中公新書『なぜ人は騙されるか』を読んで、ますます頭が混乱する

世の中には人を騙すことで生計を立てる輩がいる。詐欺グループしかり、悪徳業者しかり。

先日も見知らぬ番号から電話がかかってきた。ネットで番号を検索すると、同じ番号からかかってきた人が親切にも通話口なる相手の人物評を書いている。

どうやら架空請求詐欺のようだ。詐欺はもはや身近な存在として生息していることを痛感する。

よくドラマでは「騙されたやつが悪いのだ」と犯人が嘯くことがある。言語道断と切り捨てることもできるが、あるいはそうかも知れないと思うときもある。

というのも、そもそも人間の心には欠陥があるからだ。

心の欠陥を「認知バイアス」と読み換えることができる。人間は物事を客観的に捉えることができない。先入観やこうありたいという願望が反映される。認知バイアスには主に3つのバイアスがあるらしい。

一つは、正常性バイアス。何かリスクが生じたとき、自分だけは大丈夫だと過度に安心すること。自分だけは詐欺にひっかからないと高を括っている状態である。

オレオレ詐欺はこれだけ警戒されているにもかかわらず、まさか自分が息子の声を間違えるはずがないと思って、声の主の哀願に応えて、口座番号やカード番号をいともたやすく教えてしまう。

二つ目は、真実バイアス。相手の言うことに疑いをもたず、すべて真実であると判断する。テレビのニュースなど、まさかテレビで嘘は言うまいと無意識に思い込む。

権威やネームバリューだけで無条件で受け入れてしまう。有名人が使っていた、あるいは絶賛していたりすると、ろくに調べもせずに購入してしまう。

三つ目は、確証バイアス。出来事を自分の予見にあうように解釈する。あるいは自分の価値観、感情、考え方に近い情報だけを無意識に選び取る。

こうした認知の歪みを、詐欺グループや悪徳業者は巧みに利用するようだ。では、我々はいかに認知バイアスを克服できるだろうか。すべてを疑って生きていかねばならないのだろうか。

認知バイアスが構造的に心に隙を作ると理解したとしても、無意識の行為を防ぐことはできないだろう。心の欠陥の本質的な原因は、もっと生理的で本能的な欲求に帰するからだ。

騙す側の視点で考えれば、ターゲットになる人物は何かに不満や不安を持っていて、解決されることを強く願っている。願えば願うほどに認知の歪みがは強くなる。彼らはそれを利用してターゲットに解決策を提示してあげればよいのだ。

たとえば私は薄毛である。真剣に薄毛を気にする限り、それを解決できるかもしれない情報を肯定的に受け止めて私財を投じる覚悟がある。

データの検証などをいちいちしなくても、もし楽天あたりで販売されていたら藁をも掴む思いで即決するに違いない。

息子が遠く離れた地で働いていて、実家で一人寂しく暮らす母にとって、息子に起こる不幸は一層の不安を掻き立てる。すぐにでも助けてあげたいと願い、そしてためらわずに行動に移すだろう。

家族との関係をうまく築けずに孤独を抱える少女に、男が近づいて優しく甘い言葉をかける。少女は「やっと自分を愛してくれる人に巡り会えた」と思うだろう。

あるいは、同期が次々に業績を上げて出世していくのを悔しがり、なんとか営業成績を伸ばしたいという焦りがあれば、大金を叩いてでも能力開発セミナーに参加するだろう。

コンプレックス、孤独、不安、承認欲求、すべて人間の弱さである。こうした弱さを克服するのはおそらく不可能に近い。

弱さを補うために人間同士が知恵を出し合い解決するのが世の中である。合法か違法かの違いだけで、ビジネスと詐欺は紙一重とも言える。

さて、あらゆるものに疑いながら生きていくか、人間の弱さを克服していくかという所詮勝ち目のない戦いを迫られた。

私なら自分の弱さに向き合ってみたい。克服ではない。弱さを認めることだ。

薄毛の自分を受け入れよう。寂しいなら自分から声をかけよう。競争で負けたら潔く諦めよう。開き直った人間には怖いものがないという。気にしなければ解決策など不要だ。

畢竟、騙されないためには、ありのままの自分を受け入れることが最善なのだろう。

しかし、なんとそれは果てしなく遠い理想であることか。


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