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#13 家族についての愛を語る

 相手をひたすら愛しいと思う。一緒にいるだけで、なぜだか活力が湧いてくる。しっかり生きなきゃと自分を鼓舞する。気が付けば、自分の生活の中心をぐるぐる回っている。自分が確かに存在していることを、浮き彫りにしてくれるもの。それが、家族ではないだろうか。

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 これまで観てきた映画の中で家族をテーマにした映画として、今でも胸の奥にしっかりと残っているものは、母と娘の関係性を描いた中野量太監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』だとか、世間から見ると一見理解しがたい関係性にも見える是枝裕和監督の『万引き家族』などが挙げられる。

 家族と一口に言っても、いろんな形がある。何が本当の家族の形なのかを、夜眠りに就く前に真剣に考えてみる。どちらの作品においても、彼らが形成する家族は互いが互いを思い合っているような気がした。言葉に出さずとも、そこには不思議なことに彼らにしかわからない記号がある。

 昔は家族というと、明確に自分との関係がわかるもの、わかりやすいところでいうと自分の血がその相手にも流れているといったことがその条件に当たると思っていた。けれど、ここ数年くらいでそんなものは関係ないとはっきり断言できるくらいまでには、「家族」の定義を腑に落とすことができたと考えている。

 それでは家族になる条件は何かというと、まごうことなき「愛」である。

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 「#愛について語ること」という形でここ一週間記事を書いていましたが、その企画の中でRingoさんが、さっそくご自身の愛について語ってくださりました。ありがとうございます!嬉しいです。こうして他の方の語る愛に関する記事を読ませていただくと、学びも多いです。

 Ringoさんが語ったのは、彼女と生活を共にしているまめこさんに関しての愛です。Ringoさんの記事はいつもユーモアに溢れていて、軽快。時々わぁこれって大丈夫なのかなと心配になってしまうような出来事も、最後にはなんだか前向きな気持ちになってしまう、そんな不思議な記事を書かれる方です。今回大々的には登場していませんが、個人的にはRingoさんの旦那さんであるアルゴさんとのエピソードが特に好きです。

 Ringoさんの家に我が物顔で暮らしている三匹の犬はどれも個性的。中でも、今回記事で紹介されているまめこさんは、気高く自立心旺盛な女王気質だそうです。そうやって共に生活している人(犬)たちを、客観的に分析しているところに、愛を感じました。

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 家族になるときの条件として、わたしは全文で「愛」だということを書きましたが、実際考えてみるとその愛の正体はなんだろうとふと思うわけです。

 Ringoさんが愛してやまないまめこさんに対する接し方や、それからかつてわたしが親と共に暮らしていたときのことについて思いを馳せる。そうすると、なんとなくぼんやりとですが、明瞭化されるものがあります。

 わたし自身、実家に暮らしているとき、さらにいうと今もですが、散々親に迷惑をかけてきました。過ちを話すときにもちろん親には烈火の如く叱られましたし飽きられもしましたが、最後には結局手を差し伸べてくれる。その事実に甘えてはいけないのですが、確かに救われたのです。

 それは親から子に対する関係性だけではなく、逆も然り。子どもの方がよっぽど肝が据わっていて、親を手助けする場合もあるかと思います。切ろうとしても切れない関係性。家族だからこそ、赤の他人よりも許容範囲が広いように感じます。その根幹には、相手に対する強い思いが介在しているように思えてなりません。

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 だから例えば、お互いに血縁関係がないとしても、その人のことを正しく理解して確固たる人間関係を築きたいという思いがあれば、それは「家族」と呼べるような関係性につながっていくのではないかと思うのです。

 一方で、そのバランスも難しいところ。長年連れ添ったパートナーと、婚姻関係を結んで新たに家族になろうとしたときには、それなりの覚悟が必要だと思います。真に誰かを理解するなんて、自分のことさえままならないのに難しいかもしれないけれど、でも気持ちとしてはきちんと持っておきたい。

 Ringoさんと夫のアルゴさん、彼らと衣食住を共にしている三匹の犬たち。彼女たちは長年連れ添って、築き上げられた彼らだけの歴史があります。お互いの良いところも悪いところもきちんと把握し合うことによって、次第に本当の家族になっていったのではないかとハッと気がつくのです。Ringoさんが綴る記事に対して、わたしがいつも惹かれて読んでしまうのは、そうした家族愛が見えるからなんでしょうね。

 ちょうど今読んでいる木皿泉さんの「木皿食堂」の中で家族に関する言及がされている部分があって、それが妙に自分の中でスッと言葉が入ってきました。

家族って逃げられないものでしょう?だから絶望して逃げ出したくなってしまうこともある。でも、無条件で帰って来れるところってやっぱり家族しかない。

木皿泉『木皿食堂』双葉社 p.112

 なるほど、いつでも帰って来られる場所。そして、注がれる無条件の愛。人はときに傷つき、道に迷い、自分の居場所がないと思ってしまうことがある。それでも、最後の心の拠り所として胸の奥にきちんと形作られているものが、家族の正体なのかもしれません。

 とはいえ、改めて考えると家族についての愛って難しい。なので、きっといつかまた語る時が来るような気がいたします。Ringoさん、愛を語っていただきありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

故にわたしは真摯に愛を語る

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