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#32 将棋についての愛を語る

伝説の妖怪、降臨する

 また随分と渋い感じになってしまったが、かれこれ遡ることわたしがまだ可愛らしいクリクリの瞳を持っていた小学生の頃。両親が共働きだったために、よく登下校の後に児童館に立ち寄っていた。いわゆる鍵っこである。親が迎えにくることを待っている傍ら、児童館に行き来しているいろんな子どもたちと遊んだ。

 ドッジボールやらトランポリンやら一輪車やらありとあらゆる遊具を試したわけだが、思えばそのあたりから自分の落ち着きのなさというのは助長されたような気もする。中でもわたしが毎日のようにはまっていたのが、将棋だった。

 まずは駒の動かし方から教わり、見よう見まねで始めた。よく児童館で働いていた職員の人と指していたのだが、始めてから2年くらいは1勝もできなかった。それがある時、ほんの気まぐれなのか、その人に勝ってしまったのである。

 その時の喜びときたら!大人に勝てた自尊心がむくむくと湧き起こってくる。今思えば、あの時こそが人が天狗という名の伝説の妖怪になった瞬間ではなかろうか。 

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天狗は鼻を折る

 それからゆるゆると時間が流れ、将棋の駒自体動かす機会を逸してしまった。わたしは年上の大人の人に勝って以来、しばらく天狗らしくふわふわと天上を浮いていたわけだが、これまたある時自慢の鼻をへし折られる。いわゆる思春期特有の青さ、というやつだ。世の中、決して思い通りにならないことを理解する。ひしがれ、泣きべそをかき、はて自分は所詮凡庸なのかと疑うことを知る。

 月日は流れ、本物の天才と呼ばれる藤井聡太氏が現れる。彼は世間にもてはやされようとも、決して自分のペースを乱さない。あれこそが人の誉れ高き本当の姿ではないかと、テレビの前で目をギンギンに見開いて凝視したこともあったっけ。その頃ちょうど、柚月裕子氏の『盤上の向日葵』という奇しくも破天荒な棋士を巡るミステリーを読んだ。

 作品の終わり方に関して、賛否両論あるかとは思うのだが、兎にも角にもわたしはかつて自分が天狗だったころのことを思い出した。パチンパチンと駒を盤上に叩く自分の姿がふわりと浮かび上がってくる。何か手軽にまた将棋を始められないかしらんと思い、見つけたのがその名も「将棋ウォーズ」というアプリである。

 これがまた憎い設定で、無料で楽しむためには1日3戦までしかできないのである。わたしは負け続けると永遠に勝つまでやる負けず嫌いなところがあるので、非常にありがたい。過去、何度か課金しそうになってしまったが(1ヶ月\500くらい)、いやこれでお金払ったらたぶん沼にはまると思って何とかぐっと滾る情熱を押さえてきたことが何度もある。

 雪が降る日も雨の日も、たとえワクチンによって熱が出ようとも、わたしはひたすら将棋を飽くことなく打ち続けた。気がつけば三日坊主のわたしが、ここ2年くらい続いているという奇跡が起きている。不思議なことに、朝将棋を打つことで頭の回転が以前よりも滑らかになった気がする。気がするだけで、きっと気のせいだというツッコミは控えていただきたい。

 負け続けた朝もある。そんな時は大体負けた時の棋譜が頭の中をぐるぐる回っているのだ。おめでたいと言われるかもしれないが、これは本気で将棋と向き合ったことがないものだからこそ言える言葉である。将棋の世界は、何とも厳しいのだ。ようやく最近やっとこさ、4級に昇進。道は遠い。

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弥生に舞う春

 改めて将棋を一つの職業として選び、それで生きる人たちのことを考える。毎日将棋するだけで生きていけるなんて幸せねぇという人もいるかもしれないが、きっと彼らにしてみればそれしか生きる道がないわけで。上へ登り詰めるには並大抵の努力ではダメだということを思い知るのである。

 数ある漫画の中でも、お気に入りの一つが羽海野チカさんの『3月のライオン』。棋士である桐山零は暗い過去を抱え、それでも現実で生きるべく足掻く。彼を支えているのは、ある時ふとしたきっかけで知り合うことになった川本家の三姉妹。暖かな血の通った彼女たちの姿を見て、桐山自身も自分の中で凍っていた感情の塊が次第に解れていくのを感じる。

 史上5人目となる中学生でプロ入りした若手棋士ながらも、主人公の中には常に自分や周囲にまとわりつく過去との葛藤が渦を巻いていて。優しい漫画のタッチながらも、実を言うと最初は読んでいるのが辛かった。それが、次第に主人公自らが、積極的に自分以外の世界に手を伸ばすようになっていくことで少しずつ周囲の見え方も変化していく。

 誰もが自分の正しさに従いながらも、それでもうまくいかなくて、傷だらけになる。悔しくて泣きたくて、時にはどん底まで突き落とされてしまうのだけれど、そこから救い出してくれるのは周りにいる人たちの姿だった。

 人の強さと、弱さが交互に現れては消えていく。『3月のライオン』を読むたびに、自分もかつて彼らのような強さを持っていたらどんなによかっただろう、と思う。綺麗事ではなく、今でも時々わたしはわたし自身の弱さに歯軋りする。

 ちなみにわたしの一押しキャラは、二階堂晴信氏である。ポニョポニョと音が聞こえてきそうだが、実は芯がしっかりしている。お金持ちの家に生まれながらも、難病に悩まされる。主人公の良きライバル。

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凛として朝

 朝、将棋を打つ。ただ無心になって。それでも頭の中では、この先に待ち受けるであろうことを予想している。きっと何が起きても耐えられるような面持ちになる。世の中うまくいかないことだらけだろうが、一つ一つ積み重ねていくことによって、何かが開けてくるような気がする。

 頭が疲れ果てて思考を止めそうになった時、ただ思い浮かべる。駒をパチンと打つ音を。そうやって心を平穏に保って、また愛せるべき要素をひたすら探し続けるのだ。


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