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憧れた職員が定年を迎えた時

私は学校卒業後
障害者福祉施設に入職した。

 
その福祉施設には学生時代に実習に行っていたのだが
その時の実習担当の職員がAさんだった。
 
 
Aさんは美人でスタイルもよく
字も達筆で話し方も丁寧である。
一目見て、「仕事ができる人。」と分かるくらいオーラが強かったし
実際、実習中も対応がとても丁寧で誠実だった。 
学生時代は様々な施設にボランティアや実習に行ったわけだが
ここまで対応が良かった人はいなかった。

 
私は入職して
Aさんの目の前のデスクを使うことになった。
書類作成をしている時や事務室で仕事をしている時
私の目の前にはいつもAさんがいた。

 
Aさんの事業には配属されなかったけど
私にとってAさんは頼りになる職員であることに代わりなかった。

 
というのも
施設を実質動かしているのはAさんだった。

 
優しく時に厳しく
常に正しくあろうとした強さを兼ね備えていたのがAさんだった。

施設長に意見を言えたのもAさんだったし
施設で何らかのトラブルが発生した時
実際に解決していたのはAさんだった。
職員からも保護者からも絶大な信頼をされていたAさんは
女として人として職員として
あまりにかっこ良すぎたし
私は憧れの存在だった。

 
私の職場は規模が大きい割に女性正職員の数が圧倒的に少なかった。
私はいつしか「ポストAさん」と呼ばれるようになった。

Aさんのできる仕事を私も覚えていったし
Aさんがいない時に仕事が担えるよう
経験を重ね
どんどん仕事を任されていった。

 
 
入職して半年もしないうちに
毎日最後まで残業する職員は私とAさんになった。

公私共に色々な話をしたし
様々な仕事を協力してやったし
相談をしたりされたりするようになった。

 
入職した時は私は一正職員だったが
入職して半年後
私は新規事業二つの主任を任された。

10年以上働いているAさんも別事業主任であった為
私は役職だけで言えば
半年で憧れのAさんと肩を並べたことになる。

 
だが
入職して半年で新規事業を上手く回せるわけもなく
私は同じ女性正職員として
よく周りからAさんと比較されたし
私自身もAさんと比較しては落ち込んだ。

それほどに、Aさんは完璧に強かった。
弱点がなかったのである。

  
 
やがて私も経験を積み、力をつけたものの
Aさんに何か言われたり
Aさんの仕事ぶりを見ては

勝てない

と、よく思っていた。

 
研修先で他施設の人を見ても
Aさんほどのオーラの方はいない。
そして福祉課や他施設の人の間でもAさんの敏腕ぶりは有名だった。

それほどにAさんはすごい人だった。

 
 
落ち込む私に

「Aさんの言動が正しいとは限らない。」

「Aさんはなんでもできる人だから、不器用な人の気持ちが分からない。
ともかさんには、Aさんにはない共感力や寄り添う姿勢があるわ。」

そんな風に言ってくれた人もいて
私はその言葉に救われた。
私は私らしい支援や仕事をすればいいと思った。

 
経験を積んだ私はやがて意見を持つようになり
時にはAさんに意見をぶつけ
やり合うこともあった。

「自分の仕事に信念を持ちなさい。」

と、Aさんは言ったが
勤務年数が増えるほど
私は曲げられない信念や意見も出てきてしまった。

 
Aさんなら分かってくれる。 
Aさんには分かってもらいたい。

 
悩み相談をしたり
Aさんとは異なる意見を述べたのは
信頼関係故だった。

 
私はAさんを信頼していた。
どんな困難も
Aさんに相談すれば
Aさんがいれば
乗り越えていけると思った。

 
私は社会人として大人として福祉職として
Aさんにとことん鍛えれた。
Aさんがいなかったら今の私はいないだろう。

Aさんはどんなに忙しくても私の話を聞いてくれたし
悩み相談をすれば力になってくれた。
価値観も似ていたことから
よりよい支援をするにはどうしたらいいか
話し合えば共感はし合うことが多かったし
仕事の姿勢も似ていた。

よりよい仕事をするためにはサービス残業は厭わないのも
Aさんがいたからだった。

「正職員はパートさんより忙しくなきゃいけないし、できることは多くなきゃいけない。」

Aさんのその言葉は私に深く刻まれた。

 
働いていた間にAさんから叩き込まれた
福祉の常識や人としての在り方や言葉一つ一つは
今でも深く刻まれて忘れられない。

 
 
私が働き出してから数年後
女性正職員が次々に辞め
長く働いていた女性パート職員も次々に辞め
代わりに男性正職員を増やしたり
それを機に人件費削減のため
職員を増やさない時期があった。

 
それにより
私とAさんは正職員としての仕事や女性職員としての仕事や負担は更に大きくなった。

何年働いていても
男性正職員は先に帰り
私とAさんは遅くまで残業する日々は続いた。

 
だけど私にとってはそれが当たり前だった。
多少不満はあったが
Aさんと仕事をすることは好きだった。

 
私もAさんも職場や利用者や仕事を愛していた。
心から愛していた。

一人ならしんどいかもしれないが
頼りになるAさんがいるならば
私も頑張ろう
一緒に頑張ろうと思った。

 
 
やがてAさんは現場主任から相談員に人事異動となった。

Aさんは相談員として外部で仕事することが増え
私は女性正職員として
組織をまとめる立場になっていった。

Aさんを抜かせば
私が一番長く働いていた女性正職員だったからだ。

 
また
私はAさんと共に施設代表として
事例発表会に参加したり 
認定調査に出席したり
外部の方と関わったり
各施設や家庭に出向き
関係者会議に出る回数が激増していった。

 
私はそんな自分が嫌いじゃなかった。 
そういった業務も好きだった。

 
 
昔Aさんから夢を聞いた。

「いつか小さな施設を作りたい。こんな大きな施設じゃなくていいの。小規模でアットホームな施設を作りたい。」

 
私は言った。

「いいですね。そしたら私を雇ってくださいよ。」

 
私は今の職場が好きだが
上よりもAさんを信頼していた。
多分Aさんが施設を立ち上げたら
利用者や職員は流れるだろうと思った。

いつかの夢の話だけど
もしAさんが施設を立ち上げたら
私はついていくかもしれないと思った。

 
 
その夢が夢のままAさんは相談員となり
主任時代の三倍は多忙になった。

私はそんなAさんを見ながら思った。

 
ゆくゆくは、私はAさんの跡を継ぎたい。
Aさんと相談員をやりたい。

今の主任の仕事も好きだし
やりがいはあるけれど
いつかはAさんと相談員として働いてみたい。

Aさんが定年退職する前に
ノウハウを引き継ぎたいと思っていた。

 
私の職場は新卒をとらない。

そして近年は
女性職員が退職しても
男性職員ばかりを雇用し
女性現場正職員は私だけになってしまった。

 
働けば働くほど
私は後継者をほしくなった。

若手の女性正職員に私の仕事を教えたい。
そして
Aさんが体調不良になったり、定年退職になる前に
相談員として勉強したい。

 
だが
そんな現状を上に伝えても受け入れてもらえず
結果
職員の平均年齢はどんどん上がり
中堅やベテランや正職員の離職は続いた。

 
 
 
そんな中
10年以上働いた後
私は人事異動の話があった。

今働いている施設から離れた施設で
今まで行ったことがない仕事を任されることになった。

   
その仕事自体はそう悪くないものだったが
その人事異動の話がある1年前から
施設では改悪が続き
今までにないほどに
人手不足や問題が勃発していた。 

 
私含め他職員も眠れなかったり
ストレスで体調を崩していた。

 
快眠に自信があるAさんでさえ
この時期は眠れなくなっていた。

 
人間関係や事業ごとの関係が悪化しており
私は人間関係で揉めている人がいる事業への異動となった。

更に、私は二事業主任をやっていたにも関わらず
新規利用者が複数名入るタイミングで
私の後がまはいないというムチャクチャな人事異動であった。

 
だが、人事異動は命令であり
職員に断る権利はない。

仕事を引き継がなくていいから
早く人事異動をするようにというのが
上からのお達しであった。

 
Aさんは私の人事異動の話を聞いた時に
一筋の涙を流した。

人事異動ばかりはどうしようもなかった。

Aさんも人事異動しないようかけ合ってくれたし
私も現状を訴えた。
他の同僚や保護者もかけ合ってくれたが
人事異動もしくは退職しか私には道はなかった。

 
Aさんは人事異動をして様子を見るようにすすめてきた。
職場にさえ残っていれば
いつかまた今のポジションに戻れるかもしれない、と言った。

 
だが、私には無理だった。

 
人手不足によるサービス残業の増加や
人件費削減のため職員が減らされたこと。
度重なる施設の改悪や
それによる人間関係の悪化。
ストレスや疲労による心身不調で

人間関係が既に悪化している事業に異動し
新しい仕事をしてみようという気持ちはなかった。

 
もう終わりだ、と思った。
施設に未来はない、とも思った。

 
 
 
最終勤務日、Aさんは私に「幸せになるのよ。」と言った。
それが最後の言葉だった。
胸がズキンと痛んだ。
そして最終勤務を終えてから自宅に帰宅すると
Aさんから立派な花が届いていた。
立派すぎる、高そうな花だった。

 
私は泣いた。

 
 
人事異動さえなければ
仕事を辞める気などなかった。

何故Aさんと同行で仕事を任されていたのに
人事異動が相談員ではなかったのだろうか。
相談員ならば
私はやってみたかった。
Aさんも私にそれを願っていたのに
相談員になることは叶わなかった。

 
それかいっそ
Aさんが新しく施設を立ち上げてくれたらよかった。

 
Aさん。
私はまだ一緒に働きたかったよ。
働きたかった。

だけど…
さよなら。

 
Aさんからもらった花はやがて弱っていき
静かに枯れていった。

 
 
 
退職してから私は
自分や未来を見失ってしまった。

 
心の中は

まだ主任として働きたかった

という思いばかりで
理不尽な人事異動も退職も
受け入れられなかった。

 
実際
元同僚や利用者や保護者から
連絡はあったし 
「戻ってきてほしい。」と言われるほど
私がいなくなってから施設の質が悪化したと言われるほど
私は途方に暮れた。

 
私にはもうできることはないと痛感し
自分の存在価値が分からなかった。

 
 
こんな宙ぶらりんな状態で転職活動が上手くいくはずはなく
内定をもらえても蹴り
私は元職場からの連絡を待った。

 
私が退職してから更に人手不足になり
求人が出ていることも
いつまでも次の人が決まらないことも
私は分かっていた。

 
だけど
人事権がある人からの連絡はいつまで待ってもこなかった。

 
私は見捨てられたし
もういらない存在なんだ。
退職届を出した以上
もうどこにも戻れない。

 
そう思った私は
一年間の無職期間…転職活動を経て
まぁまぁな条件の職場に転職した。

 
 
まぁまぁな条件の職場は
いくら働いてもまぁまぁなままだった。
悪くはないが
どうしても元職場を思い出したり
比較してしまい
私はやるせない気分になった。

 
転職先の同僚はいい人だったが
特別仲良くはなく
同僚として一線を引いた間柄だった。
上とも気が合わなかった。

仕事内容にしても
性に合わないことも多く
それにより指摘されたり
失敗し
自信をなくすことも多かった。

 
新しい職場は
残業はなく、休みはあり
まったりとした忙しさで
毎日様々な活動をした。

割り切った人間関係で
人によっては好条件なのだと思う。

 
利用者と関わることは楽しいし
人間関係に恵まれた方だとは思うが
前職時代を上書きしたり
乗り越えるほどの強烈な喜びはなかった。

転職先選びは成功したと思うが
「あの退職があったから今の幸せがある。」とは思えないまま
時は流れていった。

 
だが仕方ないと思った。

人事異動が嫌だ 
前の事業に戻れなきゃ嫌だ
今の仕事はちょっと嫌だ

と、嫌だ嫌だばかり言っては話は進まない。

 
一年私は待った。
待ちすぎたくらいだ。
それでダメなら縁はないのだ。

 
今は一先ず転職先で仕事をするしかないし
頑張るしかない。
今の職場は悪くないじゃないかと
自分に言い聞かせ続け
気がつけば転職先で約半年の月日が流れた。

 
 
そんな中
私は仕事の関係で、前の職場に電話することになった。

電話に出たのはAさんだった。
Aさんと話すのは最終勤務日以来なので
約一年半ぶりになる。

 
声も話し方も全く変わっていなかった。
Aさんのままだった。

 
「お久しぶりです。真咲です。」

 
私はそう伝え、仕事の要件を伝えた。
その後、Aさんからこんなことを聞かれた。

「今の仕事はどんなことをやっているの?」

「退職してから一年くらい休んでから転職したのね。」 

 
私は近況を伝えた。
そして、転職活動中の一年は
新しい場所で仕事するか、ダメ元で前職場に連絡するか迷っていたと
正直に伝えた。
だけど、一旦他の場所で働いてみようという気持ちになり、今の場所で働き出した、とも。

前の職場は、私にとってそれほどに特別だった。

 
私「今の職場は前の職場でやっていないことばかりで、日々勉強です。やりがいと難しさを毎日感じます。」

 
A「勉強は続くわ。ずっと続くのよ。ともかさんは前々から、転職するなら小規模施設って言っていたわよね。」

 
私「覚えていてくださったんですね。はい、前は…組織が大きすぎる故にできないことがあったから、小さな施設でじっくり向き合ってみたかったんです。
働いてみると、良し悪しを感じます。本当に日々学ぶことばかりで、常識や価値観も色々と変わりました。」

 
私「Aさんがお元気そうでよかったです。」

 
A「ともかさん、私ね、定年なのよ。」

 
私「誕生日、この前でしたよね。」

 
A「だからともかさんが知っている時と今では立場は変わったわ。」

 
私「そんなことないですよ。Aさんがいないと施設は回りませんよ。」

 
A「そんなことないわよ(笑)でもともかさんが元気そうでよかった…。

…………。」

 
私「………。

私も久しぶりに話せて嬉しかったです。では、仕事の件、よろしくお願い致します。」

 
私は電話を切った。

 
 
職場で電話をしている時
周りには人がいたし
電話の外は今で、電話の中…会話は昔のようで
様々な感情が入り乱れ
過去と今と未来が交差した。

 
そして電話を切ったら
私は今に戻り
転職先での仕事に戻り
転職先で出会った同僚と何くわぬ顔で話した。

帰り道は今日あったことや雑談を話し
そして「また明日ね。お疲れ様でした。」と笑いながら別れたのに
一人車に乗った瞬間切なすぎて涙が流れた。

 
 
言えなかったよ。

「私、今幸せです。」って言えなかった。

 
「本当は今でも前の職場を辞めたくなかったです。まだあそこで働きたかったです。」って言えなかった。

 
 
そしてAさんも何らかの思いを閉ざした気配を感じた。
私と同じように、何かをあえて言わなかった。

「今、幸せ?」って聞こうとしたのかな。

「戻ってきなさいよ。」って言おうとしたのかな。
もしAさんに言われたら戻りそうだ。
はたまた、「もう戻ってきちゃダメよ。」って言おうとしたのかな。
それを言われたら泣いてしまうかもしれない。

 
私には分からない。
分からないけれど

道が決別したことを改めて感じた。

私はもう、Aさんの同僚じゃない。
あくまで元同僚でしかないのだ。
もう一緒には働けない。
働けないのだ。

 
 
背中を追いかけてきた職員が定年を迎えた。

その瞬間
何故私はAさんのそばにいられないのだろうか。

 
結局間に合わなかった。
Aさんの仕事を引き継ぐことも
女性正職員後継者を作ることも間に合わなかった。

そしてもうすぐ、前の職場は更に改悪を行う。
もう施設の質低下は止まらないだろう。

 
…やっぱりもうどうしようもない。

前職時代の利用者や保護者や同僚や仕事は大好きだけど
施設に未来があるとは思えなかった。

 
……もう引き返せない。

 
 
 
明日は仕事であの予定があるから頑張らなきゃ。
あの利用者は休む日だ。

眠る前にそんなことをあれこれ思った。
転職先は常に今と未来がある。

 
 
…Aさん、私、今が幸せかは分からない。

 
だけど、転職先で未来を感じる。
今をただ毎日頑張っている。

そして、Aさん以上の職員は転職先にもいなかった。

 
それだけは確かだよ。














 









 

 


   

 




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