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大河ファンタジー小説『月獅』6   第1幕:第2章「天卵」(3)

第1章「白の森」(全文)は、こちらから、どうぞ。
前話(『月獅』5)は、こちらから、どうぞ。

第1幕「ルチル」

第2章:「天卵」(3)

<前回までのあらすじ>
「白の森」を統べる白の森の王は、その体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。人は白の森に立ち入ることはできない。唯一、心からの祈りが王に届けば、森は開かれると伝えられている。ルチルは6歳の夏に日射病で倒れたところ白の森で介抱された過去をもつ。
ある夜、流星がルチルの体に飛び込み、ルチルは黄金に輝く天卵を産んだ。天卵は一国の王の存在を脅かす。王宮のカラスの偵察隊に見つかったことを知った父のイヴァンは、娘を地下に逃がす。トビモグラのアトソンがルチルを白の森まで地下道を案内する手はずになっていた。両親と引き裂かれることになった元凶は天卵だと思い、ルチルは卵を割ってしまおうとする。すると、卵は輝きを消した。「やがて希望となる光だよ」といった父の言葉をルチルは思い出す。

<登場人物>
ルチル‥‥‥エステ村領主の娘
イヴァン‥‥エステ村領主・ルチルの父
カナン‥‥‥ルチルの母
アトソン‥‥エステ村の地下に住むトビモグラ・地下道の案内役
ロウ‥‥‥‥トビモグラ・地下道の護衛
トート‥‥‥ルチルの幼馴染・村の悪ガキ


 アトソンは後ろ足立ちの姿勢を崩さずルチルを見つめている。
「ごめんなさい」
 つぶやいて、ルチルは卵にそっと口づける。大丈夫、あなたは、わたしが守る。ちゃんと、あなたのお母様になるわ。
 卵をくるんだキルトが、一瞬、ぱっと明るく輝いた。ルチルはぎゅっと卵を抱きしめると、目尻からこぼれそうになっている涙を拳でぬぐい、アトソンに向き直った。
「白の森までの案内をお願いするわ」
「かしこまりやした」
 アトソンが恭しくお辞儀する。
「こいつはロウ」と、アトソンは自らの隣に控えているトビモグラを紹介する。
「お嬢様の背後をお護りしやす。わしらは暗闇に慣れとるが、ヒカリたけだけんじゃ、お嬢様には暗かろう」
 アトソンは懐から何かを取りだし、掌を開く。光るものが三つひらひらと飛びだした。ルチルは目を凝らす。蝶が淡く光りながら飛んでいる。ヒカリアゲハだ。子どものころトートが一匹だけ捕まえ、誇らしげに虫籠を見せびらかしていた。「めったに捕まえられないんだぜ」と言って。それが三匹も。鱗粉をきらきらと輝かせながら、飛び回っている。こんなときでなければ、その美しさに見惚れるのだろうけど。
「ちょっと失礼しやすよ」
 アトソンは言いながら、ぐいっとルチルの右手をつかみ、その甲に何かねっとりとしたものを塗った。すると、蝶がルチルの手に舞い降りる。
「蜜でさぁ。ほれ、こうしときゃ、こいつらお嬢さんの手にとまる。ほんで、灯りになる」
 ルチルは感心した。手を高々とかざしても、蝶は逃げない。ルチルの右手が懐中電灯になったようだった。
「さ、急ぎやすよ」
 アトソンが四つ足で駆けだす。ルチルが追う。ロウが背後に気を配りながら続く。どこをどう通ったのか。右に左に坑道を曲がり進むアトソンの背を追うのに必死で、ルチルにはさっぱりわからなかった。地下道には、樹々の根が縦横無尽に走っている。それらに足を取られて転ばないよう気をつけるのが精いっぱい。ヒカリ茸とアゲハの灯りと、天卵のほのかな光を頼りに足もとを確かめながら急いだ。うっかり蹴つまずくたびに、ロウがすばやく支えてくれる。無口な彼の働きがうれしかった。
 どのくらい進んだろう。どこからか水の流れる音のようなものが、微かに聞こえた。アトソンについて角を曲がるたびに音はしだいに大きくなる。いくつかの枝道を曲がったところで、急に視界が開けた。ごうごうと滝のような音が響く。細い坑道の向こうに広い空間があるのが、暗闇でもわかった。
 アトソンが穴道を抜けたところで振り返り、はじめて笑顔を見せた。
「お嬢様、着きやした」 
「これは……」
 ルチルは地下を滔々と流れる川に目をみはった。
「ルビ川ですだ」
「昔むかし、白の森へと流れていたという伝説の? でも、言い伝えでは白の王が怒って…」
「地下に沈めなすった。それが、これでさぁ」
 おとぎ話に聞いていた川が、目の前を流れている。本当にあったなんて。
 川原には小舟が用意されていた。
「そん先に、滝のカーテンがあるんが、見えやすか」
 アトソンが後ろ足で立って、川の流れる先を指さす。
 ルチルはヒカリアゲハの止まった右手を高く掲げる。ほのかな明かりの向こうに、白く泡立つ滝が川の行く手をレースのカーテンとなってさえぎっているのが見えた。
「白の森の王へ祈りが届けば、滝が開きますっちゃ」
 ロウが舟を曳いてくる。
わしらは、ここまででごわす。お館様と奥様のこったも、わしらができるかぎりの力は尽くしやす。どうかお嬢様もご無事で、卵をお守りくだせぇ」
「アトソン、ロウ、ありがとう。あなたたちの働きに心から礼を言います。お父様とお母様のこと、よろしくお願いします。ルチルは卵を守り育てる覚悟ができました、と伝えてもらえるかしら」
 アトソンとロウに向かって深々と頭をさげると、ルチルは二匹を胸に抱き寄せた。胸もとに抱えている天卵もひときわ輝く。
 ルチルは小舟に乗りこむと、「オールはどこにあるの」と尋ねた。
「櫂はありやせん。要らないんでさぁ。川が導いてくれますんで」
 アトソンとロウは力いっぱい舟を押しだす。
 豊かな水をたたえた川面を小舟がすべりだす。二匹のトビモグラは後ろ足で立って、短い手をちぎれそうなほど振る。ルチルも大きく振り返す。
 月夜の海に舟出するようだとルチルは思った。地下の闇に月はなく、滝のあげる水しぶきが白い明かりとなって川面をただよう。もうここには戻って来られないかもしれない。この洞窟はおろか、エステ村にさえも。胸をよぎる予感に、頬を涙がとめどなくつたう。嗚咽はない。涙が流れるだけだ。ルチルは卵をぎゅっと抱きしめる。応えるように、慰めるように、卵はしだいに光を強める。
 川は滔々と流れているのに、舟は滝のカーテンの前でぴたりと止まった。
 ルチルは白い飛沫を水煙のごとくあげる滝を見あげ、ただひたすらに祈った、まばゆい光をまとって神々しかった白の森の王を想いながら。
 
 ――白の王様、六歳の夏に助けていただいたルチルでございます。あの日のこと、忘れたことはありません。モノアライグマのおばさんや心優しき森の生きものたちのことも。王様と交わした約束も、ずっとずっと守ってきました。お父様にもお母様にも話したことはありません。あの日おっしゃいましたよね。わたしには、さだめのようなものがあると。それが天卵を宿すことだったのだとしたら。わたしはこの卵を守りたい。この子の光を守りたいのです。お力をお貸しください。どうか、森を開いてください。
 
 ルチルは目を閉じ、胸に抱えた卵の前で両手を組み一心に祈った。滝の飛沫がミストとなって立ち込め、こうべを垂れたルチルの肩を背をじっとりと湿らせる。前髪は額に貼りつき、髪からつたう雫が組んだ手を濡らす。絶え間なく落ちる水の轟音が洞窟にこだましていた。

(to be continued)

次話(『月獅』7)は、こちらから、どうぞ。


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