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D'Rica7のNY生活(NYでのMusic Life ジャーニーの始まり)

Jazz, HipHop, Neo Soul, Funk, Gospel...etc

日本で外国人タレントのプロドゥース兼マネージメントをしていた際に、ブロードウェイ・ミュージカル・スターのソロアルバムの編曲と演奏手伝いで何度か渡米。
NYの不動産会社での仕事で渡米したが住み始めた頃には全力で音楽をするほどの経済的にも精神的にも体力的にも余裕はない。
気力だけはあったので、精力的にネットワークに出かけることは惜しまなかった。ヒップホップやネオソウル系の人たちと一緒に仕事をする機会が増えたのでレコーディング・スタジオに入り浸ることは多くなった。
元々ジャズ・ファンク・ゴスペルやクラシック音楽が好きでそこから派生したヒップホップやアシッドジャズからのネオソウルなどには精通していたこともあり、またロンドン滞在時代に培った知識や人脈も相まってグラミー受賞プロドゥーサーらのプライベートスタジオに通うことが許されレコーディングにも何度か立ち会った。

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この年は特別な年だった、大統領候補だったオバマ氏の応援歌を作る手伝いをした際にはかなり鳥肌モノだ。ウッドベースでの音楽ラインをどうしたらいいかアドバイス求められ知り合いのベース奏者に連絡して一緒に作り上げていく作業。

オバマ大統領誕生…黒人初大統領!

オバマ氏が当選した時にはチャイナタウンにあったクラブ『Santos Party House』でヒップホップ界大御所のQTipらと一緒に黒人初の大統領を祝っていた。QTipはソロアルバムをオバマのために出したところだった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/Qティップ(ミュージシャン) アメリカ合衆国・ニューヨーク出身のラッパーであり、音楽プロデューサーでもある。伝説的ラップグループ「ア・トライブ・コールド・クエスト」のメンバーであり、彼自身のソロ・アルバムもリリースしている。
ア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)は、アメリカのヒップホップグループ。1988年に結成され、5枚のアルバムを発表した後、1998年に解散。デ・ラ・ソウルやジャングル・ブラザーズと並んでネイティブ・タン(Native Tongues)の中核グループのひとつであった。通称「ATCQ」

帰り道に他のプロドゥーサー友達から呼び出されて、彼の音楽スタジオに寄るとオバマがスピーチしていて私がサンプル作りを手伝った曲も流れた。私が感動している横で、プロドゥーサーは急いで弁護士に電話をかけていた。「これ楽曲使用料キチンともらって。俺には前もって使用されることを知らされてなかったよ」
自分の楽曲が流れることの喜びよりもシビアにビジネスをする姿にエンタメ業界の真実を見た。
この人のそばで仕事姿を見ることによりいろんなタイミングやビジネスのやり方を学んだ。グラミー賞はアルバム発売とノミネーションのタイミングが全てだということも学んだ。

この人は何個のグラミー賞を受賞しただろうか。
この人は全く人生で一度も音楽を学んだことがなかった。

楽器も弾けず楽譜も読めずコンピューターと自分の感覚だけでビートを作り上げていた。
他のヒップホップ系プロドゥーサーやネオソウル系は昔の楽曲をサンプリングしてビートを作った上に音を乗せていくやり方が多いのだがこの人はビート作りから一つ一つ丁寧に自分で音をひらって作っていた。
生音の打ち込みが必要だとその時だけミュージシャンを呼んで録音したモノをループして作ったりした。こうして作られたモノにシンガーなどが声をのせていく。どれも数ヶ月後にはビルボードチャート上位で名前を見ることになる楽曲だった。
しかし彼や彼のアシスタントをしていた人たちは2−3年すると音楽業界から足を洗いビジネスに転向した。弁護士になったり実業家になった。このプロドゥーサーも実はアイビーリーグ大学出身の秀才だ。今では博士号をあらたに習得して実業家として成功している。

NYでの憧れジャズ生活

ヒップホップなどのポップス系やメジャー音楽の世界に足を入れつつ,ジャズなど私のMusicルーツを忘れたことはなかった。

自分も幼い頃からピアノだけでなく歌も習っていたので、贅沢にもプロのジャズミュージシャンの演奏でピアノを弾いたり歌ったりとハーレムの老舗クラブなど出入りするようになった。
アップタウンには『リンカーンセンター』系のジャズクラブ、『ディジーズ』という『セントラルパーク』が一望できるちょっとおしゃまなジャズクラブがある。そこで演奏していたミュージシャン友達ら、ロニー・プラキシコ(Bs)ウィリー・ジョーンズ(Dr)らに招待されてグラミー賞ノミネートシンガー、『アーネスティン・アンダーソン』の演奏を聴きに行った。これまた雰囲気もさることながら圧巻。バンドで演奏していたピアニストの『ラファイエット・ハリス』や大御所『ヒューストン・パーソン』らと知り合う。

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アーネスティン・アンダーソン(1928年~ 2016年)はブルースも歌うジャズシンガー。グラミー賞には4回ノミネート。あたたかみのある、飾り気のない声で、自由に力強くスイングします。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Ernestine_Anderson

ハーレムの老舗クラブの一つ、『レノックス・ラウンジ』は女帝『ビリー・ホリデー』や帝王『マイルス・ディビス』らも通い演奏した歴史的ベニュー。そこで毎週オープンマイクを開催していたピアニストがラファイエット・ハリスで、彼の招待でレノックスに通うたびに、ひょんなことから毎週レノックス・ラウンジでプロの演奏に合わせて歌うようになった。そのうち、同じアップタウンにある『クレオパトラ・ニードル』でも歌ったり『スモーク』にも顔を出し始めて顔が少しは知られるようになるが人前で歌うことに慣れることはなかった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/ラファイエット・ハリス ラファイエット(またはラファヤッテ)・ハリス・ジュニア (Lafayette Harris Jr)[1]は、1963年5月29日生まれアメリカ合衆国のベテラン・ピアニスト,キーボーディスト,オルガニスト,プロドゥーサー,作曲家,アレンジャー,バンドリーダー,シアター・ミュージカル指導,教会での演奏やピアノ指導・教育に関わっているだけでなく最近では俳優としても活躍中。トニー賞受賞ブロードウェイ・ミュージカル『Bring in 'da Noise, Bring in 'da Funk 』[2]で副指揮やピアニスト・キーボーディストとして参加,4度に渡るグラミー・ノミネート・シンガーで世界中から愛されたアーネスティン・アンダーソン[9]の専属ピアニストとして知られているだけでなく,巨匠ライオネル・ハンプトンのビッグバンドの一員にも抜擢され当時大スターだったディジー・ガレスピー(Tr)との共演,マーク・ウィットフィールド(Gt)とハービー・ハンコック(P), ラヴィ・ コルトレーン (Sax) , シンディ・ブラックマン(Dr),デゥーク・エリントン・レガシー・オーケストラ,ロイ・ハーグローブ(Tr), ウィントン・マルサリス(Tr), パーシー・ヒース(Bs), ジミー・ ヒース(Sax), クリスチャン・マクブライド(Bs), ルイス・ナッシュ(Dr), ジミー・コブ(Dr), ティト・プエンテ (Per),ロズウェル・ラッド[10](Tb)らと共演。4度に渡るグラミー・ノミネート・シンガーで世界中から愛されたアーネスティン・アンダーソン[9]の専属ピアニストとして知られているだけでなく,巨匠ライオネル・ハンプトンのビッグバンドの一員にも抜擢され当時大スターだったディジー・ガレスピー(Tr)との共演,マーク・ウィットフィールド(Gt)とハービー・ハンコック(P), ラヴィ・ コルトレーン (Sax) , シンディ・ブラックマン(Dr),デゥーク・エリントン・レガシー・オーケストラ,ロイ・ハーグローブ(Tr), ウィントン・マルサリス(Tr), パーシー・ヒース(Bs), ジミー・ ヒース(Sax), クリスチャン・マクブライド(Bs), ルイス・ナッシュ(Dr), ジミー・コブ(Dr), ティト・プエンテ (Per),ロズウェル・ラッド[10](Tb)らと共演。最近は大御所アーチー・シェップ(Ts)やヒューストン・パーソン(ts)らのツアーメンバーとして活躍中。

大御所ミュージシャン友達でロンドン滞在時代に知り合ったのだが、NYへ引っ越してきてからもかなり仲よくしてもらっていた、ロイ・ハーグローブ(tr)。ブルーノートNY』でまだ彼らが若手だったころ、よく一緒にジャムセッションをしていた仲間たちで、今ではミドル〜オールドスクール系のジャンルに入るミュージシャンらが『レノックス・ラウンジ』にはよく集まっていた。聞くとマックス・ローチ(dr)アビー・リンカーン(Vo)カサンドラ・ウィルソン(Vo)アート・ブレイキー(dr)ライオネル・ハンプトン,ドナルド・バード(tr)フレディー・ハバード(tr)ドゥーク・エリントン(p)など早々たる名前がいっぱい出てきて、そのバンドマンとして共演しているミュージシャン達だった。レノックス・ラウンジにはアマチュアのシンガーやミュージシャンだけでなく、U2のボノやテレビで毎朝見る司会者や俳優、ブロードウェイ・ミュージカルスターなどがよく通って歌っていた。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Roy_Hargrove
グラミー賞を1997年自身のラテンジャズバンド、2002年に二種類の音楽(ジャズとヒップホップ)で奪取。現存するレジェンドとされるジャズ·ミュージシャンほぼ全てと共演している。中でも、デヴィッド・"ファットヘッド"・ニューマン、ジェイムス・クレイ、ボビー・ワトソン、シャーリー・ホーン、シダー・ウォルトン、フレディー・ハバード、ジャッキー・マクリーン、ジョー・ヘンダーソン、ベニー・ゴルソン、ジョニー・グリフィン、ハンク・ジョーンズ、ジミー・コブ、ハービー・ハンコックやソニー・ロリンズ等には特に気に入られ、ソニー・ロリンズは彼の為に彼の名前をそのままタイトルにした曲を捧げている。かのオスカー・ピーターソンも、人気者でヒッパリダコの、ロイをやっと捕まえたぞ!という意味合いのタイトルの曲を作曲している

2018年に急逝したロイ・ハーグローブとの思い出話は長くなるのでまた次で…

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つづく

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