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続・娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」幸せの正体、編

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

この note は

始まりは、編

気が付いた、編

モラハラ彼氏、編

いつも怒っていたお母さん、編

自分を「気持ち悪い」と思った日のこと、編

役割と性格、編

増す深刻度、編

ふたつの実家、編

勘違いの成功体験、編

ラスボス登場、編

陰極まって陽に転じちゃった、編

の続きです。


潜りきった反対側の世界から顔を出した。
とはいえ、すぐに生き辛さがやわらいだわけではなかった。



入籍した年の秋。娘は出産をして、しばらく我が家に里帰りした。
わたしは2週間ほど有給休暇をとり、娘親子とべったり暮らした。

待望の孫に歓喜!!
というよりは
45歳にして想定外の「おばあちゃん」という肩書が加わった、感じ。
妊娠後期、切迫早産でほぼ入院していた娘。
見舞いに行くたび、カーテンで区切られたベットだけの狭い空間で泣いていた。
21歳にして母になった娘を助けなくては、という覚悟の方が大きかった。

孫の世話をしていると
自分が子育てをしているときには「命を継続させること」に必死で目に入らなかったことによく気が付いた。
ちいさなちいさな赤ん坊は、誰かに世話をしてもらう事でしか生きることができない。
そんな当たり前のこと。それから


最初は 泣く と言ってもほぼ涙は出ない。
笑うこともまだできない。
新生児の頃は、目もぼんやりとしか見えていないという。
あーうーと声が出るのも、もっと先のことだ。
このころはよだれだって出ない。
手や足は動かしているというよりも、反射している感じ。
おっぱいを吸うのも同じ。
口に入ってきたものに、ただ体が自動的に反応しているだけ。

赤ん坊は自分から何かをする ということはないのに、自分以外の者も幸せにしてしまう。
なにかを・・たくさん持っていること、なんでもできることが幸せ。
そう思っていたけれど、違うのかな。


例えば・・もしもこのままこの子が外国に連れていかれたら
数年後には日本語以外の言語を話し、その国での道徳や正しさ、間違えや優しさのフィルターを通して世界を見るのだろうな・・
そんなことをぼんやり考えていたら


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見てきた物や聞いた事
いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう
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THE BLUE HEARTS
「情熱の薔薇」の歌詞が思い出された。


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