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#10 音楽についての愛を語る

夢のないあなたに この歌を届けよう
愛することの喜びを知る
魔法じかけのこの歌を

平井堅『切手のないおくりもの』

 ふとYouTubeを眺めていたら、平井堅さんの「切手のないおくりもの」が流れてきて、思わず釘付けになってしまった。相手に語りかけるような優しい歌声に対して、ジャズベースの楽しげな音楽が流れている。懐かしいけれど、新しい。

 小学生当時の記憶が、駆け巡る。仲の良かった子が引っ越すことを知った時、クラスの担任の発案でみんなで歌った日のことを思い出す。その時は、あまり歌詞の意味をまじまじと考えたことがなかったけれど、改めて読んでみると深いなぁと思った。

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チープなカラオケボックス

 物心つくかつかないかの頃、わたしは音感やリズムなんかが壊滅的になく、それにもかかわらずただ一生懸命歌を歌った。別れゆく友達のために。それがやがて多感な時期に差し掛かると、自分の歌のレベルをはっきりと自覚して口をつぐむようになった。

 どうしようもない下手くそであることは先刻承知だったが、一方で歌を歌うことを諦めることができなかった。歌うことで、わたしは一定の心の安定を保っていた節がある。

 中学校時代はコンプレックスを克服するために友人のバンド活動に混ぜてもらったし、中学校卒業前にはギターをポロロンと奏でては迷走していたこともあった。当時はカラオケが全盛期で、休日はギコギコ鳴る自転車に乗って30分ほどかけてチープなカラオケボックスを目指した。

 音楽は、わたしのその時の心情を代弁してくれているようで、とても心地よい世界だった。一番初めに買ったのは、「だんご三兄弟」で、その後は好きだったアニメのCDを買ってもらってよく聞いた。その頃はCDが主流であったが、シングルは通常よりも小さいものが出回っていたはずだ(調べたら、8ミリCDというそうな。今はもう全く見かけないですね)。

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電撃

 小学生の時のお小遣いは100円から始まり、1学年繰り上がるごとに100円ずつ増えていった。中学生になって、夏目師匠のお札をもらった時に震えが止まらなかった頃が懐かしい。自分で、CDを買えることに歓喜した。当時流行していたオレンジレンジやらSMAPやらBUMP OF CHICKENやら、新曲が出るたびに買い求めてよく友人と貸し借りしていたことを思い出す。

 高校に入ってからは、Mr.ChildrenやRADWIMPSなどを聞いた。特に、YUIとチャットモンチーは大のお気に入りで、何度も何度も聞いた。本当はライブにも行きたかったのに、高校生の頃のわたしはまともに東京への行き方も知らず、結局断念したことを思い出す。

 大学生になって、確実に自分の行動範囲が広がり、興奮を隠しきれなかった。初めてライブに行った時の衝撃は、今でも忘れられない。その場にいた人たちとの興奮や高揚が折り重なり、アーティストが奏でるリズムに身を預けた。確かに今自分は、一人ではないということを感じることができたのである。

 同時に、東京へ上京して初めて洋楽にも触れるようになる。もうすでに洋楽に慣れ親しんでいた友達から、手始めにRedioheadとColdplayをお薦めされる。くぁーなんだこのかっこいい音楽は!と、これまたピリリと頭の中に電撃が走った。

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誰かを知ること

 結局ギターの後ベースにはまった時期もあったが、最終的にはなし崩しになって萎んでしまった。それでも必死にコードを覚えて、心地よいリフを奏でられるよう苦心した時期のことは今もよい思い出として残っている。曲がりなりにも、友人たちとわたしが持っている音の粒を重なり合わせようとした時期があったのだ。

 音楽は改めて考えてみると不思議なもので、人と話すときにあーあれ流行ったよねぇ!とか、今はこんなのが人気あるんだねぇとか話題に事欠かない。人と話すときの一種の共通意識を図れる代物である一方、相手が好む音楽によってその人の性格や価値観などをぼんやり測れるものでもある。

 不思議と同じ音楽が好きというそれだけで、自然と仲良くなれる気がした。かつて付き合っていた恋人が好きだった曲からも多大なる影響を受け、気がつけば時々聞いてあぁええ曲やのうと悦に入ったりする。音楽は感性を刺激するし、かつての甘い思い出を呼び起こす。

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ボーダーレス

 ちょうど海外に行き始めた頃に、あまりにも自分の英語が不慣れすぎて思い悩んだことがある。伝えたい言葉があるのに、それを伝えることができない自分の不甲斐なさともどかしさ。彼らの言葉できちんと思いを発散させることができたならどんなに良かっただろう。

 途方に暮れる中でどこかから聞こえてくる、誰かが歌う音楽。軽快なジャズバンドの弾むような音の粒と共に、痺れるような歌声が流れてくる。Ben・E・Kingの『Stand by me』だった。彼は「わたしのそばにいて」、と震える声で語りかけてくる。胸がグッと詰まった。

 英語は全く喋ることができず、心に響く歌を歌ってくれた彼らに対してきちんと感謝の言葉を伝えることができなかったけれど、ああこれが歌は国境を越えるという意味か、とぼんやり考えた。言葉が通じ合わずとも、心を通わせることができる。自然と、右目から一筋の涙がポロリンと流れ落ちる。

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 この世には星の数だけ、人が奏でる音楽が存在していて、もちろんその時代時代ごとに流行り廃りというものはあるけれど、その中でもマイナーでもメジャーでも関係なく、きっと一人一人に寄り添った音楽があるんだと思う。

 かつてチューリップの一人として活動していた財津和夫も、きっとそんな風に歌が誰か大切な人の心を救って、この世界を明るく照らし出すことを願い、『切手のない贈り物』を作ったに違いない。

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 今日もまた、どこからか風に舞って晴れ渡るような歌を歌っている。言葉にならない、深い愛を添えて。

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