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鮭おにぎりと海 #26

<前回のストーリー>

わたしが夏から働き始めた「米の湯」は、朝8時から始まる。「米の湯」を一人で切り盛りするヨネさんは、どうやら自分の家の前にある花壇に水やりをしてからそのまま職場へと移動していることが分かった。

銭湯では、開店前にもいろいろやることがある。風呂場の掃除はもちろんのこと、脱衣所の掃除、忘れ物のチェックなど、開店前の大体1時間前くらいから準備は始まる。言っては悪いが、ヨネさんはよくもまあこんなことを長年やってきたものだ。本当に尊敬する。

8時きっかりにお店を空けると、常連客と思しき地元に人たちが続々と中に入ってくる。その中には、近所で見たことのあるような顔ぶれもいる。銭湯備え付けの煙突からは、黙々と煙が立ち上っている。

無事銭湯を開いた後も、やることは山ほどある。相変わらず定期的に見回りや掃除をしなければいけないし、温度管理とかタオルの回収とかもやらなければならない。そんな風にしていたら、気づけばお昼を回っている。

14時でいったん銭湯は閉まり、再度18時から開店する。その間、再度掃除や忘れ物チェックをする。骨が折れる仕事だった。番頭はヨネさんがやっていて、優しさの塊のようなほほえみでお客さんを迎えていた。ヨネさんの笑顔を見たいがために通っている人も、常連客の中にはきっといるはずだ。

夜の11時にお店は閉まる。その際、だれもお客さんがいなくなった湯舟に私はゆっくりと体を浸すことができる。これはまさに、アルバイトである音の特権だ。少し熱めのお湯に入ると、自分の体がゆっくり弛緩していくのが好きだった。

洗い場に並ぶ黄色い色が象徴的な、ケロリンと書かれた桶。使われているうちに少しずつ塩化していったと思われるレトロな蛇口。脱衣所に備え付けられた背の高い体重計。「米の湯」の創業自体は昭和30年くらいだそうだから、約50年以上にわたってこの藤沢の地に根付いているということになる。

私自身は、そうした古き良き時代を思わせるレトロなアイテムが大好きだった。当然ながら私はその頃生まれていないわけだけど、なんとなくその頃のみんながみんな豊になるべく一致団結する文化が好きだった。

父親が時々車の中で聴いている昭和歌謡曲やフォークソングを幼い時分から慣れ親しんでいたせいか、そうした曲にも抵抗感がなかった。大学の友達に好きな曲は何?と聞かれたときに、美空ひばりや百恵ちゃん、チューリップや風といった歌手の名前を挙げると、だいたい一瞬きょとんとして、そのあとに怪訝そうな目で私を見るのだった。その点、同じ学部の楓はそうした私の価値観に同調してくれて、確かそれがきっかけで仲良くなった気がする。

誰もいない湯船の中では、だれに気兼ねすることもなく思いっきり泳ぐことだってできる。そして壁面には見上げるほどの壮大な富士山が広がっている。ヨネさんに富士山のペンキ絵が描いてある理由を聞いてみたら、縁起物として人を呼び込むシンボルとして描かれたそうだ。確かにこの絵を眺めていたら、ぼんやり自分にも良いことがありそうな気がする。

そういえば昨年サークルの先輩と少しだけ付き合っていた時に、『湯を沸かすほどの熱い愛』という映画を見に行ったっけ。末期がんで余命数ヶ月となった主人公が奮闘する話。彼女が働いていたのが、銭湯だったっけ。いつだって私は強い女性像にあこがれる。そうでありたいと願っているのに、なかなか世の中うまくいかないというところが歯がゆい。

湯船から上がって服を着ると、ヨネさんはフルーツ牛乳を手渡してくれる。そのほんのり甘い牛乳がいつも私の心を浮き立たせてくれるのだ。

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