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私の家庭教師

高校一年生の冬頃、私は自分の力だけでは成績アップは厳しいのではないかと思い始めた。

そもそも私は幼稚園~中学一年生まで進研ゼミを
小学校五年生~六年生まで公文をやっていた。
中学時代は三年間塾に通っていた。

 
常に予習をし、誰かに勉強を教わっていたからこそ私は成績をキープしていたのだ。
もともと飲み込みは悪い。
進学校の高校で独学は限界だったのだ。

  
姉は塾も何も行かずに高校生活の勉強についていけていたが
私と姉は違う。
そもそも姉は、私が落ちた高校に、私が受験した時よりも高い倍率の中、合格した人だ。
しかも、そんな進学校で国語一位の人だ。

姉妹でも、私と姉は出来が違う。

 
 
そんな時だった。
ある日帰り道でクラスメートが、私に言った。

友「私ね、もう国公立諦めて、私立大推薦を狙っているの。」

私「推薦…?」

友「内申点さえクリアしてれば、私立大推薦してもらえるよ。センター試験や一般入試はその日の勝負になっちゃうから、それよりもコツコツ勉強して推薦で合格決めたいなって思う。」

彼女は私と同じような立ち位置だった。
トップクラスに在籍していたが
私と同じように、上位の成績ではなかった。

 
 
私は推薦について考えたことがなかった。
というより
それまで、大学の推薦入試について知らなかった。
もう行きたい大学は決まっていたし
その大学に向けて勉強を頑張るだけだと思っていた。

 
中学校の頃は5段階評価だった。
どんなに高得点をとっても、私より高得点の人がいれば5はとれない。
各評価の割合は決まっているからだ。

 

だけど、高校は違う。
高校の評価はテストの点数が重視された。

中間テスト + 期末テスト ÷ 2

の点数が何点かによって
評価は決められた。
私より高得点の人がいようがいまいが関係ない。

自分が学期ごとに各教科が何点か

ただそれだけが問題だ。
自分が一定の点数さえとれれば、5段階評価の5をとることが可能だ。

 
そして、成績表が良ければ良いほど、推薦入試の資格を得ることができる。

 
 
私は友達と帰り道で別れてから自分なりに調べて、私もそれしかないと思った。

高校受験失敗した私は、入試で人生が左右される恐さを十分に知っていた。
内申点は悪くなかった。悪くなかったけど、当日の失敗がまずかった。
そして私はプレッシャーに弱い。

 
だが、推薦入試の資格を得られたらどうだろう。
推薦入試で合格しちゃえばこっちのもんだ。
仮に不合格でも、私立ならばその後、センター試験やA入試、B入試と、合格チャンスはたくさんある。

学年で100位以内に入ることは難しいが
自分の成績を上げることならばなんとかなるかもしれない。

そして、あくまで高校は大学へ行く為の道だ。
高校は失敗したけど、絶対に大学は本命に受かってやる。

 
 
私は決心し、内心ドキドキしながら、その日の夜に両親に切り出した。
思いたったら吉日だ。

「あのさ……家庭教師をつけてほしいんだ。塾だとダメだ。みんなと差がつきすぎている。個人的に教わりたい。それでこっそりとみんなに追いつきたい。もう、私だけの独学じゃ、みんなに勝てないんだ…。」

「でも、私立は学費が高いし、交通費が高いのも分かっている。これ以上負担かけるのは本当に心苦しい。だけどお願い。どうしても、大学受験こそは合格したい。」

 
そんなことを私は両親に告げた。

姉は公立高校で近場で交通費が0。
姉は塾も家庭教師もつけずに、成績が良い。

 
妹はひたすらに出来損ないで申し訳なかった。
手間もお金も姉の倍はかかる。
だけどもう、これしかないと思った。
今を脱却するには、家庭教師しかない。

 
「いいじゃない。いくらでも出すわよ。」

「お金のことは気にするな。その為にお父さんもお母さんも働いているんだから。」

「頑張って勉強して、行きたい大学に行きなさい。」

 
両親は、反対しなかった。
嫌な顔一つしなかった。
昔からそうだった。

「やりたいことはやりなさい。お金は惜しまないから。」

と言って
夢を応援してくれる両親だった。

 
私は半泣きになりながら、「ありがとう。頑張るから。絶対負けないから。」と親にお礼を言った。

 
 
 
そうして、高校二年生になる手前で、私はその先生に出会った。

スタイル抜群な美人で、成績優秀。
理系の有名大学に通っていた。

私はビックリした…
女性の先生を希望していたが、まさかこんなにスタイル抜群で美人な先生とは………。

 
 
私は英語と数学を習うことにした。
週2回だった。

私は先生に最初にお願いした。

「私、たくさん課題があればあるほど燃えるタイプなんです。自発的に勉強…だと、キリがなかったり、サボッちゃうんです。ビシビシ課題を出してください。」

 
先生は教え上手だった。
私は英語も数学も基礎が分かっていなかったし、できていなかったが
先生が教えてくれるごとにどんどん理解し、知識を吸収していった。

私の要望通り、課題もバカみたいに出された。
笑えるくらい課題が出されたが、私はそれをこなせば挽回できると思っていた。
楽しかった。 
英語も数学も、できるようになったら、途端に楽しくなった。
あぁそうだ、もともと私は中学までは、英語も数学も好きだったんだ。

 
 
高校二年生になり、テストは文系と理系で内容が異なるようになった。
文系は問題集から数学の問題は作られると言われた。

私は家庭教師の先生と一緒に、数学を解きまくった。
数学はパターンだ。
どの問題でどう解けばいいかさえおさえればいい。
それさえ分かれば、絶対にできる。

 

高校二年生最初の中間テストが返された。
家庭教師をつけてから初めてのテストだ。

「数学  95点」

…………へ?

 
私は答案を何度も見返した。
数学、95点!?!?

 
先生「平均点53点。クラストップ、95点。」

  
…………私、だ。
私がクラストップだ…
しかも、平均点を大幅に上回っている…………。


私は驚いた。
だって、高校一年生の最後の数学の点数は53点だった。
いくら文理分かれて、文系用の数学テストの内容が変わったとは言え

家庭教師をつけて3ヶ月で
私は数学が40点上がった。
そしてクラストップにのし上がった。

 
英語のテストも右肩上がりだったが、文系クラスなので、クラストップ、まではいかなかった。
それでも一年生の時よりも、点数は大幅に上がっていた。

 
 
私も両親もそれはもう、先生に感謝した。
先生は

「私はきっかけに過ぎません。あの課題量をこなして頑張った、ともかさんの力です。頑張ったね。おめでとう。」

と、あくまで謙虚な姿勢だった。

 
 
3ヶ月でのあまりの成績アップに、家庭教師本部から連絡があり、先生と共に、もしくは単独で、ポスターやHPに(顔写真付きで)載るか載らないかという話になった。
謝礼金も出るという。

私「先生はどうします?」

先生「私はいいわ。載るか載らないかはともかさんに任せるわ。」

私「私一人の力で高得点じゃないので、先生が辞退するなら私は辞退します。」

 
私は辞退した。
そもそも、3ヶ月で40点アップだと、元がどれだけひどかったかが周りにバレてしまう。

 
 
中間テストを機に、私や両親と、家庭教師の先生の信頼関係はますます深まった。
両親は毎回、夕飯を振る舞い、お茶菓子を出した。

先生は私が問題を解いている間に完食した。
好き嫌いのない食べっぷりのいい先生だった。
美人だけど気さくな、親しみやすい先生だった。

先生には私と同い年の弟がいるらしく、その弟さんの話や先生の大学生活、雑談などを
色々話した。
私より三歳しか年上じゃないのに、大人っぽくて、堂々として、キビキビしながらも優しくて
私にとっては特別な先生だった。

 

しばらくしてから、先生からの提案により、週二回の家庭教師の内、週一回は先生が数学をミッチリ教え、もう一回は文系の先生専属にした方がいいと言われた。
 
先生「英語の基礎ができてきました。私は理系なので、入試に向けて文系の先生に教わった方が、将来ともかさんの為になるでしょう。」

私や両親としては、先生のままでよかったが
先生のそういった気持ちは分かるし
先生が自分のバイト代を減らしてまで、私の将来を考えてくれたことで
より先生が好きになった。

それからは週一数学、週一英語・古典漢文となった。

当時は、私立大入試は三科目選択制で受験できた。
私は国数英で臨むつもりだった。

 
 
 
文系の先生は入れ替わり立ち替わり、合計で三人の先生に教わったが
数学はずっと同じ先生のままだった。

 
私は学校の成績を順調にキープした。
高校二年生からはずっと数学はクラストップで、誰にも負けなかった。
文系なのに数学が得意という、変な立ち位置にいた。

 
 

高校二年生になって、何ヵ月か過ぎた頃だ。

私は中学時代からずっと、福祉の大学に進学するつもりだった。
県内の私立四大が第一希望だった。

だけど友人が「私は大学で心理学を学びたい。カウンセラーになりたい。」と言ったことをきっかけに
私は揺らいでしまった。
私は心理学を学んだり、カウンセラーの道があることを、それまで知らなかったのだ。

カウンセラー………。

 
私は心の中に閉まってある記憶が蘇った。

小学生の時に自殺したクラスメート。
遺書に明確なことがないから有耶無耶になったけど、私から見た限りでは、学校と家庭に問題があった。
あの時、スクールカウンセラーがいたら、あの子は亡くならなかったかもしれない。
第三者に話せていたら、もしかしたら…。

私は忘れたことがなかった。
今でも悔いが残る。
亡くなる前日、クラスメートは明らかにおかしかった。
魂が抜けた顔をして、空ばかり見ていた。

「大丈夫?調子悪いの?」

私は声をかけたが、何も返ってこなかった。

 
一人になりたいのかな?と思って
それ以上は声をかけなかった。
 
   
あの時私が、ちゃんと向き合っていたら。 
異変には気づいていたのに、あの時私が、もっと話を聞いてあげていたなら。

私が見殺しにしたんだ。

 

私はあの日の自分を責めずにはいられなかった。
そしていつしか、私にはこれから何ができるのか、と考えが変わった。

 
…心理学を、大学で学ぶ。
そうしたら、カウンセラーになれる。

友達や家族や先生には話せない悩みも、第三者相手なら話せる悩みもきっとある。
そしてそれがどれだけ、心の救いになるか。

 
 
私は迷った。

中学からずっと福祉職を目指してきた。
だけど、今は心理学が気になる。気になって仕方ない。
福祉職が嫌になったわけではない。
だけど、勉強としては、今は心理学を学びたい。

  
 
私は家庭教師の先生に相談した。
今更進路変更なんて…と、自分で自分が分からなくなった。
だけど先生はこう言った。

「将来、どんな仕事に就けるかは分からないの。大学で専門の勉強をしても、その仕事ができるとは限らないわ。」

「だから、今の気持ちを大切にした方がいい。ともかさんは、今、心理学を勉強したいんでしょ?今やりたいものを優先した方がいいと、先生は思うわ。」

 
私は先生の言葉に目から鱗が落ちた。
先生は私の本音を見透かしていた。

私はもう、気持ちは決まっていた。
心理学部を受験したい、と。

 
 
後に色々調べ、私は某大学の臨床心理学部が、社会福祉士のコースも履修できると知った。

これだ、と思った。

私は心理学を主軸に、福祉も学ぶ。
福祉の資格もとる。
そして将来どの道を進むかは、大学で決める。

 

 
高校三年生の内申点はクリアし、私は見事推薦入試の資格を得られた。
倍率が4倍と難関だったが、私は本命の大学に合格した。
 
 
そして、大学合格を機に、家庭教師を辞めることになった。

 
 
先生は合格祝いだと言って、最後にお洒落な喫茶店に連れて行ってくれた。 
緊張するくらいお洒落なお店に年上の美人の方といる自分が奇妙だった。
勝手が分からず、先生オススメのフレバーティーとケーキを食べた。
先生の驕りだった。
先生と個人的にどこかに行くのは初めてだった。

「大学生活は楽しいわよ。これからも元気でね!」

先生は笑顔で去って行った。 

 

これが私と先生の最後である。
連絡をとることも会うことも、もうなかった。

 
 
推薦入試は小論文だったので、その対策は文系の家庭教師の先生にお世話になったが
そもそもこの理系の先生に出会わなければ、私は推薦入試の資格である内申点はとれなかった。

間違いなく、私の大学合格は、先生のおかげだった。

約二年間、私の家庭教師をやってくれてありがとう。
キラキラと輝く先生を見て、私はそんな大人になりたいと思ったし、そんな大学生になりたいと思った。


 

 
大学に入学し、3ヶ月が経った頃、私は大学生活に慣れてきたのでバイトをすることにした。

「初めまして。家庭教師の真咲ともかと申します。今日からよろしくお願いします。」

 

私は先生と同じように、家庭教師のアルバイトをすることに決めた。
高校の頃、先生から「家庭教師のアルバイトいいわよ。ともかちゃんも大学生になったらやってみたら?」と言われても、「え~!?私は向いてない気がします。」と返していたのに
なんだかんだ言いながら、私は家庭教師のアルバイトを始めた。

私が担当したのは全部で5名。
私を先生と呼び、皆慕ってくれた。
私のかわいい生徒達だ。

受験生は皆、本命高校に合格させることができたのが、私の密かな自慢だ。

 
 
「今日、バレンタインデーだから、先生にチョコ作ったの。」

「先生、プリクラあげるー!手紙書いてきたんだ。」

「お母さんがね、アイドルなんて追っかけないで勉強やれって言うの。」 

「学校ムカつく。ね~先生、どう思う?」

 
生徒は私に、色んな悩みを話したり、雑談をした。
私は勉強を教えつつも、友達とも学校の先生とも親とも違う立場で、彼等と接した。

 
 
私の初めての家庭教師の先生は素晴らしい人だった。
先生と同い年になった時に、いかに先生が優れていたか痛感するほど
人として女性として先生として
素晴らしい人だった。

私はとても敵わない。

だけど、先生との関わりがなかったら
今こうして家庭教師をやっていなかったのだろう。
そう思うと
出会いや縁というのは不思議なものだ。 
 
 
 
私が家庭教師として関わったのは、彼等の人生の中の、ほんの一~二年。
それが家庭教師の定めだ。

彼等は、私の言葉や態度を、どう捉えただろうか。
私は彼等に、何かを届けたり、残せただろうか。

今頃どこかで元気に、やっているのだろうか。

 

 




 



 

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