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海の上で生きるピアニスト

他の記事でも不慣れな短編で題材にするほど、海という存在はわたしの中でとても大きい。今住んでいる場所は、海からそれなりに距離のあるところなので、おいそれと海のある街へ行こうにも時間をかけて電車に揺られながらその場所へ向かうことになる。

個人的には家にいるよりも、比較的移動する方が好きなので電車に揺られている時間はわたしからしたら全く苦ではない。そのため、好きな音楽を聴きながらのんびりと自分だけの時間を過ごしている。そして海が近づくに連れて開け放たれた窓から潮風が舞い込んできて、海独特のいその匂いを胸に溜め込むたび、ため息を吐きそうになる。

でも、逆に海の上でしか一生暮らすことしかできない人生だったらどうなのだろうと思ってしまう。穏やかに揺れる水面は、それは平穏の象徴だろうけど、海だっていつもいつもそんなに優しい顔をしているわけではない。ときには、その未熟さを嘲笑うかのように牙を人に向けて波が盛大に荒れ狂うこともあるだろう。

☆ ☆ ☆

だいぶ前に見た『世界から猫が消えたなら』という映画の中に、「ツタヤ」という人物が出てくる。彼は、主人公の大学生時の唯一の友人だ。彼が貸してくれる映画の中には、普遍的なものからちょっとコアなものに至るまで様々なジャンルが含まれている。その中で彼がこう言うのだ。

『何かいい物語があって語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない』

今思えば、ツタヤにとって主人公がそうした存在だったのだろうな。

この映画を観ているとき、ツタヤが発した言葉が何だかすごく胸の中にストンと落ちて、このセリフが出てくる映画を何とか見てみたい、という思いが膨らんだ。その映画の名は、『海の上のピアニスト』。わたしはこのとき全く知らなかったのだが、割と映画界では有名で名作と名高いほどの知名度を持っているのだと言うことを、調べてから初めて知った。

☆ ☆ ☆

この映画の監督を務めたのは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督。この人、『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督も務めた人だったのか。ずいぶん前に1度みたきりだったけれど、何だか心の奥深くにしみる映画だった。

船上で生まれ育ち一度も地上に降り立つことのなかった主人公は、ティム・ロス。どこかでみたことのある人だと思ったら、海外ドラマの『Lie to Me』に出てきた人だ。

映画はまさに「ツタヤ」が口にした、

『何かいい物語があって語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃない』

という、なんとも心にしっとりと残る言葉から物語が始まる。マックストゥーニーという映画の語り手となる人物と、1900(主人公の名前)との不思議な関係は、どこかさっぱりとしていながらも、心地よい。この作品の中で最も記憶に残ったのは、1900とジャズ奏者ジェリーとの一戦である。1900のゆったりとした「きらきら星」から始まり、その後の鬼気迫る連弾に思わず圧倒されてしまった。

最後、1900はどうしても船から降りられず船とともに一生を終えるのだが、その言葉がなんとも印象的だった。街を見て彼が思ったこと。彼にとってピアノとは弾ける鍵盤の数が限られており、そこから表現する世界が広がっている。でも一度街に出てしまうと「終わりのない世界が上からのしかかってくる」。彼はその途方もない広大な世界に自分が飛び出そうとしているのだということを知って、愕然とするのである。

☆ ☆ ☆

「無限ではない。弾く人間が無限なんだ。人間の奏でる音楽が無限」

閉ざされた世界の中で一生を終えることになった1900は、ある意味他の人から見たら不幸な人として目に移るかもしれない。それでも、海から一歩外に出たことによって良くも悪くも無限に広がる世界に触れたら、1900の音楽はそこで一気に行き場を失ってしまったような気がする。狭い世界で自分の世界を幾つにも無限に表現できる人と、広い世界の中で自分を見失ってしまった人、果たしてどちらが本当に幸せな人なのだろう。

ちなみに一番好きなシーンは、1900が海に出たいと思うきっかけとなった美しい少女が出てくるところ。それまでの1900が弾いていたピアノの質に明らかに変化が生まれて、そこにはただひたすらな平穏と新たな希望の光が横たえていたような気がする。YouTubeを漁っていたらちょうどそのシーンが出ていた。

そういえば、昔茨城の大洗から北海道の苫小牧までフェリーに乗って旅をしたときにも、どうしようもなくワクワクしたことを思い出した。激しい船酔いに結構悩まされたんだけどね。

海はとてつもなく広い。人一人の存在なんてちっぽけだと思うくらいに。逆に1900が実際に地上に足を踏み出したら息苦しく感じたのだろうな。そんな妄想ばかりが膨らんで、彼が生きた人生はやっぱり幸せだったのかもしれないと思うようになった。

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