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ピラミッドと大都会の喧騒と 〜 エジプト, ギザとカイロ, 1983年10月18-26日(写真34枚)

1983年4月26日に日本を発ってから 6ヶ月, ここまでの振り返り

3週間のパレスチナ/イスラエルの旅を終え, イスラエルによる軍事占領下のパレスチナ・ガザ地区を出て陸路 エジプトに向かって, シナイ半島を越え, スエズ運河を渡って, 首都カイロに着いたのが, 1983年10月18日。それから 8日後に カイロを発って, あの旅で初めて飛行機を使ってトルコ最大の都市イスタンブールを再訪したのが, 10月26日。横浜港をフェリーで発って2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに向かったのが 同年4月26日だったから, 8泊9日滞在したエジプトを出国した時に, 日本を発ってからちょうど半年経過していたことになる。

1) 1983年4月26日 に日本を発って, ソ連から北欧を旅し, さらにヨーロッパを南下, イタリアの旅に至るまで, 日本を出る前についての note と旅の間の各国各都市の旅 note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第3章以降に

2) 1983年7月11日 から 30日間滞在した ギリシャ(アテネとサントリーニ島)の旅 note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第2章に

3) 1983年8月11日 にギリシャ・アテネからの2泊3日の列車旅でトルコ・イスタンブールに着き, その日から同年9月28日 までのトルコシリアヨルダンの旅, その各国各都市の旅 note は, 以下リンク先 note 及びその第2章(note リンク)。

4) 1983年9月28日, ヨルダン川を渡って イスラエルによる国連安保理決議違反, 軍事占領下のヨルダン川西岸地区に入り, パレスチナ/イスラエル 3週間の旅を開始。

5) パレスチナ/イスラエル 3週間の旅 note 15本は, 以下リンク先 note とその第1章に付したそれぞれの旅 note へのリンク

イスラエルによる軍事占領下のパレスチナ・ガザ地区を発って, 陸路 エジプトの首都カイロへ 〜 1983年10月18日

.. その詳細はですね, 前章 5) の note の中の第5章 被占領地パレスチナ・ガザ地区を発ち, 占領者イスラエルの腹立たしくも厳しいチェックを経て, 陸路, 次の目的地エジプト・カイロへ 〜 1983年10月18日(旅日記6ページ) に記載してあります。

今年4月から始めた, 1983-84年のユーラシア大陸「ほぼ一周」(まぁ「ほぼ」だし, それに今日のこの note の通りでアフリカ大陸の一角を占めるエジプトにも行ったから「ユーラシア大陸」ばかりでもないね!)の旅 note 連載の中で, どの国からだったか, トルコの途中からだったか, シリアからだったか, それまでも時々掲載していた当時の旅日記に関して補足説明など付けて殆どの頁欠かさず載せるようになって, エジプトに入る前の パレスチナ/イスラエル 3週間の旅 note 15本のそれぞれにおいても, 個人情報的なところを除いて旅日記の殆ど全て(完全にだったかも)の頁を掲載していた。

で, この note 投稿形式(カタイ言い方だな, 笑), 投稿してる方はちょっと疲れる。エジプト, カイロ滞在中の 8泊9日の間も, パレスチナ/イスラエル を旅していた時と比べるとだいぶ字数は減ったものの, それでもやはり日々の見聞, 人から聞いたこと, 他の旅人の面白い話など, 毎日けっこう沢山, 日記に書いている。いま捲ってみたら, カイロに着いた日の翌日 1983年10月19日からカイロを発った同年10月26日までで, その間に書いた旅日記は23ページに跨る(パレスチナ のガザ地区を発って陸路 エジプトに向かいカイロに着いた同年10月18日の1日分を加えると 29ページになる)。

面白い逸話が色々あるんだけど例えばカイロの安宿で同室だった旅人たち・バックパッカー仲間にも面白い人間が多くて(まぁ自分も面白い奴だったのかもしれないけれど, 笑), 真っ先に思い出すのはアイリッシュ・カナディアンのプレイボーイのこと, 気さくでいい奴だった彼, カイロの博物館で, 映画製作の仕事で来ていて我々の宿とはクラスが月とすっぽんの差のヒルトンホテルに泊まってたブリティッシュ・アメリカンの女性と知り合いヒルトンでディナーご馳走になったりして, 後日 彼に誘われてその彼女も含めて一緒に街のレストランに行ったら彼女は職業は女優ではないのだが超のつく美人, で, その日の夜そのアイリッシュ・カナディアンは俺たちの安宿に帰って来なかった, 翌朝帰ってきたけれど「ヒルトンの朝めしは美味かったよ」だと, 要するに超安宿滞在中の貧乏旅行バックパッカーが旅先で知り合った美女が泊まってるヒルトンの豪華な部屋に「出張」してその美女と夜を共にしてきたってわけで, とにかく面白い奴だった, 長いなこの括弧, 笑), そんな旅人仲間複数の面白話や, 肝心のカイロの街の様子, ギザのピラミッドでの見聞などなどのキリない四方山話は, いつかまた, あらためての note に掲載したい!

エジプト・ギザのピラミッド 〜 写真19枚

カイロを発ってギザを訪れ, ピラミッド見聞, ここを歩いたのは, 1983年10月22日。ピラミッドはとにかく凄い。「凄い」としか書かないとボキャ貧 note になってしまうけれど, 当然ながら, 一見の価値は十二分にある。ってことは十二見の価値がある(笑)。とりあえず, ピラミッドの解説は何処にもある, ここではその類は書かず, ただただ, 38年前に撮った写真だけ。 

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19) 古代エジプトに想いを馳せ, 考古学的瞑想(なんだそりゃ, 笑)に耽りながら歩いていたら, ありゃりゃ, 現代エジプトの喧騒の街が視界に入ってきた。

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さてさて。

エジプト・カイロ, 大都会の喧騒と混乱と, モスクとナイル川の静けさと 〜 写真15枚

人類の古代4大文明の一つ(4大でよかったっけ? 笑), 古代エジプト文明はナイルの賜物。で, 現代エジプトの首都カイロの都心部はナイル川の右岸, 地図上の東側に位置していて, カイロから見てナイル川をはさんで対岸の西側・近郊にあるのが, ピラミッドで世界的に超有名なギザの街。ギザにある, 古代エジプトが現代の人類に誇るピラミッドを観に行って, そこで撮った写真19枚は前章。

本章では, 現代(と言っても今から38年前の!)エジプトの首都カイロの街で撮った写真15枚をば。

時は流れ, 歌は世につれ世は歌につれ(ありゃ, 読点の後ろはここでは殆ど意味ない, とはいえエジプト・ギザ・ピラミッドで単純に連想するを次章にて ♫)。

1) 博物館。そりゃ勿論, 見所満載。

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3) 「現代エジプト」の首都カイロはとにかく, 喧騒(と混乱)の街 .. だった。2021年の今はどうなってるのかな?

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6) モスク。紀元7世紀生まれの宗教イスラーム。比較にならぬほどの遥か古(いにしえ)のピラミッドの時代には, この地には .. この宗教はなかったんだよな。

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7) ホテル(言わずもがな安宿)の近くの店のオヤジさん。サンドイッチや飲み物を売っていた。で, 俺が気付くまで, 料金「ぼってた」。ぼる, 言いますよね。アラビア語の数字が読めるようにしてからアラブ圏内を旅してたので, メニュー版の数字を見て途中で気づいたのだ。勿論, 抗議して正規の料金に戻させた。わるいことしちゃ, いけませんぞ。

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8) 大都会。喧騒。渋滞。騒音。カイロ。

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14) おお, ナイル。

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15) 残念な風景。建物の屋上などにゴミとかが捨てられているような光景は, ヨルダンのアカバでも見た。アラブ圏内の何ヶ所かで見たような気がする。当時の感想をアカバ note で書いてるんだけど, ここではもういいや。2021年の今の気分じゃないけど, 38年前の気分を思い出すと, けっこう疲れてた。不快な疲れではないけれど, 旅の疲れ。こういう風景を見て, どんなふうに感じてたかな, あの日。いずれまた, 旅日記 捲ってみよう。

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さてさて, 

今日も今日とて, note の締めは音楽で。

太陽神, All 'n All 〜 Earth, Wind & Fire ♫

なんたって, アルバムのカヴァーを見てもらいたい(笑)。Earth, Wind & Fire のこのアルバム All 'n All は, 1977年11月21日発売。今日は 2021年11月15日だから, あと6日で,リリースから 44周年になる。自分は高校2年の時で, ラジオで収録曲を聴いてだったか, 何が切っ掛けだったか最早忘れているけれど, 当時とにかく気に入って直ぐにアルバムを買った, もちろん LP ♫ 

アルバムの邦題は「太陽神」だった。で, Fantasy, Jupiter など日本でもかなりのヒットを記録した曲が収録されていて, 勿論その2曲も好きだったけれど, 自分が一番好きな曲はオープニング・トラックの Serpentine Fire だった(この曲も例えばアメリカ合州国では大ヒット曲の一つ)。この曲は邦題が「太陽の戦士」になっていて, アルバム・タイトルの邦題と同じく「太陽」が入っている。太陽, 太陽, なんつーかちょっと笑えるけれど, でもアルバム全体のイメージにも合っていたのかもしれない。まぁ邦題ってのはもともと直訳じゃない独特の世界なんで, それを差し引いて考えれば, わるくない邦題だったのかも。

Serpentine Fire という原題のニュアンスは解釈がちょっと難しい.. かな。今まで深く考えたことなかったけれど, "Serpentine" の可能性ある色んな意味を踏まえつつ, それを歌詞の中身と照らし合わせてみないと, 上手く掴めない(まぁ当たり前か)。そのうち考えてみよう, と思いながらも, 今日は歌と歌詞を載せるだけ。

Serpentine Fire 〜 the opening track from Earth, Wind & Fire's eighth studio album "All 'n All" released on November 21, 1977 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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