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#41 自己についての愛を語る

どんな女だって自分を許していいし、大切にされることを要求して構わないはずなのに、たったそれだけのことが、本当に難しい世の中だ。

『Butter』柚木麻子 新潮社単行本 p.22

 そういえば、今日は選挙日だったと思い、慌てて投票会場へ。世の中は思いの外殺伐としている、本当は良いこともあるはずなのに、悲しみのニュースが席巻していて。どこかに救いはないだろうかと必死に探している。日本の未来を、ささやかながら良い方向に変えていきたいという思いで投票箱に名前を入れた紙をストンと落とした。

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 つい最近、友人が抱える悩みを聞いていたら、彼女は最近人に対して優しくできる余裕がなくて、辛いと言っていた。昔であれば自分より年下の人間に対して、ああこの子はまだ歳も若いし、そんな行動を取っても仕方ないなと考えることができていたのに、最近そんな考えができない、と。仕事で余裕を失くし、他者に構うだけの余力を割くことができなくなったのかも、とポツリ力無き声で喋る。

 「ああ、わかるなその気持ち」わたしは彼女に対して同調の意を込めて、力強く頷いた。自分がまるで水中で溺れるようになっていると、ついつい他人を一緒に巻き込みたくなってしまう。わたしも辛いから、巻き込まれてよと言いたくなってしまう。自分を大切にできていないと、誰かを気にかける気力が湧かなくなってしまう。

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 今の会社で新入社員として働き始めた頃、わたしは自分が意図しない形で営業に配属された。配属後、どうしても意見や考えが噛み合わない上司がメンターとなって、その頃は本当に心を擦り減らす結果に。自分の思い通りに部下が動かないと気が済まないタイプ。わたしがいくら意見を言っても、その人は頑なに自分の主張を通そうとした。自分の意図した通りに動かないと分かってからは、あからさまに貶めるような行動に出た。

 その上司は、非常に周囲に取り繕うことがうまかったので、わたしは次第に精神的に追い込まれていった。何が一体正解なのかがわからなくなった。疲弊するあまり、周囲を気にかける余裕も無くなっていく。指導する人がいかに相手を思って指導しているか、というのはなんとなく空気感でわかる。自分の心がどんどん仕事から、日常から遠ざかっていくことがわかった。

 やがてその様子を見て心配してくれた別の上司が、困り果てているわたしを救い出してくれて、別の場所で働くような段取りをつけてくれた。異動した先でもまあ色々あったが、その当時の自分の環境と比べると月と鼈だった。本当に何か人生の光明を見た気がした。

 その時の経験からか、わたしはできる限り周囲の人の気持ちを汲みたいと思うようになった。一方で、仕事やプライベートが忙しくなってくると、かつての自分に戻ってしまうのではないかという恐怖に襲われる。余裕がなくなると、他人に優しくできなくなると言った友人の言葉がわたしの心に小さな棘となって刺さる。

 わたし自身の理想とはまだ遠い位置にいるかもしれないと思いながらも、日々自分の中にある小さな自分と向き合い、本当にそれは正しいことなのか?と問いかける。

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 ふと自分の過去を引っ張り出して、改めて自己について考えたいなと思ったきっかけは、つるさんに語っていただいた「#愛について語ること」の記事である。自分を大切にしないと、他の人を思いやることができない。

 まさにその通りだと思った。自分を大切にできない人間は、自分の不甲斐なさを嘆き、その捌け口を失い、気がつけば自分を気にかける人に対して八つ当たりしてしまう。

 わたしが荒んだ気持ちでコトに当たる時、常に助けてくれるのは自分のことを大切にして余裕を持った人たちだった。彼らは、もしかするといつかの自分を見ているような気持ちだったのかもしれない。わたしをどん底から救ってくれた上司は、いつだったかわたしを気にかけてくれた理由を尋ねると、ただ心配だったんやと恥ずかしげな様子で言った。

 自分を大切にすること。自分を愛して、日常を生きること。自分を大切にしてくれる人を、気にかけること。そうやってきっと、この世の中はうまく循環し続けているのかもしれない。

 最近だんだん仕事やプライベートが忙しくなって、身辺が目まぐるしく回るようになり、余裕がなくなってきている。そんな時でも、わたしを大切にしてくれた人たちのことを思いながら、その原動力を糧にして、わたしを慕ってくれる人や付き合ってくれる人に無心に愛を注ごうと思う今日この頃。

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 まるで茹で蛸になりそうなむわっとした気温。まとわりつく熱気の中で、わたしの髪の毛はくるくると跳ねている。眠気と闘いながら、ふらつく足で帰途を辿る。

 会社からの帰り道、ヘトヘトになりながら、細く尖った三日月がポカンと浮かび上がる空を見た。その空を見て、不意に自分の中で悟ったものがある。ああ、もしかするとかつてわたしを指導した上司も、同じだったかもしれない。仕事の業務に振り回されて、疲弊して、それでも歪んだ切っ先を周囲の人に振り向けることによって、必死に自分を守ろうとしていたのかもしれない。

 でも、それはきっと間違った愛の表現だよ。何事も、表現の仕方ひとつで捉え方が異なってしまう。行き過ぎで歯止めのかからなくなったものは、いつか破滅を迎える運命になる。そうなる前に。そうなる前に、誰かに救いを求めて、委ねること。そうして人は、正常さを保つ。

 自分を大切にしてくれる人に対して、わたしは愛を唱える。その連鎖が続くことによって、自分も他人も素直に愛せる人間が増えますように。


故にわたしは真摯に愛を語る

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