心配のあまり、発達障害の子どもを「支配している」母親になっていたかもしれない(大切な気づき)
子どもに生きづらさを感じてほしくない!
息子が神経発達症(発達障害)と診断される前から、
「この子はちょっと独特」でした。
「息子一人に判断を任せていたら、(世間一般の)レールからズレまくってしまう!」「社会に出てからつらい思いをさせたくない!」
という気持ちを強く持っていました。
全てに口をはさんできた
思い返すと、進学、就職、その後、発達障害と診断されてからの身の振り方、通うクリニックに至るまで...
有無を言わさずに息子をあちこち連れ回して、思い通りにしてきたと思います。「あそこに行きなさい」「こうしなさい」といった感じで。
「私の言う通りにすれば間違いない!」
本気でそう信じていました。
書いていても顔から火が出そうなほど、お恥ずかしい母親でした。
「息子につらい思いをさせたくない!」
「生きづらい人生を送ってほしくない!」
全てがその一心からのことでした。
母親として、息子を世間から守ろうとする当然の姿だと思って疑いませんでした。
(考えられるのに)考えない息子になったいた
その結果、どんなに小さなことでも、私に聞いてから行動する息子が出来上がっていました。それが異常なことだとも気づかない私でした。(恥ずかし~)
私も息子に依存していたと思う
「私がいないとこの子はダメになる」という思いが強すぎました。
いつまで経っても息子に口出しし、私が物事を決める形があたりまえのことになっていました。
まるで息子を支配しているかのようで、書きながら自分でも違和感を感じていますが、当時は、
「子どもを全力で守る、いい母親だ!」と、自分ことを誇らしいとさえ思っていました。
いつの間にか「息子のお世話をする私」という形で、私のほうこそ息子に依存していたのかもしれません。
親の考えが正しいとは限らない
たとえ診断されたとしても、息子には考える力がシッカリとあります。
(神経発達症(発達障害)の状態によって、一概には言えません)
それにやっと気づいたので、
私は「○○しなさい」という命令口調はやめました。
そもそも「これを選んだほうが絶対いい」「こんなことをしてはダメだ!」というのは、私個人の主観でしかありません。
親が選んだ結果を、子どもが同じように「良かった」と感じられるかどうかは疑問です。
子どもと言えども別の人格ですから。
つらい思いは、生きていれば避けられない
発達障害に限らず、日々の生活でイヤな思いをしたり、傷ついたりするのは、誰にも多かれ少なかれあるものですね。
それが不憫で、一つ一つ避けさせようとすること自体が、不自然なことかもしれません。
それではどんな対応に変えたのか?また書かせていただきます。
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