もう一人の従順ならざる日本人
従順ならざる日本人といえば、戦後日本で吉田茂の側近として活躍した白洲次郎を思い起こす人が多いと思います。
GHQに”従順ならざる唯一の日本人”と言わしめた白洲次郎ですが、もう一人、従順ならざる日本人が日本にいました。
今回は、その人の話です。
日本を代表するボードゲーム・将棋。
古代インドのボードゲーム、チャトランガ起源とされ、
このチャトランガがペルシャ経由で西方に渡りチェスが生まれ、北に渡って中国で将棋が生まれました。
日本には遣唐使や入唐僧から伝わったとも、ビルマから東南アジア経由で伝わったともいわれています。
平安時代から日本でも遊ばれた歴史ある将棋ですが、戦後、封建的思想の強い競技や娯楽の排除を狙ったGHQによって禁止されそうになりました。
この時、GHQから呼び出しをうけた日本将棋連盟は、将棋界で知らない人はいない
升田幸三
をGHQに派遣しました。
(※本人の話だと「GHQから指名された」という事ですが、サイトとかで調べると連盟が派遣したことになっているので、ここでは派遣されたことにしています)
彼は、戦前から戦後にかけて人気のあった棋士で、どれくらい人気があったかとうと、昔、ある新聞社が著名人の人気投票をやったら、
あの”フジヤマのトビウオ”の古橋広之進(『あの』といっても知ってる人は、今はほとんどいないですね)
についでの2位だったほどです。
のちに実力制第4代名人となる彼は、「新手一生」を掲げ、振り飛車・居飛車共に数々の新手を指し、
「将棋の寿命を300年縮めた男」
男と評されました。
当時、升田幸三は将棋界の関西本部長代理という肩書きで、それほど力は持っていませんでしたが、知識・頭の回転の速さ・度胸・そして将棋の強さ。
どれをとっても升田にかなう人間はいなかったそうです。
だからこそ、連盟は彼をGHQに行かせたんでしょう。
さて、彼が皇居のお堀の手前、今の第一生命ビルにあったGHQ本部の一室に通されると、そこに4〜5人の将校と通訳が待っていました。
そこで彼は開口一番
「自分は5歳の時から酒を飲んで育っておる。酒を飲みながら人と話をするのが、自分の習慣である。酒を飲ませてもらいたい」
と、酒を要求しました!
もちろん、これは作戦で、相手の意図が分からないうちに喋って言葉尻を掴ませないようにするためであり、
また、質問に困った時に「トイレ」と称して便所に行って考えるためのものでした。
「日本酒はないがビールとウイスキーがあるが、どちらがいい?」
と、いわれると
「ビールがいい」
と答えました。
で、中々出されないので催促すると、
「目の前にある」と言われて前を見ると、横文字て書かれた缶が置いてありました。
日本はなかった缶ビールが出されていたのでした。
で、その缶ビールに口をつけ
「まずいなあ。これ、本物のビールか」
と大声でいうと、みんなビクっとしたそうです。
その様子を見て
「この調子なら大丈夫だろう」
と思ったそうです。
そして、ビールを飲んでいるとGHQの将校は質問を始めました。
「剣道とか柔道とか、日本は武道というものがある。
おかげでわれわれは、沖縄の戦いで手を焼いた。武道とは危険なものではないのか」
「そんなことはない。武道の武とはホコ(矛)を止める、と書く。身につけても外へは向けず、おのれを磨くのが武道である。武士道とは言葉づかいの道のことだ」
ビールをまずそうに飲みながら答えると、向うが気をつかって、
「ナポレオンがある。これはどうか」
と、ナポレオンを薦めましたが、彼はナポレオンが高級洋酒だということを知らなかったので
「ナポレオンなんて、冬がくると負けちまうような将軍、私ゃ好きになれん」
トンチンカンな返事をして、通訳はオロオロさせたりしました。
そうこうしているうちに、
「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。
これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか?」
と本題にふれてきました。
「やはり、こうきたかと」
と思った彼は次のように反論しました。
「冗談をいわれては困る。
チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。
そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。
つねに全部の駒が生きておる。
これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。
しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。
これこそ本当の民主主義ではないか」
と、本人は一気に、まくし立てたましたが
通訳は、一区切りごと訳して将校達に伝えるので、時間がかかります。
その間、不味いビールを飲んでいるので、段々と酔いが回ってきて、発言もヒートアップ!!
「あなた方はしきりに民主主義を振り回すけれど、チェスなんてなんだ。
王様が危なくなると、女王を盾にしても逃げようとするじゃないか。
古来から日本の武将は、落城にあたっては女や子供を間道から逃がし、しかるのちにいさぎよく切腹したもんだ。
民主主義、民主主義と、バカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋をよく勉強して、政治に活用したらどうだ。
お前らは日本をどうするつもりなんだ。
生かすのか殺すのか、はっきりしてくれ。
生かすなら、日本将棋にならって人材を登用するのがいい。
殺すというならオレは一人になっても抵抗する。
日本が負けたのは、武器がなかったせいだ。
オレは、よその飛行機を分捕ってきて、お前らの陣地に突っ込んでやる。」
酔いにまかせて滅茶苦茶いいまくり、それを聞いていた将校達は毒気にあてられ、苦笑するしかありませんでした。
しまいには、将校達を
「あなた方」
と呼んでいたのが、
「お前ら」
に変わり、おしまいには
「おんどれら」
になりました。
通訳が困惑して、意味が分かりませんというと。
「おんどれらとは、大あなたという意味で、これ以上はない尊敬の言葉だ。
こんなのを知らんどって、よく通訳がつとまるな」
と、通訳にいいました
他にも
「巣鴨の戦犯達を殺さずに生かして役立てる道を探して欲しい」と言ったり
「日本人は菜食主義で、元来がおとなしいんだ。
それをおんどれらは、やれ肉を食え、牛乳を飲めと、日本人の血圧を高くさせ、短気にさせようと心がけよる。
いらんことをせんといてくれ」
と5〜6時間好きなことをいい、帰っていいと言われたときに気に入られたのか
「ウィスキーもってけ」
と言われたそうです。
喉から手が出るほど欲しかったそうですが、大風呂敷を広げた手前、貰うのは沽券にかかわるので断ったそうです。
そして、この一件で升田の名前はアメリカの著名人の間で広まり、ライシャワーと一緒に講演したり、ロバート・ケネディのパーティーに列席して会談を交わすようになったそうです。
また、この一件で吉田茂の外交がやりやすくなったともいわれています。
好き放題、言いたい放題やった上、相手に気を使わせた升田幸三は、将棋を救っただけでなく、後の日本外交をやりやすくし、ある意味では、日本を救ったことにもなりますね。
今の日本の外交もこれくらいやってもらいたいものです。
参考資料・サイト
升田幸三先生
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/7205/masudakozou.html
マーク・ダーシーの日記
http://markdarcy.exblog.jp/2592828/
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/将棋
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