今夜は心地よい炭酸の上で

 ようやく明日からゴールデンウィークとなるわけだが、毎年やっときたー!というような異様なハイテンションにはなることができないでいる。それもこれも突如降って湧いた”やつ”のせいであるが、もうみんなが同じ状況なので四の五の言うことはできない。

 まだまだしばらく海外へ行けなさそうなので、どうにも魂だけでもどこか浮遊したい気分になってくる。(そういえば昔ゲゲゲの鬼太郎のアニメ版において、鬼太郎が魂だけ飛ばして地上階を見下ろす回があったような気がする。私も魂だけでもこの状況から抜け出したい。)

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 みんないったいこのゴールデンウィークは何をするのだろう。去年の今頃も同じように緊急事態宣言が発令されていたものの、今とはまた違ったきちんとした緊張感があった気がする。

 私自身その頃はもう一歩も外へ出てはいけないという強迫観念に駆られていて、一日に4本くらい延々とインド映画を観て気晴らしに出演者たちと一緒に踊り狂っていたことを思い出す。もちろん一人で。あれは傍から見たら実に痛い人認定されていただろうけれど、見ている人が誰もいなかったのでよしとする。

 あの頃街には人っ子一人いなくて、パン作りやらお好み焼き作りやらに専念する人が後を絶たず、いつまでたってもスーパーの強力粉売り場が空っぽだったことを思い出す。メルカリでは異様な金額でマスクと強力粉が売られ、人がいなくなったことをこれ幸いと漆黒のカラスが街を闊歩していた。

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 いつも記事を楽しみに拝読させていただいている筆者の方が、実は2冊同時に本を上梓されることをひょんなことから知り、居ても立ってもいられず発売当日に購入。早速Amazonから綺麗に包装されて箱が届いた。イラストもさることながら、タイトルもまた素敵。2冊届いて眺めてみると、ふわあと変な声が出た。なんだか胸が不思議とときめく自分がいる。

 両作品ともに恋愛という軸では同じなのだが、方向性は全く違う。文量はそれなりにあるというのに、すいすい読めてしまう。不思議な吸引力に包まれた作品たちだった。冒頭の入りの部分は本当にこんなことあるのだろうか、という気持ちでどぎまぎしながら読み進めていくのだが、終盤に近づくにつれて「ああ、これは本当にリアルな一人の人間の物語だ」とまざまざと悟る。

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■ 艶やかなカレーの匂い(『アパートたまゆら』)

たまゆら … 勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと 

 あらすじを端的に話すと、潔癖症の主人公が慣れない飲み会で鍵を無くし、どうしたものかと立ち往生した結果、見かねた隣人が一晩だけ部屋を貸してくれる、というところから物語が始まる。

 そのことがきっかけで徐々に主人公のこれまで見ていた世界が少しずつ変化していく。会社での付き合いも、ご近所付き合いも。関係性はいきなり距離が縮まるものではなく、ゆっくりゆっくりと静かに動いていくものらしい。一歩ずつ歩みを進めていけども、途中つまづくには十分な石ころがコロコロと転がっている。その石を踏んで転ばないように、そっと歩いていく。

あのベランダで夜空を眺めながらココアを飲む自分が、一瞬でイメージできた(p.8)

 この感覚、私も妙に共感してしまった。新しい環境に身を置くとき、確かに自分がその場所にいるのだということを必死にイメージしようとする感覚。想像する瞬間は、言葉にし難いほど満ち足りた時間だ。そして新たな物語が始まることを、ある種の予感を持って確信する。

 本作品は主人公だけではなくて、周りを支える人たちも個性豊か。極上のカレーを作る府川さん、バツイチ子持ちの佐藤さん、主人公の高校での同級生である久米海星、ダメな役者に恋をする美冬…一人一人がきちんとした輪郭を伴って、それぞれの意思を持って動いている。

 「たまゆら」とは本来の意味から転じて、「微か」あるいは「一瞬」という意味を持ち合わせるものらしい。その束の間にしか訪れない瞬間を、なんとなく私たちは捉えようと必死にもがいているのかもしれない。

 生きているうちには、多少なりともスパイスは必要だ。

■ 酸いも甘いも嗅ぎ分けて(『炭酸水と犬』)

 生きていればこの世の中には最悪の組み合わせなんてものが山ほどある。猿とカニ、塩素系の洗剤と酸性系の洗剤、天ぷらとスイカ、水と油…主人公にしてみれば、炭酸水と犬こそがその最たる例であるに違いない。

 いきなり冒頭、これまで長年にわたって付き合ってきた男性から「もうひとり、彼女ができたんだ。」と突然の告白を受ける主人公。それだけでもう一体全体どういうシチュエーションなのか、と度肝を抜く展開。読み進めていくうちに、相手の男性の言動の理由が明らかになっていく。

どんなにジャンキーな嗜好品や娯楽よりも人間が抜け出せないもの、それは習慣というものだと思う。(p.5)

 言い得て妙だと思う。人は一度身についた習慣からなかなか逃れることができない。自分にとって、多少なり弊害をもたらすものであったとしても。

 それは究極のぬるま湯と表現でき、そこに浸かっている限り自分は良い気分でゆったりと時間を過ごすことができるのだ。たとえ途中で冷水や凍えた風が吹こうとも、少し待てばまたぽかぽかと体が温まってくるから。

 最後まで読み終わった時、「ああ」と思ってしまった。どうしようもなく居心地の良い世界だった。酸いも甘いも兼ね備えたソルダムの実のように、正反対の味わいが脳を刺激する。

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 改めてゴールデンウィークはどうしようかと思案する。どうせならば今この時にしかできないことを経験しようではないか。日中はゆっくりとベランダに出て外の空気を思う存分吸い込んで、日がとっぷりくれるまで本を読む。最後眠りに着く数時間前には、これまで入ったことのないような火傷するくらいまで熱くした湯船に浸かるのも、また一興かもしれない。

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 いつまでも、頭の中にはシュワシュワとした強烈な炭酸の泡が浮き上がっていた。今、ラピュタトーストを片手にビターなココアが飲みたい。

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