 塩もみきゅうり しそ 茗荷 胡麻 の混ぜご飯(味付:すし酢)
・茹でた小松菜 トマト のサラダ(味付:麵つゆ ナンプラー)
・かぼちゃ の塩煮
・ルイボスティー


今朝、家を出てからずっと「むかむか」している。

一人で暮らし始めてから「おや、そういえば家で怒ることってないな」ということに気が付いた。

食器を落とした、とか
粉をまき散らした、とか
家の鍵が見つからない、とき
「あーーーーもう!!」と声を出してしまうことがあるけれど、自分のしたことで怒る自分を馬鹿馬鹿しく・・誰にも見られていないのに恥ずかしく思い、すぐに我に返る。

しかし今日の怒りはきっかけもなく、だらだらと長い。
家を出た8:00前から現在9:45まで・・「むかむか」がおさまらない。

わたしは2021年3月に書きはじめた【娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」】の後半10記事ほど使い「怒りに関する研究」をした。

それから・・今も、感情に関する研究・実験・練習を重ねている。

その研究により、怒りがわいたとき「怒って良い」という大前提を持つようになったのだけど、怒りって言葉を乗せることによって「怒り」という解釈がうまれるわけで・・
本来は・・もともとは「いつもと違う身体の感覚がある」ということだと思うんですね。(ibitsuだけの仮説)

今日なんかはまさにそうです。
だってなんのきっかけもなく「むかむか」しちゃって・・
むかむか先行で、あとから怒れる対象を探して、感情=身体感覚に言葉をのせているという言ってみれば、自家発からの自作自演。
(自分を観察する、を癖付けてからこういう「自分の仕組み」みたいなことがわかるようになってきました。)

怒る対象先行型の感情発生だとしたら「怒って良い」のですが、
身体感覚先行型(原因不明)のむかむかの場合、とりとめもなく手当たり次第に、何かや誰かを思考の中で攻撃してしまいます。

攻撃はむかむかを増やし、そのむかむかがまた攻撃を生む。
もうね矛先が、わたしの関係ない次元にまで「それっておかしくない!?」と向かって行っちゃって。我が思考ながら、きょわい(怖い)。

なぜわたしの関係ない次元に向かうかって・・・身近なところに怒る対象が(居)ないから・・なんですね。(現実に目の前に誰もいない&わたしの周りには今好きな人しかないので、怒る対象者は「遠い存在の誰かや何か」になりがち。)
人の身体って思考って、おかしいね。

そういうことが起こった時、わたしがどうしているかといえば
このエネルギーを「集中力」として使えないかと試みます。
さぼっていた掃除に向けたり(このやろう!ふざけんな!と思いながら掃除すると力が入って良い)、やろうやろうと思って先延ばしにしていた工作に手をつけるエンジンに使ったり。
でも今はできないので(このnoteは職場で書いています。コラッ!)

noteを「書く」ということでエネルギーを消費しています。
だから長い・・。
書くことに集中して言葉を選んだり、感情を観察していると、書き始めたころよりも気持ちがほんの少し落ち着いています。

でもまだ「むか」が残っている。しぶといなぁ。

この後も落ち着かなければ・・・

を、久しぶりに更新するかもしれません。





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