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ありふれた充電ケーブルから生活を考える

 何かを書きたい、何を書こう。文才のある私なら、視界の片隅から言葉を紡げるはずと信じて、iPhoneを充電した。そういえば、充電のケーブルは白って思うようになったのは最近だ。

 昔、ケーブルは黒だと思っていた。テレビの配線も、CDのヘッドホンも、全部黒ばっかりだった。だから、ゲーム機器を繋ぐときの黄色、赤、白(緑のこともあった)の端子には、ちょっとときめいたものだ。
 いつの間にか、ケーブルは白が当たり前になっていた。きっとAppleのせいだ。ケーブルを白くしようなんて天才の発想である、黒のケーブルばっかり〜とぶつくさ言いながらも他の色にしようなんて考えたことすらなかった。

 そんな、日常の当たり前の制約に、私たちはどれほど気づかずに生きてるんだろう。そう思うと、ちょっとゾワゾワする。こわい。
 でもだからこそ、当たり前のことに気づけた時の痺れる感覚を味わえるんだから、盲目するのも悪いことばかりじゃない。
 素直に物事を捉えるからこそ、一風変わった考え方に驚けるのだ。素直さは財産である

とはいえ。私は、親から、
「ほんとに素直じゃないね💢
と叱られるのが1番嫌だった。

 はあ?私にいうこと聞かせたいだけだろ??
って思っていた。
だから、頭では親の言う通りにするのが正しいと分かっていることでも、従いたくなかった。たとえそれが歯磨き、お風呂、片付け、どんなことでも、自分がやる前にやりなさい!と言われてしまうと、何がなんでも従いたくなかった。親の言われるままに動く事が苦痛で仕方なかったのだ。

 そんな高校時代を経て、大学で一人暮らしが始まった。親元を離れて暮らすと、自由が手に入った。歯磨きせずに寝てもお風呂に入らなくても片付けをしなくても、「ほんと素直じゃないよね。」とは言われない。
 だけど、生活がままならない。正直、習慣になってないから、かなり頑張らないと歯磨きもお風呂もすぐにサボる。というか忘れる。そして嫌になる。ああ、私は女子どころか人間未満だなあと悲しくなる。要は、世の中の普通とされている日常生活は、白いケーブルなのだ。艶やかでおしゃれで美しい。でもすぐに汚れるから日々の手入れが大変な、キラキラの白いケーブル
 でも、私は黒いケーブルで充電するのでいっぱいいっぱいで、なんなら充電すらサボりたがるズボラである。

 時々考える。普通の毎日を送るのはなんて大変なんだろう、と途方に暮れる。
 洗濯を回したのに干すのを忘れた時や、お弁当箱を1ヶ月放置してカビを生やして弁当箱ごとゴミ箱に投げ入れた時とか。
 ああ、私は一生、インスタみたいな白いケーブルに囲まれる生活に憧れ続けて、黒いケーブルでギリギリ充電しながら生きていくのかもしれない。そう思うととても悲しくなって、喉に熱いものが込み上げてきた。
 嘘でしょう、こんなことで泣くなよと思いながらも、こんなことで泣けるあたり私もまだ元気じゃんと思えた。

 女子は、ケーブル白くなきゃ始まんない。それは、思い込みやジェンダーバイアスとかではなく事実としてこの世界にある。世の中の当たり前の感覚では、黒いケーブルライフでは女として認められないのだと思う。思うというか、もはやそうとしか考えられない。
 私の毎日の生活は丁寧な暮らしの対極にあるのだろう。堕落してる。自分をめちゃくちゃに甘やかすことが、日常になってしまった。黒のケーブルライフに慣れ切ってしまった。

 ここから、白いケーブルライフになろうと頑張るべきなのだろうか。それとも多様性という魔法の言葉を信じて黒いケーブルライフを貫くのだろうか。きっと、私が自分を好きになれるのは白いケーブルライフへと邁進することだ。でも、そうなろうと足掻いて上手くいった事なんてないし、そのせいで自分を責めすぎて自信を無くしているとこの前指摘されたばかりだ。
 頑張りたい、でも無理はしちゃいけない。なぜって、後で反動がきてしまうから。頑張りすぎないように考えながら頑張るって、凄くもどかしい。

 こんなことばかり考えていたら、白のケーブルも黒のケーブルもだんだん見たくなくなってきて、私はグレーのケーブルを買おうかとAmazonで探し始めた。

 するとどうだろうか、想像を遥かに超えてカラーバリエーションが豊富である。
 うせやん、白と黒で勝手に考え込んで参ってた私がアホみたいやん。実際アホだけど。

インスタみたいな白いケーブルライフは到底続きゃせんし、黒いケーブルライフは楽だけど心が荒む。ここいらで、丁寧でも粗雑でもどっちでもない心地よい生活リズムを繋いでいきたい。
 そう願いながら、私はAmazon「ケーブル」検索結果を前に、ホロリと涙ぐんだ。

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