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発達障害の息子を二次障害から守るため、ついに家出を決行!パン屋のおじさんの何も言わないやさしさに触れた日

予想外の出来事!夫に異変...


末期ガンの姑の在宅緩和ケアが半年余り続いた。
変化がとても苦手な息子にとって、相当なストレスになるのでは?
と、心配だった。

それは嬉しい誤算だった。
予想に反して、息子は気持ちのコントロールが以前より格段にできるようになっていた。

と、喜ぶのはつかの間!

夫がいつもの夫ではなくなっていた...

まるで別人になってしまった。感情がコントロールができない様子に愕然とした。(これは病気だ!)
姑が亡くなる頃、それがピークになってしまった。


息子と二人で家出!

恐れていた事態になっていった。
息子の心と体に変化が見られた。
頻繁に顔がピクピク動くようになり、腹痛を訴えてきた。

夫の前では無理して異常に明るく振る舞ってしまっていたが、そのうち夫の足跡や声が聞こえても震えるようになっていた。(暴力はなかったが精神的抑圧で)

これはマズイ!何とかしなければ!
姑の納骨が終わった翌日の夜、夫の目を盗んで息子と家を出た。


結婚生活35年目の気づき

家出中、たくさんの人に支えてもらい、励ましをいただいて過ごした。
約1か月のち、私と息子はようやく家に帰れた。夫は入院させた。

夫のことは今でも大好きだ。(書くのはちょっと恥ずかしいけど)
本当は毎日心配でしょうがない(T-T)
「今、どんな気持ちでいるんだろうか?」と。

結婚して30年余り、なんでも夫の言う通りにしてきたつもりだ。
夫にはとにかく楽しく機嫌よくいてほしいから。


私は夫に言われた通りにすること、喜んでもらうことだけに、自分の存在価値があると思っていた。

夫に無茶ぶりされても、それに応じていることに意義を感じていたように思う。そうでなければ、自分は夫にとって価値のない人間だぐらいにまで思っていたことに気づいた。

...それは間違っている。存在価値はそんなものではないはずだ。

夫の病気をきっかけに、夫婦の在り方を考えるいい機会になったと私は信じている。

「私さえ我慢すれば...」
いや、我慢などと思ってもいなかった。

夫に合わせていることで、私は充実していた。自分の考えとかが特になかったから。しかし、こんな思考で長いこと生きていれば、いつかどこかにしわ寄せがくるだろう。心や体に...


日曜の朝、パンを買いに行く日常が戻った

以前の記事にも書いたことがある。

毎週日曜日の朝、ちょっと車を走らせて朝食のパンを買いに行く、商店街の小さなパン屋さん。
そこには現在84歳のおじさんがいる。

「おじさん、おはよう!家に帰ってきました!」

おじさんとはもう15年くらいのお付き合いになった。
詳しく事情は話していないけど、敏感な人なので、おじさんは色々感じているような気がする。


「お~、おはようさん!帰ってきたんかいなぁ!」
とだけ言って、おじさんは何も聞かなかった。

その次の日曜日、おじさんは奥の冷蔵庫から何やらビニール袋に入っているものを出してきて、私に見せた。

「これはな、ブリのアラやで。一番油がのった頬の部分やからうまいで~!1回熱湯をかけて臭みを消してから、生姜と甘辛くたいて(煮て)や。」

おじさん、優しすぎるわ…ありがとう!
泣いたら車の運転ができないから、必死でこらえながら家に帰った。

息子は変化に継ぐ変化、ショックに継ぐショックで、一時的におばあちゃんの杖を借りて歩いていた日も数日あったが、順調に回復し、今はほぼ戻ったと言える。


今思うこと

私には予想もしないことが次々とやってくる運命があるというのか?!
それでも今まで何とか乗り越えてきた。

今回も簡単ではないけど、それでもなんとか乗り越えられると思って生きている。神様が私に何かを教えてくださっているのだと思う。

そして、今までの数々の経験は、どなたかのお役に立てる日が必ず来る!
そう信じている。

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