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小説『虹の振り子』10

第1話から読む。
前話(09)から読む。

<登場人物>
 翔子:主人公
芳賀啓志:翔子の父
     芳賀朋子:翔子の母     
     芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
      芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
        ジャン:翔子の夫(イギリス人)
 鳥越玲人:翔子の従兄
    鳥越貴美子:玲人の母、啓志の姉

* * * * *

第3章:帰宅 ―― <ホーム> 02

 「ただいま」と声をかけながら、翔子は玄関の格子戸を引く。
 低く剪定され、古色蒼然のおもむきをそなえる五葉松ごようまつが前庭の景色を整えていた。

 からからから、がら、ぎぎぃ。
少し建付けが悪くなったのだろうか、何かが引っかかったような妙な手応えが残った。年代物の建物だからしかたないか。翔子は玄関の黒光りした鴨居を見あげる。まあ、はんぶんはこの湿気のせいでもあるわね。
「ワーオ!おひなさまだ、ビューティフォー」
 玄関の敷居の前でスーツケースを両手で持ち上げ踏ん張る翔子の手から、真っ赤なそれを軽々と奪い、肩越しに屋内をのぞいたジャンが感嘆の声をあげる。驚いて振りかえると、ひのき柾目まさめが鈍く光る上がりかまちに親王雛が飾られているのに気づいた。両脇にはぼんぼりの代わりに紫陽花が活けられている。
 六月だというのに、どうしてお雛様が飾られているのかしら。翔子は心のうちで首をかしげた。

「お帰りなさい」
 控えめにスリッパの音をたてて母が廊下をそそと駆けてくる。その後ろを父がゆらりと歩を運ぶ姿が見えた。耳慣れた音。見慣れた光景。たちまち時間が高速で巻き戻されるような、ふしぎな感覚が翔子をおおう。イギリスに留学してはじめて帰国した日の記憶が、古い映画フィルムのように二重写しで重なる。

 子どものころから憧れていた国へ飛び立って、興味と好奇心が錯綜する日々を過ごしていた。古書店を巡り、ケンジントン・ガーデンズでサンドイッチを頬ばり、鳥のさえずりをBGMに買ったばかりの書物のページをめくる。石造りの書店の擦りガラスがはまった重い扉を押す。ガランガランと鈍い音を立てる真鍮のドアベル。うす暗い店内に息をひそめて出逢いを待つ、時に身をゆだねた書物たち。何もかもがビロードの讃美歌集を胸に抱きながら思い描いていたそのもので、心が跳ねあがらずにはいられなかった。大学の講義がハードなこともあって、翔子は渡英以来、寝る間も惜しんで忙しくも満たされた毎日を送っていた。だから。寂しいという情感が入り込む余地など、これぽっちも感じていなかった‥‥はずだった。
 一年ぶりにわが家の玄関に立ち、変わらぬ母の声が耳に届いた瞬間、どうしたことか、ひと筋熱い滴が頬を伝って、翔子はみずからの体の反応にとまどった。そんな翔子を母は何も言わずにそっと抱きしめた。
 あの日の感覚と記憶がフラッシュバックし、静かに時を降り積もらせた玄関先で翔子はうつつと幻との境目がよくわからなくなりかけていた。

「タダイマ」と母をハグするジャンの声で、翔子は我にかえった。
「お帰りなさい、翔子。お帰りなさい、ええっと‥‥」母はそこで少し言い淀んで、すぐに
「疲れたでしょ。さあ、おあがりになって」と付け足した。
「ねえ、お母さん、どうしてお雛様をだしてるの?」
「虫干しついでに飾ってさしあげてるの。翔子はお節句が誕生日でしょ。あなたが帰って来るから、よろしいかと思って」
 ああ、虫干しねとうなずきながら、かすかな違和感がよぎった。なんだろう。小指にできたささくれのように何かが引っかかったけれど、ジャンがうれしそうに膝をついてお雛様に見入っているから、まあ、いいかと心にしまいこんだ。
 さっそく父がジャンの隣に腰を据え、雛飾りについて語り始めている。きっと、桃の節句の由来や曲水の宴まで、いや、ひょっとすると平安時代の装束や貴族文化についてまで語り出すかもしれない。
 翔子は母と顔を見合わせる。
「まあ、ここにティーポットを用意しないと」母が微笑みながらこぼす。
「ほら、もう、お父さん。ジャンは飛行機の狭い椅子に押し込められて、腰が痛いのよ。こんな板の間でなくて、続きはリビングでお願いするわ」
「お母さん、お雛様を居間に運んでもいいわよね」
 翔子は親王を畳台ごとジャンに手渡し、じぶんはお雛様をそっと両手でささげる。
 縁側からのろりとぬるい風が吹く。

 これは翔子のお雛様だ。
 蔵には母や祖母の雛飾りも桐箱で収められているが、時代ごとの流行りもあって人形の顔やこしらえがそれぞれに異なるからひと目でわかる。翔子の女雛の十二単じゅうにひとえは、「蘇芳すおう匂襲においかさね」といって、淡い蘇芳色から濃き蘇芳へのグラデーションが美しく、それらを最も内側の深い草色が引き締めていて気高い。
 母の実家は西陣の織問屋『匠洛しょうらく』だけあって、衣装には織元の矜持が随所に込められていた。桃の節句に女の子が生まれたことを喜び、別誂えで調えられた十二段の雛飾りは、翔子がまもなく一歳の誕生日を迎えるという立春の日に届けられた。翔子はやっとつかまり立ちしたころで、ちょろちょろとせわしなく這いまわっては人形やお道具に手をのばすので新米母の朋子はかたときも目が離せず冷や冷やしどおしだった。雛飾りを届けに来た母方の祖父母は、「そもそも人形遊びするためのもんやねんさかい、壊したら、また、こさえたら、よろし」と、いっこうに妊娠の兆しがなく気を揉んだこともあって、やっと授かった孫のすることに目を細めるばかりだった。そうはいっても、誤って口にいれ飲み込んだらと思うと、朋子は気が気でなかった。

「翔子はね、パパに似て赤ちゃんのころから好奇心のかたまりだったのよ」
「コーキシンのかたまり?」
 小学校への入学を控えた二月はじめの春浅い日だった。前日に降った雪が庭の隅で静かに溶け、やわらかな陽が縁側からさしこむ和室で桐箱からお雛様を出しながら、母は思い出したようにくすくすと笑う。
 「コーキシン」て、何の芯だろう。それが塊になるとどうなるのだろう。翔子にはちっともわからなかったが、「パパに似ている」といわれて満足だった。それにママもうれしそうに笑ってるもの。口の端をほんの少しあげてふわりと微笑む母の笑顔を目にすると、あたたかくてやわらかなものに包まれ、翔子の頬にもしぜんと笑みが浮かぶのだった。

 母の笑顔を父は「春の海のようだ」という。漱石は「I love You」を「月がきれいですね」と訳したそうだが。父にとっては「春の海のようだ」がそうなのだろうと、翔子はいつのころからか思うようになった。


 居間のソファに腰かけ、テーブルに並べた親王飾りを間にはさんで、父はジャンに滔々とうとうと語っている。米寿を迎えても声には変わらぬ張りがあり、淀みなく披歴される知識の川には終わりがなかった。ふふ、お父さんは相変わらずね。翔子はひそかに笑みをこぼしながら、母の後を追ってキッチンへと向かう。

 かつて土間だった台所は、離れの改装の手ついでに土間を閉じ、板間のキッチンに改められた。朋子のお腹に翔子がいたころだから、もう50年は経っている。流し台やコンロは10年ほど前に新調されているが、水屋箪笥や食器棚は歳月を経て飴色の光沢をはなつ。イギリスも古いものを大切にするお国柄だから、百年を優に超したカップボードが風格と共にあるのをよく見かける。翔子はそんな時を重ねてきたものたちが愛おしい。母が手入れを怠らずに磨いてきた水屋箪笥の角を指で撫でていると、ポットを火にかけながら母が後ろ背で翔子に声をかけた。
「和さん、そこの紫陽花柄の急須を取ってくださいな」
 翔子はとまどった。
「お母さん、和さんは20年以上前に亡くならはったでしょ」
「あら、いやだ。そうね。つい、癖で」
 振りかえって鷹揚な笑みをこぼす母は、いつもと変わりがない。
 和さんというのは、祖母登美子に長年つかえていたお手伝いさんだった。祖母が離れに居を移してからは、もっぱらそちらにいて、母屋ではあまり見かけた記憶が翔子にはない。祖母よりもとおは年かさだったが、働き者の頑丈さもあって、祖母の最期を世話して看取ったのは和さんだった。そこで何かがぽきりと折れたのだろう。登美子の後を追うように、まもなく急逝した。
 あれからもう20年以上は経つ。でも、母の口ぶりは昨日のことのようだ。
 そういえば。「雛人形は湿気を嫌うから、お節句が終われば、からりと晴れた日に片付けるのがいいのよ」と昔、母が言っていたことを思い出し、ようやっと「虫干し」に覚えた違和感が腑に落ちた。梅雨入り宣言が明日にでも出そうなこの時季に、本来、虫干しなどしてはいけないのだ。

 母のなかで何かが少しずつ齟齬を来たしはじめているのだろうか。
 翔子は胸がすっと冷え、白磁に紫陽花の描かれた急須をもつ手がふるえた。


(to be continued)


第11話(11)に続く→

全文は、こちらから、どうぞ。



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