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離れているからこそ手紙に書けること——ベルンハルト・シュリンク『オルガ』【書評】

なぜ、人の一生を描く物語が心を揺さぶるのか。

あたりまえな日々の暮らしにも、魅力的な一瞬はある。あのときの迷いが、想像すらしなかった喜びを呼んだ。その瞬間で犠牲にした思想が、あの後悔につながった。時間ではなく時、クロノスではなくカイロスで人が「生きる」ことをとらえるから、人生の物語に惹かれる。

本を読むことは、暗闇で人を知るのに似ている。どこにいるか分からない。でも息遣いは聞こえる。五感を研ぎ澄まし、時間をかけて、数多く触れる。どこに触れるか、強く握るか、軽くさするかによって感じ方も異なってくる。ときには相手のほうから手を差しのべてくれることもある。そうして、作者なり作品なりを、より深く、より強く感じることができる。

そのようにして、たとえ歴史的に無名な人物であっても、一生涯を描いた物語が深い味わいをもたらすのだろう。

女の一生を知りたい。でも、「女のさが」とか「女のごう」とか、大文字の言葉で書いた人生ではなく、たとえ草や土の匂いがする純朴な一生であったとしても、一歩、また一歩と大地を踏みしめる足どりを感じたい。「足どり」といえば、足のはこび方と足跡という二つの意味があるが、どのように歩いたのか、まさに前者の意味で分かりたい。

ベルンハルト・シュリンク『オルガ』の主人公オルガは、19世紀末に、ドイツの片隅で生をうけた聡明な少女。だが貧しさのなかで両親と死別し、引き取ってくれた祖母は冷淡で、彼女を支配したがり、静けさを好むオルガの読書すら認めようとしない。

しかし、生まれや育ちから自分を解き放つのが「学び」である。貧しくて本が手に入らないときは、先生や牧師から借りる。国立女子師範学校に入りたいと思ったときは、その学校の教師のもとに飛び込み、何を学べばよいか助言を請う。身分も境遇もちがう農場主の息子ヘルベルトからは、彼が学んだことを教えてもらうことで、自分のものにする。

大人や教師から強いられるのが「勉強」ならば、みずから知り、考え、血肉化しようとする「学び」をオルガは実践した。そうして師範学校に合格し、成績優秀で学生寮にも無償で入れることになり、知性を嫌う祖母から自立する。師範学校の卒業後、オルガは村の学校の教師になる。農業以外に女が働くことに理解がなかった20世紀初頭においても、教職は女性が得ることのできる立派な職業であり、2度の大戦と2度の敗戦をドイツで生き抜くオルガの大きな助けとなった。

50代でオルガが聴覚を失ったときも、培った知性と言葉のおかげで、いち早く読唇術を身につける。戦火に追われて都市部へ出てきたとき、早々と縫い子として顧客を得ることができたのも、日々の暮しで身につけた裁縫の技術が役立った。自分が何をしたいのかも分からず、いまだに「自分さがし」をしている連中に、オルガの爪の垢を煎じて飲ませたい。

ただ、「学ぶ」ことが生まれと育ちからの解放と自立につながるのを説くことが本書の主題ではない。

オルガは幼い頃にヘルベルトと出会い、身も心も成長するにつれて恋に落ち、互いの愛情を確かめあう。しかし、身の丈にあった暮らしを大切にしたいオルガに対し、ヘルベルトは自分の夢をドイツ国家を拡大することに仮託し、無謀な北極圏への冒険に出るものの、消息を絶つ。オルガは愛する人の生還を信じて、北極探検の出発地であるノルウェーのトロムソの郵便局留めで、ヘルベルトへの手紙を書き続ける。

本書は三部構成で、第一部でオルガの生涯の大半が描かれる。第二部は、縫い子として出入りしていた一家の末っ子で、オルガが我が子のように可愛がり、こっそり相続人にも指定していたフェルディナントが、晩年のオルガとの日々を回想する。第三部は、オルガがヘルベルトへ書き続けながらも、読まれることのなかった20通以上の手紙が明らかになる。

物語全体は、フェルディナントの語りである。オルガの生涯も、彼女がフェルディナントに語って聞かせたことを述懐しているにすぎない。しかし第三部はヘルベルトへの想いや彼の態度から抱いた本音、ドイツという国家や戦争への見方などについて、オルガが書いた手紙によって語られる。

手紙に書いたからと、すべて真実だとは限らない。しかし、ヘルベルトに伝えたい言葉であることに疑いはない。自分の死後、まったくの他人に読まれることも想像していないだろう。だからこそ、オルガの赤裸々な想いがオルガ自身の言葉で綴られている。文面から、迷いながらも、揺れながらも、自分の足で立って生活し、ヘルベルトへの愛を貫く強い意志がありありと感じられる。

先日読んだローベルト・ゼーターラー『ある一生』や、偏愛するジョン・ウィリアムズ『ストーナー』は、いずれも三人称、すなわち神の視点からそれぞれの主人公の生涯が語られる。それらとは異なった本書『オルガ』の揺さぶりは、やはり手紙の存在が大きい。「わたし」という一人語りの小説とも異なり、手紙には、そのとき、その瞬間の想いが真っ直ぐに綴られている。ヘルベルトを貫こうとするオルガの想いが、読み手の心をも突き刺し、揺さぶる。

まだヘルベルトが生きていることを疑っていない4通目の手紙で、オルガは記す。

離れていていいと思う唯一のことは、どれほどあなたに会いたいのかを手紙に書けることです。

これこそ、手紙を書くことの意味だ。

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