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「卒業」(1967年) 〜 原題は The Graduate だから 「卒業生」 なんだけど、邦題はまぁあれでよかったのではないかと思う


前説

昨日、ちょっとした切っ掛けがあって、この懐かしい映画のいくつかのシーンを YouTube から拾って観ていた。若者世代(大抵こういう場合、1960年生まれの筆者は 1980年代以降の生まれの人を想定しているような気がする)の日本人にはもうあまり知られていない映画かもしれない。映画好きという人でこの映画を知らない人は、世代を超えて少ないと思うが、一般的には、若い人にはもうあまり有名な映画ではないんじゃないかと思っている。

後述するけれども、ある意味で普遍的なテーマを扱っていながら、舞台設定や時代背景的には特殊な「時代性」のある映画で、1960年代後半のアメリカ合州国(以下、アメリカ)で生まれた映画ながら、そのアメリカという外国の特定の時代の空気を、太平洋を挟んだ先にある、彼らからしたら「極東」(しかし太平洋を挟むと地図上、文化論とは関係なく地理的に「極西」にも思えてくるなぁ)の島国・日本の人たち、とりわけ当時の若者たちが吸っていて、公開直後から 1970年代初期もしくは半ば辺りにかけて日本でも人気を博した、そんな映画だったんだと思う。

1967年の映画と投稿タイトルに書いたけれど、アメリカでの公開が 1967年12月のことで、日本では 1968年6月だったようだ。そのくらいの遅れは当時はそう珍しいことではなかっただろうけれども。そもそも、主人公ベンジャミン・ブラドックを演じたダスティン・ホフマンやエレイン・ロビンソン役のキャサリン・ロスはまだ新人の俳優だったし、ミセス・ロビンソンを名演したアン・バンクロフトも、当時この映画の公開前の日本では有名ではなかったんじゃないかと思うし、日本の映画配給会社の詳しい事情はよく分からないが、半年ほどの公開時期の違いには、そんな背景もあったかもしれない。

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もっとも、映画の中では多くの重要な場面で「サウンド・オブ・サイレンス」をはじめとするサイモンとガーファンクルの複数の名曲が使われていて(ただし「ミセス・ロビンソン」についてはリリースされた時期は映画「卒業」のアメリカでの公開の後のこと)、アメリカのポピュラー音楽史にいつまでも残りそうな稀代の名デュオは当時の日本でも既に有名で、というかかなりの人気を誇っていたデュオだった。だから、それだけでも話題性がありそうで、今の時代なら確実に日米同時公開の映画、ということになるんだろうけれど、まぁしかし、やはり当時はアメリカ映画の日本での公開ってそんなものだったのかな。

公開時期の話、今日のこの投稿の中では大したトピックではない。にもかかわらず、だらだら長々と書き過ぎた。先月の 911 に還暦を迎えた筆者、思春期の頃から続いている既に半世紀ほどの饒舌(冗舌、多弁、調子良い時は能弁、雄弁、ただし詭弁は一切しないと思うよ)の癖から、いまだ「卒業」できない。

次の章のテキストは、今から 17年前の夏、2003年8月だから、42歳の終わり頃の時期に、当時よく更新していた自分のホームページ上に載せた筆者のテキストの転載です(そこに映画「卒業」の幾つかの懐かしのシーンから写真や映像を併載)。

The Graduate 〜 「卒業」 (1967年 アメリカ映画)

公開時期は、前の章でも書いたようにアメリカでは 1967年12月、日本では 1968年6月。

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(2003年8月3日 記)(2003年8月4日 追記)

監督 : Mike Nichols
主演 : Dustin Hoffman, Katharine Ross, Anne Bancroft
音楽 : Paul Simon (Simon & Garfunkel), Dave Grusin

「卒業」です。僕も属すある特定の世代には何の説明の必要もないかもしれません。これが別の世代だとこの2文字で誰かの流行り歌を思い出す、しかもその誰かが世代によってまた変わったりする。これだから、「時代は変わる」のですね。

たしか未だ僕が小学生だった頃、薄汚れた服を着たダスティン・ホフマンのベンジャミン・ブラドックが、教会の窓ガラスを外から叩きながら「エレーーン!」と叫び、一瞬の静寂の直後に、結婚式真最中のウェディング・ドレスを着たキャサリン・ロスのエレインが「ベーーン!」と応えるシーン、この超有名なシーンが、何かのテレビ・コマーシャルで流されていました。何のコマーシャルだったのかなんて、もう憶えていません。どこかのメーカーのチョコレート辺りだったかもしれません。

(以下はその日本のテレビ・コマーシャルではなく、映画の件のシーン)


昔はたぶん、日本のほとんどの田舎町に映画館がありました。人口2万余の僕の故郷の町にも、映画館があり、夏になると怪獣映画や怪談映画を観に行ったものです。

僕が小学校を卒業する頃か、卒業して中学に入るまでの間ぐらいだったような気もします。そんな僕の田舎町の映画館に、何とリバイバルの「卒業」がやってくる(既にその時点でリバイバルでしたからね)。町内には「卒業」のポスターが貼られたり、立看板も出ていたように思います。僕と何人かのませガキ仲間は一緒に観に行く約束をしていました。そして、本当に観に行きました。行ったのですが、その間に僕の町の映画館は廃業に追い込まれてしまっていました。子供の僕らには想像もしてなかったことなのですが、もう営業していなかったのです。その日、既に僕の町には映画館はなくなっていたのです(建物は未だあったはず)。結局、「卒業」は僕の町にはやって来ませんでした。何だか切ない、淡い思い出です。

中学になって、僕は早川書房辺りが出していた(と思うんだけど)「卒業」の原作小説の文庫本を買って(買ったのは3歳上の僕の兄貴だったかもしれません)、熱心に読みました。読んでる時も、頭の中で描かれるベンジャミンはダスティン・ホフマンの顔をしていて、エレインはもちろんキャサリン・ロスでした。時には、頭の中で、サイモンとガーファンクルの音楽が流れていたかもしれません。サウンド・オブ・サイレンス、ミセス・ロビンソン、スカボロ・フェア・・・。僕にとっての「卒業」についての文章の中では、こうしてカタカナで書いた方がしっくりきます。

この映画にはサイモンとガーファンクルの音楽がたくさん使われています。当時の僕の感覚からすれば、S&G でも Simon & Garfunkel でもなく、「サイモンとガーファンクル」です。彼らの音楽は僕にとっての洋楽とか青春(!?)みたいなものの入口で流れていたものでした(ま、その前もチャールズ・ブロンソンが出てたマンダムのCM音楽とかショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」とかも懐かしいけどね、笑)。この映画、改めてウェブでチェックしたら、デイヴ・グルーシンも音楽に関わっていることを知りました。何か他の挿入曲とかかな・・・。確かにわりとあるよな。まぁでも僕の「卒業」にとっては、音楽はサイモンとガーファンクルの話題で十分でしょう。


未だ若手というか新人みたいなものだったダスティン・ホフマンの名演は間違いないし、その後の彼のキャリアは言わずもがなだけど、キャサリン・ロスの清廉なイメージも、本当にエレインにハマリ役でした。最初はエレインに興味なかったベンジャミンに無理矢理ストリップ劇場に連れて行かれ、最前列に座らされて涙するシーンは印象的でしたね。キャサリン・ロスは後年は銀幕に登場しなくなってしまったんじゃないかと思うけど、「明日に向かって撃て」なんかでも良かったな。ポール・ニューマンの自転車に二人乗りして、「雨にぬれても」が流れるシーンなんて・・・。あ、話が別の映画に行っちまった。


(以下はもちろん「卒業」でなく、"Butch Cassidy and the Sundance Kid")


冒頭に記した、日本のテレビ・コマーシャルにも使われたシーン、映画では、その後ベンはエレインを教会から連れ去ることに成功し、そして二人は通りかかったバスに飛び乗ります。二人がバスの一番後ろの席に座ると、バスが動き出します。そこで二人がお互いを見合って、微笑むんだね。いいラスト・シーンでした。ここでサウンド・オブ・サイレンスが流れるんだっけ?

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ここで、この一文、いや二文の段落と以下、合わせて 2段落のみ、この note 投稿に際しての加筆。だいぶ前から思っていることなんだけど、書いておこうと思う。

二人は上に書いたように「微笑む」んだけど、その後の二人の表情、動きも最後まで印象的なのだ。二人の顔からやがて微笑みは消え、月並みな言い方をしてしまえば、一つのことから「卒業」し、短いひとときの解放感を味わった後に不意に襲ってくる、将来への期待・希望だけでなく「その先」への不安を思わせるような二人の表情。後で少し繋がりがあるようなことを書いているけれど、こういう「卒業」、「ひとときの解放感」、「期待」、「希望」、「不安」とかいったものは、なにも若者だけが経験し、味わい、感じることができる彼らの特権的なものなどではなく、歳を重ねてからも「ある」ことなのではないかと思っている(ただ、やはり若者だからこそ持つ感性と人生における意味合いの濃さの上で、若い時だからより強く感じる類のもの、とは言えるのかもしれない)。

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(以下は、映画「卒業」のラスト・シーン)


今考えれば、ミセス・ロビンソンを演ったアン・バンクロフトは相当な名演だったと思うな。って改めて思うんだけど、実際この「卒業」は 1967年のアカデミー賞の作品賞、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞と実にたくさんノミネートされていて、主演女優賞にノミネートされてるのはアン・バンクロフトみたいですね。キャサリン・ロスは助演女優の方。ストーリー展開的にはそれが正しいかもしれませんが、そのエンディングの方だけに注目すれば、ちょっと意外な感じもします。主題からすればこうなるんだろうな。流石にちゃんと考えてノミネートしてるもんですなぁ(笑)。(ちなみにオスカーを最終的に受賞したのは監督賞のマイク・ニコルズだけだったようです。)



当時の時代が生み出した映画という感じです。今的な感覚で見ても、リアル・タイムな感覚で感動するという種類の映画ではないと思います。その時代が生み、とりわけその時代の特定の世代の心を動かした映画だと思います。言うまでもありませんが、「卒業」という言葉は、大学を優秀な成績で卒業したベンジャミンという主人公の設定がまずありますが、それは設定であって、もっと広い意味を象徴しているものでしょうね。「卒業」って学校だけでなく、他のいろいろなものからも「卒業」するケースに使える言葉とか概念になりますが、「卒業」するってことはまた始まるんですね、何かが。何が始まるかわからないけれど、何かが始まるんだ。言ってみれば、そういう終わり方だと言えるかもしれません、この映画も。青春映画みたいなものの一つの典型かもしれないですね。

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ところで、田舎の映画館が廃業になって「卒業」を観れなかった僕は、上に記しましたがその後原作小説を読み、そして結局、テレビでこの映画を観ることになります。中学を卒業するよりは前だったと思います。高校の頃も観たような気がします。そして大学に入り、大学を卒業しましたが、もしかしたら、結局のところ映画館では観ていないかもしれません。記憶に無いのです。そして、今現在は中年オヤジに至っている僕ですが、今現在の中年オヤジの僕は、未だに何かから「卒業」できていないように思い、苦しい気持ちになったりしています。まぁこれはこの映画の具体的なストーリー自体とは全然関係ないけどね。卒業って言葉そのものは、どうも深い言葉なのかもしれません。

追記: アップしてから何故か気になったんだけど、THE GRADUATE って原題は厳密には「卒業」じゃなくて「卒業生」ですね。ま、しかし邦題が「卒業」だったのは、これはこれで良かったんじゃないでしょうか。直訳して正確に語感が伝わるってもんでもないしね。含意しようとするところには大差ないように思います。

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「今的な感覚で見ても、リアル・タイムな感覚で感動するという種類の映画ではない」とか、あるいは「その時代が生み、とりわけその時代の特定の世代の心を動かした映画」とか書いているけれど、まぁ確かにそうなんだけど、しかしやはりこれも書いたように、「卒業って言葉そのものは、どうも深い言葉なのかもしれ」ず、というかおそらく深い言葉で、そんなことを踏まえながら、時代や国の文化、登場人物の生活環境などを超えて(越えて、と書いた方がしっくりくるかも)普遍的に映画のメッセージを受け取るのなら、先に書いたような制作・公開の時期から影響を受けた「時代の感覚」みたいなものを楽しむだけでない楽しみ方ができる、今の、あるいは観る側が歳を取ってからのその時の自分に即した感動の仕方ができる、そんな映画ではあると思う。

直前の段落の上の ..... より上については、半ば辺りで特記した 2段落と写真や映像以外は、筆者が以下のリンク先に掲載してきたテキスト、2003年8月3日に自分のホームページ上にアップした筆者自身のテキストからの転載です(最後の追記は 2003年8月4日)。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けします(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、笑)。


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