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聞こえぬはずの声を聴く

 昔カナダのバンクーバーから1時間程度の場所にある、ヴィクトリア島に留学していた時がある。

 その当時仲良くなったメキシコ人から「ユー、ホエール見に行かない、ホエール」と誘われ、半信半疑でゴムボートに乗って見に行った。その時一緒に乗ったクルーのひとりがブラジル人で、明らかに顔色が悪く「おおぅ、大丈夫だろうかこの人」と思っていたら、案の定数分経ったのちその人の中にあったものが盛大に海へ還っていった(詳細省く)。

 その後はもう眩しいくらい、彼がスッキリした顔をしていたことを思い出す。その日の夜、サタデーナイトを楽しむためにパブへ行ったら何事もなかったかのように、ブラジル人が踊っていたことはちょっとしたトラウマ。

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わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ。(p.73)

 ようやく借りることができた、町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』。今年の本屋大賞に選ばれた作品だ。ここ最近話題になっていることが多いので、あらすじを知っている人もいるかと思う。割と重いテーマを扱っているが、不思議と読み終わった時に重たい気持ちにならなかった。

 クジラが発する声は通常10ヘルツから39ヘルツの音域。でもこれは個体のよって個人差があるらしく、中には52ヘルツという高音域の周波数を出すクジラもいるらしい。そこまで高いと誰にもその声は届かない。

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 思えば私自身、昔から割と周りに気を配ってもらえる立場だったように思う。自分で言うのが情けないけど、どこか頼りない存在に思えるらしい。そのイメージ通りの人生を歩んでいるとは思いたくないが、不思議といろんな人に手を差し伸べてもらえた。

 だから物心つく頃には誰かに助けてもらえることを期待している自分がいて、今逆に誰かに対して気を遣うという段階になり、苦労している。かなり。与えてもらうばかりで、与えることに関してはまったくその方法がわからなかったのだ。最近この歳になって、ようやく少しずつ世の中の理を学んでいるような気がする。

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 そういえばクジラ絡みでいうと、数年前に同じ生き物が出てくる話で衝撃を受けた小説があって、それが辻村深月さんの『凍りのくじら』。実はこれが辻村深月さんの本に触れた始まり。『凍りのくじら』を読んで以降、少しずつリンクしている世界観がクセになり、他の本も貪るように読むようになった。ちなみにおすすめは『スロウハイツの神様』。

 ただ残念ながら今のようにnoteで感想を書いていたわけではなかった。どの文章に心が動いたかも含めて、詳細が朧げであるのは自分の記憶力の限界を感じる部分である。一応当時から数行だけ記録を残していたので、それをちょっと載せてみたい。

 相手にとっては迷惑なことでも自分の視点から見ればそれは「正」となってしまう。結局みんな自分の事しか考えていないからだ。理帆子ももしかしたら同じような気質を持っていたのかもしれない。

 だがその運命は、違う誰かによって救われた。視野を狭めて人を見下し、そして心を閉ざす。なんで相手はわかってくれないんだろうという思い。押し付けがましい優しさ。でもそういった傲慢な部分は結局他人を通してでしか、気づくことができないのだ。(2014年11月3日)

 数年の時を経て改めて読み返したときに、文章がぼやっとして「なんだかなー」と思う部分ももちろんある。それでもなんとなく今の自分の考えと通ずるところもあって、そう簡単に人の本質は変わらないもんだな、としみじみ感じ入ってしまった。

 ちなみに気になって過去の読書記録探ってみたら他にも出てきた。一番古いものだと、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』であったが、これはあまりにもテーマが難解かつ複雑なのでまた別の機会に書き綴ることにして。その後だと、窪美澄さんの『晴天の迷いクジラ』という本。これもかろうじて当時の感想が残っていた。

 こういう話を読むと、人って本当に1人じゃ生きていくことができないのだと実感する。だからこそ、他の人の存在で傷ついたりするのだ。迷いクジラを見に車で出発した三人の間には複雑な過去があって、彼らの間には確かに絆があった。そして大きな図体をしたクジラは彼らを根底から包み込んでいたのかも……(2012年7月6日)

 そのほか、村上龍さんの『歌うクジラ』や有川浩さんの『クジラの彼』などなど。クジラのように大きな存在に対して、人はもしかしたら古代より憧れと同時に畏怖を感じ、しばしば物語のひとつのテーマとして描かれるのかもしれない。

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 きっとこの世の中には私みたいに恵まれた人ばかりでなくて、逆の立場に立たされる人たちもたくさんいるのだろう。そんな人たちに対して、比較的恵まれた環境で育ってきた私ができることは、ひたすら頭の片隅にある想像力をかき集めること。そしてどうしたらその人の気持ちに寄り添うことができるんだろうと考えることしかないんだろうな、とぼんやり思っている。

 想像力。

 誰かが与えてくれることに対して無頓着でいた私は、少しずつだけど何が相手にとって喜んでもらえるのか、今試行錯誤しながら生活している。

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 メキシコ人に誘われて行ったホエールウォッチング。これって後から聞いた話だと、全身を見ることができるのって本当に貴重らしい。そんな中私が参加した時に、運よく一応見ることはできた。

 ヒレだけだったが。私はあまりのしょぼさにガックリきてしまったが、その後幾重にもわたってクジラのヒレが何度もザブンザブンと浮き沈みする姿を見て、遠巻きながらも自然の雄大さを感じずにはいられなかった。ああ、彼らは群れになってきちんと生きている。

 きっとこの先も、いろんなことがあると思う。楽しいことだけではなくて、どうにもならないことややるせないこともたくさんある。それでも決して投げやりにならず誰かのことを思って生きていれば、たぶんもう少しクジラの全体像もいつかは見えることになるのではないだろうか。

 そんなことを、最近ぼんやりと考えている。

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