シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システムのこと そのいち

シティボーイズとラジカル・ガジベリビンバ・システム

だんだんと曖昧になっていく記憶をたどって書いてみる。

「あの3人、食えないからお笑い芸人になるんだって。きたろうさんが言ってた。」と市村朝一さんに聞いた。あの3人とは大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんのこと。共に「劇団暫」での自分の先輩だ。
当時東宝芸能に入っていた市村朝一さん。その前は田宮二郎さんのマネージャーをやっていた。劇団暫の役者から制作に転向していて、よく着ぐるみショーのアルバイトを斡旋してもらっていた。楳図かずおさんと一緒に「まことちゃんショー」で地方を回ったこともある。NHKのドラマのオーディションにも呼ばれた。「ヒゲは剃ってね。」なんて言われて。
そんなこんなでたびたび連絡はとっていたのだ。
カッコ悪いことが大嫌いな大竹さんが芸人なんかやるのかなあ?と半信半疑だった。

何ヶ月かして初めてシティボーイズのお笑いネタを観た。渋谷のNHK近くにある「轟二親(くわにちか)」という靴を脱いで上がる小さいスペース。初ライブだったような記憶がある。
客席には自分の他に、デビューしてもうすでに有名になりかけていた名取裕子さん。担当マネージャーの市村さんが連れてきていた。東京乾電池の柄本明さんと一緒に角替和枝さん。後に結婚するとは予想だにしなかった。石丸謙二郎さんもいた。和枝さんと石丸さんも「劇団暫」で一緒に舞台を踏んでいた。他にも数人がいたが、客席はほぼ知り合いしかいなかったように思う。
コントに漫才。ちょっとタガをはずしたような演出もあったのだが、正直言って、なんだかカギ括弧付きの「芸人」を演じているように見えて、窮屈そうな印象が残った。
すいません。やっぱりお芝居で笑いをとっていた時の方がカッコよかったなあ。
終演後そのまま会場で軽く打ち上げになった。「どうだった?」と聞かれた。
「面白かったっす。」と答えた。
ホントに芸人になるんですか?なんて聞けなかった。
酒の飲めない大竹さんと斉木さんは早く麻雀に行きたそうだった。
そのあと「飲み直そうぜ」と台湾料理の名店「麗郷」へ何人かと行く。腸詰がうまい。柄本さんの毒舌が炸裂する。シジミのニンニク炒めがうまい。汾酒で石丸さんが火を吹く。和枝さんが酔っ払ってケタケタ笑い始める。チマキが美味い。
シティボーイズのネタの評価は演劇人からはイマイチだったのだ。
でもこの時代の人たちは何を観ても批判的だったよなあ。心の中では認めていても。

初期のネタは、きたろうさんが主に書き、それを稽古段階でアドリブとかを足して全員で膨らませながら作り上げる方法をとっていた。エチュードで作り上げるものに、つかこうへい的なエッセンスを足すようなやり方だ。「劇団暫」でもそのやり方をとっていた。だいたい「シティボーイズ」というトリオ名は、つかこうへいさんの野球チームの名前からとったものだったし、影響力は大きかったのだろう。

轟二親の後、自分も誘われて稽古を何度か覗きに行ったことがあった。
「代わりにやってみて」と言われ自分もエチュードに参加したこともある。ひさびさだったのだがコント作りは楽しかった。
稽古終わりに、「お前も、四人目としてシティボーイズに参加するか?」と、きたろうさんに言われた。うれしかったが「滅相もない」と答えた。芸能の世界なんて、そんな厳しい世界は自分の性格には絶対に無理だと思っていた。
その後3人が人力舎に入ったと、これまた市村さんに聞いた。そんなふざけた事務所の名前なんか聞いたこともなかった。

初期の人力舎の精神的支柱はマルセ太郎さんという芸人だった。浅草では異端の存在。反骨の人でもある。
そのマルセさんから、「よく俺の話を聞きに楽屋に出入りしてくるいい芸人がいるんだよ。しょっちゅうメシをご馳走してあげてな。いろいろ話を聞いていると、なかなか見どころありそうなんだよ。うちにどうだろうな?」と聞く。
そのコンビは社長がペーペーの頃から知り合いの吉川さんという人が預かっているとのこと。吉川さんは主にマジシャンの斡旋をしている人。社長が前の会社をやめると聞きつけて麻雀に誘い退職金をごっそり巻き上げたひでえ奴でもある。三日も家に帰って来なかったので社長の奥さんが赤子を抱えて雀荘まで迎えに来たという。
早速話を聞きに行く。するとその芸人のコンビは会社に借金が160万あると。玉ちゃんなら半分の80万を払ってくれたら譲るよ、と。80万…、高いなあ。でもまあ他ならぬマルセの推薦だ。早速浅草まで観に行ってみた。
で、感想。
「早口すぎて何言ってるかわっがんね。日本語大切にしない芸人いらんわ。」
で、マルセさんへの体裁もあるから、太田プロの「チュウさん」に電話する。
「オタクで引き取ってくんない?」
それでそのコンビは太田プロに所属することになった。
直後、世の中に突如漫才ブームと呼ばれる現象が起きてそのコンビは大スターになってしまった。
ツービートだった。
マルセさんの推薦はちゃんと聞いとかないとねえ。
前置きが長くなってしまったが、次にマルセさんが推薦してきたのがシティボーイズなのだ。もう社長は自分で観にくことを放棄して五木さんというマネージャーに代わりに観に行かせた。六本木にある「夕雨子」というスナック。ここは日劇ミュージックホールのダンサーの水原さんという女性が経営していて、何か公演をやる時には「PlayHouse夕雨子」と名を変えていた。多分3人が客演していた劇団「空間演技」の岡部耕大氏の紹介じゃないかなあ。ここでの公演は、構成・演出で「青年座」の鈴木完一郎さんの名前が明記されている。演劇臭がプンプン匂ってきますなあ。きたろうさんも本名のままだし。自分は観てもいないんですがね。
で、五木さんは、
「よくわかんないけどまあわるくはないんじゃないかなあ。」
「じゃあ入れちゃおか。とりあえず会ってみよう。」

こういった交渉はとりあえずリーダーの大竹さんが前にでる。
ネタ作りも方向性決めも実際はきたろうさんこそがリーダーだった。年齢も上だし。だが、ボケよりはツッコミ役の方がリーダーっぽいだろうということで大竹さんをリーダーとしていた。顔も怖いし。
で、大竹さん、交渉の際にそうとうふっかけた。
提示された毎月のギャラの倍よこせ。俺たちは舞台出身だから定期的に舞台をやらせろ。
だいぶトンガっていますね。
よくそれを社長がOKしたなあ。今考えても不思議でしょうがない。何かを感じたんでしょうかねえ‥。
ギャラのことはよく知らないが舞台の方は定期的にやっていた。
それが「シティボーイズショー」だった。

つづけ。

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