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本当の「中世欧州」の生活 -ヴェネツィアのとある商人-

【注意書き】
JRPGや「なろう系」と言われる「中世欧州風」の世界がもてはやされている現代。創作する側も増えていますがイマイチ深みがない、という方にも。「本当の中世ヨーロッパ人」がどのような生活を送っていたのか、1400年代の中世末を舞台に、王侯貴族のみならず市民やその他一般人の生活に焦点を当てつつ、産業や経済、政治といった部分も紹介していきます。

当マガジンの記事は「中世欧州」の時代に生きた人の価値観や常識に基づいた大河創作であり、現代からすると差別的、あるいは間違っていることも記載しています。

一方で正しさよりも分かりやすさを優先し、現代の言語や用語に意訳している部分もございます。(例:タベルナ→居酒屋)

ヴェネツィア

もしイタリアが形だけでなく本当にひとつの国だったなら、間違いなくこのヴェネツィアが首都になるだろう。
共和国(ヴェネツィアのこと)の持つ収益力は帝国や教皇をも凌ぐはずだ。

太古の昔は全ての道はローマに通ずなどと言われていたが、今となっては世界の中心はこのヴェネツィアだ。
しかしすべての道はヴェネツィアには通じていない。

なぜなら都市は海の上にあり、道は1本たりとも繋がっていないからだ。
一方で、すべての海路はヴェネツィアに続いている。

ヴェネツィアは半島北東部を広く支配しており、その支配の中心である海上都市は船を用いて入ることが普通であり、外敵はもちろん、不穏な者も入れはしない。まあ、病気の侵入までは防げていないか。

ヴェネツィアの商人

私はヴェネツィア生まれ、海運の一端を手伝う商人の一味だ。
曇りの国々(アルプス以北)で商人と聞けば、物をせっせと運ぶ行商か、あるいは商館などで物のやり取りをしている人を思い浮かべるだろうが、私は証文、投資とそれらの情報を取り扱う商人団体の一員。こういった仕事は世の中広しと言えど、珍しいのではないか。

珍しいと言えば、私の住むこの共和国というものも、世界では類を見ない国で、町も海の上にあるという、やはり類を見ないものだと思うのだ。せっかくであるから、つまらない私の紹介よりも、この偉大なる共和国の紹介も交えたいと思っている。

共和政体の国

一般的に国というものは個人の資産であり事業体だ。君主か、あるいは役員たちによって支配されていて市民というのは奴隷同然ということも普通だ。

しかし共和国にはティランノ(君主)はいない。古代ローマ共和国のように、開かれた選挙によってトップが決まる。だから数年に1度、あるいは短ければ1年でトップは入れ替わり、世襲もない。そう、共和国は誰かの資産ではなく、市民の共有資産なのだ。

私は、この共和国という制度が優れていると思っている。現にヴェネツィアはこのやり方で成功した。

一方でこの共和政というものは、大きな国や複数の有力都市を有する国ではなかなか通用しないとも思っている。要するに、小さい国でのみ、通用するやり方だと思うのだ。

複数の土地で数えきれない多くの市民の投票を行わせるのは馬鹿げている。管理もできなかろうし、結局不正や世襲化が関の山だろう。

私はこれ以上深く政治を語るつもりはないが、少なくとも私がこの仕事で生きられるのも、ヴェネツィアが共和政を行っているからに他ならないし、共和国という制度を長年続けて成功している世界でもおそらくここだけの話ゆえ、紹介させてもらった。

海の上の国

まだまだヴェネツィアには珍しいものがある。
それは共同体(都市)が海の上にあることだ。

ヴェネツィアには最新の交通システムがあり、歩行者と海運が立体交差で結ばれており、歩いても、船でもどこにでもたどり着けるようになっている。

大きな荷物は船で運ぶことが普通だから、大型船から積み替えして船で建物まで運ぶことができ、宅配というものが可能になっている。

全世界を見ても、個人の家にまで乗り物で荷物が直接届くシステムは無いだろうし、全世界でもこのシステムが実現できるのは、未来永劫ヴェネツィアだけだろう。

海の上というのは秘密を守ったり防犯の面でもとても役に立っている。

例えばムラーノ(ガラス工房の島)は技術流出がないように、職人はその島から物理的に出られなくなっているし、もちろん部外者がガラス工房に入ることもできない。

それでどうやらガラス工房は親方がとても厳しいらしく、独裁者のように振る舞っているという。

島という隔離された場所ゆえ、親方の決まりは国の法律をも凌駕し、弟子たちは腕に焼き跡があったりしたそうだ。

なんで隔離された島なのにこんな情報が伝わってるかだって?
そりゃ、隔離されたらみんな出たくなってしまうもので、よく下っ端の職人たちが島から逃げ出したという話を聞く。

なるべくしてなった「失われた栄光」

ヴェネツィアは小さい領土だが経済大国だ。
それは間違いない。世界的に見てもトップレベルの裕福さだ。少なくとも首都であるヴェネツィア本島は栄えていて、世界屈指の技術と街並みを持っている。

だが、認めたくはないが、最近は不穏な空気も流れている。下層階級を中心に経済不況だの共和国の未来は暗いだの言っているのが聞こえる。
それは、私もうすうす感じていることでもある。

経済不況の原因は新興国の隆盛、大国の圧力、戦争の脅威、そういった外の要因ももちろんあるが、私は問題が自国にこそあるのだと思っている。

共和国のガラス職人には特権があるが、特権は親方や上位者たちだけのもので、子弟たちにとってはむしろ法律度外視のムチのように映るのだろう。
ヴェネツィアは海運大国ということもあり、部外者の出入りも多く産業スパイも当然来る。

高い俸給や待遇を約束し、職人の脱出を手伝い、ヘッドハンティングしているという噂もあり、実際に技術は年々、外に漏れだしている。

特に帝国では、最近はヴェネツィアより安くしかも高度なガラス技術を得て世界展開しているという。ただヴェネツィアの親方の特権と下っ端への奴隷のような過重労働では、職人や技術が流出してしまうのは至極当たり前かもしれない。

技術流出と一部だけ儲かる構造

ヴェネツィアは最近、コンスタンティノープルの利権を完全に失った。それでもまだまだ残っている世界中に投資した資産で食いつないでいるが、すでに西の王国(フランス)や帝国(神聖ローマ帝国)などの大きな領土と人口を持つ国に色々な面で押され始めている。

こういう時に大事にしなきゃいけないのは技術だが、残念ながらヴェネツィアは最近、自慢の海軍も日雇いを使ったり、重要な技術職の待遇や立場は低いままで、それを使役する人間だけが虚構の利益をむさぼっている。

そして皮肉にも私はそのむさぼる側の手下というわけだ。
我が共和国から技術も投資先も投資される理由すらも無くなったら、どうなるだろうか。

私は代々、この美しい共和国に住んでいる。
赤い屋根、統一された高度な街並み、他国じゃあり得ない高いガラス窓の使用率。
溢れんばかりの富を集めた最高の文化・経済都市。

一見して、世界的な先進国に見えるが、それは虚栄ですでに過去の栄光なのかもしれない。
治安以外に誇れるものが何もなくなったとしても、私はこのヴェネツィアが好きだ。しかし、あわよくば長く世界的先進国であって欲しいと願っている。私がそのために何かできるわけじゃないが。


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