ビロードの掟 第9夜
【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の十番目の物語です。
◆前回の物語
第二章 夜の遊園地(6)
大学時代の友人たちと共に訪れたのは、夜の遊園地。凛太郎の元カノである優里が、最後に行きたい場所があると言い出した。
そして入ったのが、ミラーラビリンスという四方八方を鏡に囲まれたアトラクションである。中に入ると、凛太郎はかつての恋人に対して気まずさと照れ臭さがないまぜになる。それは彼女も同じだったようで、入ってしばらくしてからは二人とも言葉を口にすることがなかった。
「リンくん、久しぶりだね。こうして二人で歩くの。あの日桜並木の下を一緒に歩いて以来かしら?」
しばらくして、優里が先に茶目っ気たっぷりな口調で言葉を発した。できるだけ重々しい口調にならないよう配慮しているような感じだった。凛太郎のことを「リンくん」と呼ぶのは彼女だけ。
凛太郎はその呼び方が女の子っぽいのでやめてほしいと言ったのだが、いやいやこっちの方が親近感湧くからさと言って結局そのままになっている。
「そうだね。その、優里は元気だった?」
「うん、おかげさまで」
「今はなんの仕事してるの?」
「主には企画の仕事かな。最近は割と責任ある仕事を任せてもらえて、今ちょっと楽しいんだ」
「──そっか、なら良かった」
しばらくは当たり障りのない話をした。自分の姿があちこちに映し出されるので、慎重に歩いていかないとうっかり鏡にぶつかってしまうという事態が起こる。
今自分がどこへ進んでいるのかわからないなと思いながら、おそるおそる凛太郎は足を踏み出した。鏡の中に永遠に自分の姿が映り込み、これは本当にどこか自分が知らない世界へと迷い込んでしまったのではないかという恐怖に襲われる。
ふと横にいる優里を見ると、目に鈍い光が宿っているのが見て取れた。
「あのさ、ちょっと聞いてほしいんだけど──」
「ん?」
「私ね、あの時あなたに本当に救われたの」
彼女が言葉を発するのは、いつだって唐突だ。話の矛先が一体どこへ向かっているのかよくわからない。
「誰か私のそばにいてくれてる、それだけで何かこう支えになった。私、たぶんあの時自分が何者かよくわからなくなっていて、結果周りの人を傷つけて。他の人の考えや行動に便乗することで自分の意思があるかのように振る舞っていた。思えばそれが知らず知らずのうちに私自身を殺していた。あのままいくと、取り返しのつかないことになっていたと思うの」
「うん」
凛太郎はその話を優里としたときのことを思い出していた。二人が別れる少し前のことである。あのときの彼女はこの世の全ての苦しみを背負ったかのような顔をしていた。あのときのぐったりした表情が今も眼(まなこ)に焼き付いている。
「いつだったか、周りとの関係性に私が疲れてしまった時、あなたが『どこか、誰も自分たちを気にかけない場所に行こうか』って冗談半分で言った時のことを今でもふと思い出すの。その言葉でずいぶん救われた」
「ああ、そういえばそんなこと言ったことあったね」
「きっと、全て繋がってるんだろうね。リンくんの人生も私の人生も。その他不特定多数の見たことのない人の人生とも」
凛太郎は優里が言おうとしているところがわからず曖昧に頷いた。
──彼女は生粋の、夢見る少女。
彼女は付き合っている時もそうだったが、彼女独自の世界を築いていた。凛太郎には見えないものが見えていたのだ。
繊細な子だった。周りが思わず大丈夫?と気にかけてあげたくなるような。そのくせ、自分が弱いと思われたくない。
なんとも形容し難い意志の強さが彼女の瞳の奥に焔のように揺れる。凛太郎は何故だか、自分がとても小さな存在のように思えた。一人だけ、過去の時間に囚われてしまっているような感覚に陥る。
鏡の迷路は凛太郎が思っていたよりもゴールまでだいぶ長く、たどり着くまでに時間がかかった。その後優里とは取り止めのない話をいろいろした。彼女が今ハマっているアーティストが、凛太郎も最近聞いているものと同じだということが判明してしばらく盛り上がる。
話はいつまでも尽きることがなかった。凛太郎は改めて、彼女と一緒にいるのはやっぱり居心地いいなと思った。同時に今カノである奈津美のことを思い出して、胸がチクリともなったが。
10分ほど歩くとようやく出口につながる光が見えてきた。最後にたどり着く前に凛太郎はなんとしても言わなければならないと意を決する。
「なあ、優里。俺たちさ──」
自分は一体今から何を言おうとしているのか。でも今これを言わないと、この先一生伝える機会がなくなってしまう。そんな気がしていた。おそらく人生の転換期にはそうした予感みたいなものを感じる時が何回かある。
「ねえ、リンくん」
優里が突然その場で立ち止まり、凛太郎の言葉に被せる形で言葉を発した。
「私ね、いつかまたあなたと別の形で会いたい。そのときはまた見つけてくれるかしら?」
どこか寂しげに、控えめな様子で笑った。凛太郎はふと彼女の姿が幻であるかのような錯覚に襲われた。このまま彼女に会うことができなくなってしまうんではないか。どうしようもない焦燥感に駆られた。
「優里、君は何言って──」
彼女は凛太郎へと振り返り、少しだけ口角をあげて笑ったように見えた。
最後の出口から差し込むかすかな光が彼女の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。その瞬間、凛太郎は激しい頭痛に襲われる。吐き気がしてその場に思わずうずくまった。キンキンと頭の中が鳴っている。そのまま、視界が暗転した。
最後鏡の前で、彼女が来ていた深紅のワンピースがひらひらと揺れていた光景だけ脳裏に焼き付いている。再び意識を取り戻したとき、その後の一切の出来事を凛太郎はうまく思い出すことができなかった。
<第10夜へ続く>
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