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日日自炊自足【6月28日の夕食 と その言い訳は誰に】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

・タルタルのり弁当(テイクアウト)
・茶碗蒸し(市販品)

ibitsu A

平日ジムへ行くときは仕事帰りに食材を買って家に帰り、その日の夕食と翌日のお弁当の仕込みを済ませてからジムへ向かう。
トレーニングを終えて家に着くのは20時半頃。
ベッドに入る時間が遅くなると睡魔を逃し眠れなくなるので、遅くとも10時過ぎには身体を横にして脳に「もう眠れますよー」のサインを送りたい。
事前に夕食の用意なんてものすごーく面倒。だけど、欠かせない。

が、昨日はゲリラ豪雨かも?という予報で急いでジムへ向かったため、食材の買い物はせず、よって準備せず。
幸いジムの帰りも雨には降られず、お弁当屋さんでのり弁当を買った。


ibitsu B

早朝から開店している家の近所の弁当屋で、わたしは毎日ランチ用のわかめおにぎりを買う。
レジでの会計中、カウンター上部に何枚も貼られた「タルタルのり弁当 6/30まで割引」のPOPを目にして
「それまでに食べなくっちゃ!」と思っていた。
数か月前久しぶりに買ったのり弁。揚げたての白身魚フライに磯部揚げ。
あまりにおいしくて、それから何度か購入した。
この日は朝から「今日ジムへ行く」と決めていた。
ひとり暮らしの自炊。献立は食材の消費をメインに決まってゆく。
朝、冷蔵庫にあまり食材がないことはわかっていた。

「あ、のり弁!」




ibitsu A も ibitsu B も、うそなく本当のこと。
でも過去と未来をどうやって切り取るかで、自分自身の動機もこのnoteを読んでいる人の事実(ibitsuに対する印象)も変わる。



今年から記録し始めた「観たもの読んだもの備忘録」

1年記録し続けることができたら「本が嫌いなわたしが、読書を習慣にするまでの話(仮題)」を書こうと思っている。

その過程で「図書館で借りたけれど読まなかった本」の記録も残している。
それは読まぬまま貸出期限を過ぎてしまったとか、つまらないとか、なんとなく気分じゃなかったとか、エッセイの興味のあるページしか読まなかったとか、文体やフォントが好みではなかったとか、いろいろな理由で読了に至らなかったもの。

それぞれの本に「どうして読ま(め)なかったか」との理由を残していて、それは自分がどういうものを好まないのか、という資料になるんじゃないかという動機からのことだった。

今月わたしは図書館から予約していた「差別に関する本」を受け取った。
それが今のわたしにとっては読みやすいとは言えず、いつものようにはページが進まない。
通勤電車の読書時間。本を開くことも気持ちが重かった。
それなのに止めるという判断ができない。他にも借りている本があるのに、これを最後まで読んでから・・と思ってしまう。
もっと気楽なテーマの本なら、簡単に返却していただろうと思う。
読めないのに読まなければ、と思ってしまう理由。それは

この差別に関する本を「図書館で借りたけれど読まなかった本」の中に残したくない。読まなかった理由を、簡潔に書くことできないという思い。
それから
この本を読み切れなかった自分は、差別に向き合えない人間であると認めるようで嫌だった・・んじゃないか思う。
本を読まなかったことと、受け入れるか否かは全く別の問題なのにね。



ジムの帰りに揚げ物たっぷりのり弁当。自炊の日記にお弁当。
読み切れない差別に関する本。
わたしは自分に、誰に、何に対する言い訳をしようとしているんだろう。

ここに書く自分と
書かない自分
両方を経験することはできないから、書かなかったら言い訳をしていなかったのか
は、分かりようがない。


ただ今感じているのは
言い訳は、罪悪感と仲が良いんだな。
ということ。



結局本は途中でやめるという選択をした。
こんな経験もこんな感情も、この本を選んでいなければ知らなかったんだな。
やっぱり「いつか読書が趣味」と言いたい。



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