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鮭おにぎりと海 #4

<前回のストーリー>

大学に入学してから早くも9ヶ月程度経ち、なんとなく新しい環境にもすっかり慣れた。そして、合間合間に派遣のアルバイトをできる限り詰め込んでいくという生活のリズムも築き上げられつつあった頃。

家賃面でも生活費の面でも、最初入学した頃よりは雀の涙程度ではあるが、余裕が出てくるようになった。あと少しで最初の年越しを迎えるといったタイミング。僕はある日、2時限目の移動中に倒れた。

気付くと、僕は大学校内にある保健センターに寝かされていた。

目を開くと、視線を上げた先には白い壁面が広がるばかりであった。正確に述べると、白ではなく微かに黄ばんでいた。起きた瞬間、僕は自分がいったいどこにいるのかが理解できなかった。すると、どこか身軽な感じの足跡が聞こえてきてた。めがねをかけ、朗らかな笑みをたたえた少し年配の白衣の女性が静かに近づいてくるのが見えた。

「あら、気がついたようね。」

その人は、保健センターの先生だった。彼女の話によると、僕は1時間ほど前に2人の男子大学生に抱えられて運ばれてきたらしい。彼らは、僕の学部の個別クラスで一緒であるササヤマくんとシノザキくんだった。1時限目の授業が終わり、次の授業へと移動をしようとしている最中に、突然ドサリと音がして、僕がまるで糸の切れた人形のように倒れていたそうだ。

そういえば、今日は朝から少し調子が悪かった。

昨日は、夜遅くまで派遣のアルバイトへ行って、終わった後はまっすぐ家に帰った。そのまま、シャワーを浴びて泥のようにベッドへダイブイン。4時間ほど寝て、今日の1限目の授業開始に間に合わせるために慌てて何も食べないで学校へと向かった。

その時から頭が少し鈍い痛みに襲われていた。元々偏頭痛持ちだったのでその時は気にしていなかったのだが、1時限目が終盤へと進むにつれてなんだか気持ち悪さも出てきて、そして無事1時限目が終わったときには目が回り、そのまま倒れてしまった、という顛末だ。

保健センターの先生によると、僕が倒れた原因は過労らしい。

「あなた普段からちゃんとしたもの食べてないと、若いからといって油断は禁物よ。自分は大丈夫だ、と思って体を酷使するうちにぽっくり亡くなってしまう人だっているんだから。」

そういうと、保健室の先生は僕にカロリーメイトをくれた。フルーツ味。この味は割と、嫌いではない。

知らぬうちに、密なスケジュールをこなすうちに少しずつ疲労がたまっていたのかもしれない。大事を取ってその日のうちにあった他の授業を欠席し、派遣サイトで見つけた道路整備のアルバイトも、その夜は体調不良を理由にキャンセルした。

「はい、サンサン警備保障ですが」

「もしもし、戸田と申します。今日派遣サイト経由でそちらにアルバイトをすることになっている予定の者です。直前で誠に申し訳ございませんが、体調を崩しまして、今日の仕事を欠席させていただけませんでしょうか」

そう僕が言い終わるか終わらないうちに、ふーというため息が携帯の送話口から漏れ出る。

「わかりました。が、学生さんとはいえ体調管理はしっかりしてくださいね。こちらも直前にいわれても、穴を埋めるのが大変なので。」

僕ははい、すみませんでした、と言うと同時にガチャンと電話は切れた。もちろん申し訳なさはあったが、それと同じくらい胸の中でざらりとした何とも形容しがたい苦い感情が胸の中に去来した。

次の日も、なんだかんだと自分に言い訳をして、学校も派遣の仕事も休んでしまった。それまで積み上げられてきた言いようのない緊張感みたいなものがプツンと切れてしまったのかもしれない。

ようやく本調子に戻り始めたのが、3日後だ。あと3日もすれば、冬休みが始まる。この時期、派遣の仕事は有り余るほどある。クリスマスケーキの店頭販売、郵便局の配達、おせち工場での弁当詰などなど。ようやく体が主の意向を汲んでこれからめっちゃ働くか!という気持ちになっていたとき、4時限目の移動の際にササヤマ君から声をかけられた。僕が倒れた時に保健センターへと担いでくれた一人だ。

「やあ、戸田くん。その後体の調子はどう?」

「あ、その節はお陰様で…助かりました。どうやら過労だったみたい。その日の朝とその前の晩何も食わずじまいだったから。」

「なんだよ、ダイエットでもしてんの 笑 俺、人生で文字通り糸が切れた人形みたいに倒れた人見たの初めてだよ。」

「いやあ、それがどうにも今金なくってね。めっちゃバイト入れたら、それが祟って倒れちゃったらしくて、」

「え、なに、戸田くんってば勤労学生なの?すごいなあ」

キンロウガクセイ。その言葉を頭の中で反映するも、僕の頭の中では霧のように雲散霧消してしまった。なんとなく、語感だけ察するに僕は苦労人と思われているらしい。

「良かったら、バイト紹介しようか。小学生に受験勉強教える仕事なんだけど、かなり儲けがいいんだよ。1時間なんと¥2,500だぜ。4時間1日入るだけで1万円だよ。おいしくない?」

僕が今派遣でやっている仕事はどんなに高く出たとしても1時間あたりせいぜい¥1,200程度。1時間で約2倍!ササヤマくんから提示された金額は、その時の僕からしたらそれはそれは魅力的なオファーに思えたのだ。これがいわゆる「捨てる神あれば救う神あり」というやつか。ちょっと意味が違うかもしれないが。

なんとなく、人生はこんな風に自分が思いも寄らない場所から新たな道標を示される時もあるのだと、僕はこの時初めて知ったのだった。

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