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<コロナ> 無力感、孤独、怒りとただ一緒に過ごす


低空飛行が続いています。

地面でお腹をすりむく日々。


ベルリンのまちでは、一目で感じられる変化は消えつつあります。

ここに住んでいる人たちは、コロナのための規制や混乱下にあって、どこまでも自由で正直で、できることを探して、生き生きと、暮らしているように私の目には見えています。


先週末はナイトクラブの再開を求めて、河川でボートを使ったデモが企画されました。

デモの申請は100人規模だったのに3000人が集まってしまって、主催者がごめんなさいと言っていました。

お店や電車で義務化され始めたマスクにも、「しない権利」について少なくない声が上がっています。


私はもしナイトクラブが再開しても、そういう場所で何をしていたらいいのかあんまりわからないので行かないし、マスクをするのは好きじゃないけどそれが感染防止に効果があるなら頑張ってつけようと思いますが、ベルリンの人たちが「クラブもういい加減再開させてよ!」「マスクいやよ!」って声をあげるのを見ると素敵だなと思うのです。

主張の内容に賛否があるのをあたりまえのこととして、驚くほどカラフルな主張が生まれる土壌、ベルリンの人たちひとりひとりの主体性と自己主張の強さにひどく憧れるのです。

誹謗中傷と、議論や批判がちゃんと区別されているのもいいなと感じています。

あいかわらず私は自分がそのなかに参加できているとは感じられずに、ただこの場所にいるだけという気持ちでいるのですが、もっと語学を上達させて、お友達を作ることができたら、このまちを自分の居場所だと感じることができるかもしれないので、そうなることがとても楽しみです。



最近はハートをぞうきん搾りされるようなニュースもまた、ひっきりなしに入ってきます。


大好きな人たちが日本でコロナのせいでつらい理不尽な目にあっていること。

それを救済、支援、補償すべき政府が、あまりにもお粗末で無用なコロナ対策に多額の税金をつぎ込んで、まっとうに頑張ってきた人の危機を救えたはずのお金を喰いつぶしていること。

中抜きし身内で山分けするやり方が、コロナ禍に乗じてこれまでよりもさらにあからさまになっているのに、警察検察メディアが機能していなくて、事態に見合う怒りが発生しないまま、汚職が裁かれないで利権構造が肥えふとり続けていること。

膨大で卑劣な匿名の誹謗中傷に心を傷つけられて命を絶ってしまったリアリティショーの犠牲者のこと。

女性蔑視な考え方に無自覚な人がどこかしこで差別を再生産する言葉や表現を振りまいていること。

在日クルド人の男性が不当な職質にあったこと。

アメリカで警察の人種差別の犠牲となってまた命が失われ、世界中で怒りの声があがって、そうして立ち上がった人の多様さを知ろうとせずに過激派のレッテル貼りが行われて、またそれを利用する人がいること。

人が差別に怒っていても、他人ごととしか捉えられずに、そのことがすでに自分がマジョリティの権利の上であぐらをかいている証だということに無頓着な人がたくさんいて、怒っている人に「気持ちはわかるけど、落ち着いて。そのやり方じゃ伝わらない」と、「悪意なく」残酷に接すること。


私は、自分の無力さを痛感しながら怒り、なんでもいいから役に立ちたいと切望しながらその思いにきちんとした出口を見つけられずにうなだれて、そしてうなだれているだけです。


オンライン署名やハッシュタグなどをぽちぽちとやってみても、自分を納得させることができません。

思いとやり方と効果、それぞれの大きさがどれもぜんぜん釣り合っていないのだろうと思います。

思いを言葉にすることからなにか始まることもあるかもしれないと思って、今の気持ちを残しておこうとしています。

今ここで、何も生み出せずに

繋がれない
会えない
共感を伝えられない
貢献できない
感触できない

と言って悲しい顔をしていても、

いいじゃない。

別に、それもいいよ。

いいんだよ。

と言いたいです。





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