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本を読んであれこれ妄想・思索に耽っています。安定的会社員主義、賃貸派、積極的子育て主義…

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本を読んであれこれ妄想・思索に耽っています。安定的会社員主義、賃貸派、積極的子育て主義。駄文、乱文ですが、どうぞよろしくお願いします。

最近の記事

『ケーキの切れない非行少年たち』に似た友達を知っている。

娘に勉強を教えた。小学校に入る前からひらがな、カタカナが書けるようだ。足し算や引き算も、小さい値ならばお手の物だ。 自分の子ども時代はどうだったろうか。 文字を読んだり書いたりするのは、娘の年よりももっと後だった。それでも、小学校、中学校では成績は良く、高校では進学校に進んだ。 そんなに勉強をしたつもりもなかったが、授業で先生の話をよく聞いて、宿題もしっかりやったからだろうか。苦労した記憶がない。 そういえば、全然勉強ができない友達がいた。家も近所で、小学校も中学校も

    • 『クロイツェル・ソナタ』『悪魔』を読んでの感想

      トルストイの『クロイツェル・ソナタ』と『悪魔』のテーマは貞操である。 前者は、バイオリン奏者と不倫をしてしまった妻を殺す男の話。後者は、妻子を持ちながら、昔放蕩のために関係を持った女性に思いを寄せた末に悩み、自殺した男の話。 しかしこの2つの物語はあからさまな不倫劇でもない。『クロイツェル・ソナタ』では、本当にバイオリン奏者と妻が関係を持ったかどうかは明確にされていない。 『悪魔』に至っては、結婚をしてから相手と直接的に関係を持ったわけでもない。 トルストイにとっては

      • 『ソクラテスの弁明』を約20年ぶりに読み直すと、ソクラテスを尊敬できなくなっていた。

        大学の時に読んだ『ソクラテスの弁明』。光文社文庫の新訳版を買って読んでみる。 知の探求において、無知を自覚することが何よりも大切である。知ったかぶりをせずに、知らないことを意識して学問に臨むべきである。 当時読んだときの解釈はいかにも学生らしいものだった。 私は今や40代の中間管理職の会社員である。目下の関心は、世の中を知ることではなく、会社の課題解決である。 わからない問題に立ち向かうには「なぜ」を繰り返すのがよい。「なぜ」を5回繰り返すと問題の本質的な原因にたどり

        • 『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで、自分と身の回りを振り返る。

          半藤利一氏が亡くなったので、氏の著書をいくつか読んだ。特に『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで、考えるところがあったのでまとめておきたい。 洋の東西を問わず、リーダーシップに関する著書は数多くある。リーダーシップの定義は多様であり、個々人がこれだと思うリーダーを目指せばよいのだと思う。 リーダーに必要な要素は決断力であり、勇気であり、忍耐である。あるいはリーダーは徳を備えた人物であり、人の気持ちに寄り添えなければならない。リーダーは集団を引っ張っていく傑出した人間

        『ケーキの切れない非行少年たち』に似た友達を知っている。

        • 『クロイツェル・ソナタ』『悪魔』を読んでの感想

        • 『ソクラテスの弁明』を約20年ぶりに読み直すと、ソクラテスを尊敬できなくなっていた。

        • 『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで、自分と身の回りを振り返る。

          『宿命』を読んでの雑感

          事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。 警察庁長官の狙撃事件は、あのオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件と時を同じくして起こった。時効を迎えて未解決事件になったが、それまでに様々な憶測がメディアを賑わしたのを思い出した。 容疑者Nなる人物による犯行説があったのはよく覚えている。実際にその人物に取り調べを行った担当者が書いた本ということで、怖いもの見たさで読んでみた。 何しろ私の思春期に世の中を騒がせた事件である。 平成という時代にテロが起こったという事実は、「平

          『宿命』を読んでの雑感

          『プロデュースの基本』はとにかくやってみること

          能動的であることがプロデュースの基本である。 積極的に何かを行って有形、無形にかかわらず価値を生み出すことがプロデュースである。 人生を通して、あるいは仕事を通して、自ら行動して成果、作品、モノ、サービスを生み出す人はプロデューサーである。 プロデュースするためには、受動的であってはいけない。例えば音楽を聴く側ではなく、楽器を弾き、音楽を作る側に立たねばならない。 しかしプロデュースのきっかけは受動的である。 私は中学時代バスケット部に入り、県大会ベスト4まで行った

          『プロデュースの基本』はとにかくやってみること

          『学びとは何か』を読む。勉強の効率ばかりを求めていると探求者にはなれないようだ。

          飽きっぽい性格である。良く言えば好奇心旺盛といったところか。何かに打ち込むという経験は高校の部活以来していない。 仕事も勉強もとりあえず一生懸命やってきたのだが大成はしない。深さが足りないのである。ちょっとできると満足してしまい探究心をなくす。おかげで何一つ秀でたものがない。 昨今は学び直しの時代である。将来のことを考えて何かスキルを身につけたいと思い立った。 これからの時代はプログラミングの一つもできないとと思って本を買って読んでみた。これが全く理解ができなかった。

          『学びとは何か』を読む。勉強の効率ばかりを求めていると探求者にはなれないようだ。

          寺田寅彦を読んで自己表現について考える

          寺田寅彦は科学者でありながら、夏目漱石の門下に入り、文芸にもあかるいエリートである。できる人間というのは、文系だとか理系だとかというのは関係ないのだろう。 本書は、寺田寅彦が科学者としての視点から、文学について、あるいは文化について書いたものだ。こういう人間にとってみれば、文系と理系に大きな逕庭がないようだ。 つまり、科学者が数字を使って事象を表現するのに対して、文学者は言葉で表現するだけの話なのだ。 寺田は、西鶴や芭蕉を引き合いに出して、文学にも科学と同じ側面があると

          寺田寅彦を読んで自己表現について考える

          サブスクリプション、その違和感の正体

          数年前から音楽をサブスクで聞くようになった。CDアルバム1枚買うよりも安価であらゆるジャンルの音楽が聴ける。すごい時代になったものだと興奮したのを覚えている。 しかし、今どうしても私にはしっくりこない感情が湧いてきている。 それは以前よりも音楽が聴けてないのだ。昔のように楽曲に対して、何か強烈な印象が残らないのである。 素人が気づくほどプロの技術が衰えるわけがないのだから、私のほうに原因がありそうだ。 音楽は記憶を呼び起こす。今でもある楽曲を聴くと当時を鮮明に思い出す

          サブスクリプション、その違和感の正体

          『バンクシー』を読む。アートを純粋に楽しみたいと思った。

          現代アートと呼ばれるものには理解に苦しむ作品が多い。 特に私が腰を抜かしたのは、デュシャンの『泉』である。便器をひっくり返しただけのオブジェである。 芸術に美しさを求めている私には、こうした作品が現代アートの傑作と評価されることに違和感を感じている。 しかしながら、書店へ足を運べば現代アートの鑑賞に関する著書が数多並べられている。 いくつかの本を立ち読みしてみると、アート鑑賞とは、その作品から自分の解釈を見つける出すという能動的な作業だという。 混沌とした時代におい

          『バンクシー』を読む。アートを純粋に楽しみたいと思った。

          『生涯投資家』を読んで、氏を誤解していたことに気づく。

          私が学生時代、氏はメディアを賑わせていた。「お金儲けは悪いことか」という発言に、世間知らずの若者特有の青臭い正義感から、嫌悪を覚えた記憶がある。 私はメディアが作り上げた拝金主義者の彼だけを刷り込まれていた。 時代は過ぎ、氏の活動はまたメディアに注目され始めた。今もシンガポールを拠点に投資家として活動をしている。著作や公演によって、若き人材へ、お金との付き合い方を啓蒙しているようだ。 投資については私もズブの素人である。細々と給与のいくらかを積立投信に預けている程度だ。

          『生涯投資家』を読んで、氏を誤解していたことに気づく。

          中公新書『なぜ人は騙されるか』を読んで、ますます頭が混乱する

          世の中には人を騙すことで生計を立てる輩がいる。詐欺グループしかり、悪徳業者しかり。 先日も見知らぬ番号から電話がかかってきた。ネットで番号を検索すると、同じ番号からかかってきた人が親切にも通話口なる相手の人物評を書いている。 どうやら架空請求詐欺のようだ。詐欺はもはや身近な存在として生息していることを痛感する。 よくドラマでは「騙されたやつが悪いのだ」と犯人が嘯くことがある。言語道断と切り捨てることもできるが、あるいはそうかも知れないと思うときもある。 というのも、そ

          中公新書『なぜ人は騙されるか』を読んで、ますます頭が混乱する