おがわしょうじ

株式会社オガラボ代表の小川祥二です。

おがわしょうじ

株式会社オガラボ代表の小川祥二です。

記事一覧

セルジオメンデス

セルジオメンデスが亡くなった。 小6か中1の時初めて聴いた時、なんだかリズムが新鮮でワクワクして、女性ボーカルやサウンドがオシャレで、「これ、知ってる?」なんて友…

9

澤田隆治さんの個人的な記憶 そのに

2002年、澤田さんからお呼びがかかった。 社長に連絡があったのだが、 「お前行ってこい。頼み事あるみたいでよお、俺が行ったら逃げられなくなるからさあ。」 要するに付…

7

澤田隆治さんの個人的な記憶 そのいち

曖昧になっていく記憶をたよりに極私的な経験談を書いてます。でも、気分はヘロドトス。 少し前に、若い人のブログを読んでいたら(アイドル関係ね)驚いた。 「あたり前…

14

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのはち

やや離れた所から曖昧になってゆく記憶を辿っている。 あ、あくまで記憶ですからね。記録じゃあなくて。 そして「ドラマンスは 」は場所を変えて発信される。10月からはじ…

12

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのしち

やや離れた所から曖昧になってゆく記憶を辿っている。 あ、あくまで記憶ですからね。記録じゃありませんよ。 「スネークマンショー/楽しいテレビ」。出演は伊武雅刀、阿…

21

友よ

友よ 友よ。なんて臭いタイトルだよ。あえて臭くしているんだよねえ。 大学時代の友達なんかほぼいないのね。 バイトにお芝居に忙しくて出席日数足りないどころか、試験…

11

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのろく

曖昧で極私的な思い込みと記憶なのかしらん? 前回のをも少し詳しく。 竹中さんに声をかけた後、社長は「シティボーイズショー」を観るように勧める。 観終わってから、竹…

17

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのご

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどったり思い込みだけで書いてみる。 竹中直人さんが人力舎に入る経緯は諸説あるのね。 「お笑いをやりたがってる奴がいるので会って…

21

Uという女

その女とはシティボーイズがやった池袋PARCOのイベントで知り合った。仮にUとしておく。西武グループ系のイベント会社に勤めていた。 PARCO…、田舎者である自分にとって…

15

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのし

記憶。曖昧。適当。自分で聞いたやつだけ。 備忘録でしかないやつ。 「シティボーイズ」は人力舎所属する以前、何回か「シアターグリーン」でやっている。 ある回、市村さ…

15

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのさん

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。 前回でシティボーイズの名は、つかこうへい野球チームの名前だと書いたが(だってそう聞いたんだもん)、長谷川康…

18

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのに

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。 シティボーイズが人力舎に所属するまでを書いた。毎月決まったギャランティを保証することと定期的に舞台をやるこ…

19

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システムのこと そのいち

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。 「あの3人、食えないからお笑い芸人になるんだって。きた…

27

MUTE BEATとかマルセ太郎さんとか

J-WAVE深夜の「Tokyo M.A.A.D SPIN」は好きな番組。特に毎週火曜日の高木完さんの日はほぼ毎週聴いている。1月30日と2月6日は元MUTE BEAT のこだま和文さんがゲストだった…

8

ある新入社員

名前はNとする。何年だったかも忘れたのだが、ある日社員募集という情報を知ってある男が会社に来た。 社長面接を側で聞いていたが、真面目そうだが暗い雰囲気で喋りも訥…

7

はるか昔の地震の話

地震の記憶 1964年の6月16日新潟地震があった。13月1分。マグニチュード7.5。震度5だったという。 同年6月6日から11日迄新潟国体があって、うちには他県の陸上の選手が…

8

セルジオメンデス

セルジオメンデスが亡くなった。
小6か中1の時初めて聴いた時、なんだかリズムが新鮮でワクワクして、女性ボーカルやサウンドがオシャレで、「これ、知ってる?」なんて友達に聞きまくった。
同級生の富取くんちへ何人か集まった時に、そのレコードがあったので驚いた。
富取くんはなんでも知っていたのだった。
その後も「フールオンザヒル」やら「ルックオブラヴ」やらバカラックやビートルズの曲の斬新なアレンジで心掴ま

もっとみる

澤田隆治さんの個人的な記憶 そのに

2002年、澤田さんからお呼びがかかった。
社長に連絡があったのだが、
「お前行ってこい。頼み事あるみたいでよお、俺が行ったら逃げられなくなるからさあ。」
要するに付き合うのが面倒だからでしょ?
「あの人に会うの、緊張するんですよ。」
「俺もだ。」
次の日神楽坂にある東阪企画へ向かった。
神楽坂は高校時代同級生の牛腸くんが住んでいた街。ここでよく遊んだなあ。
早めに行って「三好弥」で日替わり定食ご

もっとみる

澤田隆治さんの個人的な記憶 そのいち

曖昧になっていく記憶をたよりに極私的な経験談を書いてます。でも、気分はヘロドトス。

少し前に、若い人のブログを読んでいたら(アイドル関係ね)驚いた。
「あたり前田のクラッカー」なんてフレーズが書いたあるのだ。
あんたの親も生まれてない時代のギャグだろ!
自分が観ていたのも子供の頃だったし。誰かがテレビで言っていたのかしら?
で、このギャグが生まれたのが「てなもんや三度笠」というコメディドラマ。

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのはち

やや離れた所から曖昧になってゆく記憶を辿っている。
あ、あくまで記憶ですからね。記録じゃあなくて。

そして「ドラマンスは 」は場所を変えて発信される。10月からはじまるTBSラジオ「景山民夫のスーパーギャング ピテカントロプスの逆襲」がそれ。月曜日25時から27時までの生放送。アシスタントは村上里佳子さん。
その中の26時からの30分が「ドラマンスラジオショー」だった。
景山さんは原宿ピテカント

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのしち

やや離れた所から曖昧になってゆく記憶を辿っている。
あ、あくまで記憶ですからね。記録じゃありませんよ。

「スネークマンショー/楽しいテレビ」。出演は伊武雅刀、阿藤海、竹中直人、シティボーイズ、中村ゆうじ、伊藤正幸(いとうせいこう)。脚本が宮沢章夫。
桑原茂一さんや、「スネークマンショー」に関してはもうすっかりコメントの余地もないほど有名ですよね。
自分はラジオ関東(現ラジオ日本)の時には聞いてな

もっとみる

友よ

友よ

友よ。なんて臭いタイトルだよ。あえて臭くしているんだよねえ。

大学時代の友達なんかほぼいないのね。
バイトにお芝居に忙しくて出席日数足りないどころか、試験の日も知らなくて休んでばかりで卒業まで7年もかかってしまったもんだから。友だちなんか親しくなっても先に卒業していなくなっちゃうんだもの。
でも、ま、今でも付き合いのある友人もいる。てか、40代になってから付き合いが復活した奴がいる。アイ

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのろく

曖昧で極私的な思い込みと記憶なのかしらん?

前回のをも少し詳しく。
竹中さんに声をかけた後、社長は「シティボーイズショー」を観るように勧める。
観終わってから、竹中さんは「自分はあなた方のコントが好きです。でも、自分よりもっと好きになった友人がいます。」みたいなことを言ってその友人が作家だと伝えたのだ。役者臭というか、演技を積み重ねていって笑いを作っていくというやり方に同志として魅力をかんじたん

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのご

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどったり思い込みだけで書いてみる。

竹中直人さんが人力舎に入る経緯は諸説あるのね。
「お笑いをやりたがってる奴がいるので会ってくれ」とディレクターに紹介されたと社長から聞いた気がする。
が、その話をしたら、「あいつ、人力舎に紹介したのはオレだぜ。」とミスター梅介さんに怒られたことがある。
錦糸町だか新小岩のスナックの営業で一緒になった時に「面白ぇ奴だなと思って玉

もっとみる

Uという女

その女とはシティボーイズがやった池袋PARCOのイベントで知り合った。仮にUとしておく。西武グループ系のイベント会社に勤めていた。
PARCO…、田舎者である自分にとっては完全にオシャレに響く魔法の言葉。
そのUは尋常ではない熱量でイベントを成功させようとしていた。台本があがってくるといちいち足を運んできて確認してくれといってくる。やたらリスペクト感強い。
実はわたし大ファンなんですよお。
と言っ

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのし

記憶。曖昧。適当。自分で聞いたやつだけ。
備忘録でしかないやつ。

「シティボーイズ」は人力舎所属する以前、何回か「シアターグリーン」でやっている。
ある回、市村さんに声をかけられて出かけていくと「予告編大会」みたいなものをやっていた。シティボーイズは冒頭に少し喋っただけだったと思う。呆れて記憶が曖昧になっている。これは色々な劇団が10分ずつ芝居のダイジェストみたいな予告編をやるだけというもの。知

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのさん

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。

前回でシティボーイズの名は、つかこうへい野球チームの名前だと書いたが(だってそう聞いたんだもん)、長谷川康夫さんの本「つかこうへい正伝」で興味深い記述を見た。
「劇団暫」の公演がない時頻繁に野球をやっていた。その野球チームの名を劇団主宰者の向島三四郎さんが「田園シティボーイズ」と名付けていたのだ。こちらの方がつかさんの野球チームより先だった。

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム そのに

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。

シティボーイズが人力舎に所属するまでを書いた。毎月決まったギャランティを保証することと定期的に舞台をやることが条件だった。
が、その頃の人力舎では、定額のギャランティーを支払っている場合は、実質「バンス」という形態になっていた。「バンス」=前借りですね。「上海バンスキング」なんてえ舞台も映画もありましたが、戦前戦中のジャズマンの用語でさありま

もっとみる

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システムのこと そのいち

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。

「あの3人、食えないからお笑い芸人になるんだって。きたろうさんが言ってた。」と市村朝一さんに聞いた。あの3人とは大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんのこと。共に「劇団暫」での自分の先輩だ。
当時東宝芸能に入っていた市村朝一さん。その前は田宮二郎さんのマネージャーをやっていた。劇団

もっとみる

MUTE BEATとかマルセ太郎さんとか

J-WAVE深夜の「Tokyo M.A.A.D SPIN」は好きな番組。特に毎週火曜日の高木完さんの日はほぼ毎週聴いている。1月30日と2月6日は元MUTE BEAT のこだま和文さんがゲストだった。
MUTE BEAT好きだったなあ。いろんなことを思い出したよ。

86年。シティボーイズに、渋谷で同時多発的にやるイベントの出演依頼があった。
オーバーヒートレコードという会社だった。
ミドリヤの店

もっとみる

ある新入社員

名前はNとする。何年だったかも忘れたのだが、ある日社員募集という情報を知ってある男が会社に来た。
社長面接を側で聞いていたが、真面目そうだが暗い雰囲気で喋りも訥々としていて、なんかなあ、コミュニケーション能力が低そうな雰囲気。
社長は採用するつもりだという。
いやいや、続きませんよお。暗いですよ。
「でもな、広島大学出てんだぞ、あいつはよ。」
学歴関係ないって、社長言ってたじゃないですかあ。それに

もっとみる

はるか昔の地震の話

地震の記憶

1964年の6月16日新潟地震があった。13月1分。マグニチュード7.5。震度5だったという。
同年6月6日から11日迄新潟国体があって、うちには他県の陸上の選手が泊まっていたりしてなんだか盛り上がっていたような気がする。
小学校3年生だった自分は、その国体で市内の小学生が強制参加されられた「雪ん子の春」なんてマスゲームが嫌でたまらなかった。
その頃は友達もいなく孤独だった。もともと

もっとみる