『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで、自分と身の回りを振り返る。

半藤利一氏が亡くなったので、氏の著書をいくつか読んだ。特に『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで、考えるところがあったのでまとめておきたい。

洋の東西を問わず、リーダーシップに関する著書は数多くある。リーダーシップの定義は多様であり、個々人がこれだと思うリーダーを目指せばよいのだと思う。

リーダーに必要な要素は決断力であり、勇気であり、忍耐である。あるいはリーダーは徳を備えた人物であり、人の気持ちに寄り添えなければならない。リーダーは集団を引っ張っていく傑出した人間であり、一方で組織といえども一人ひとりにリーダーシップは求められる。そのいずれも正しいと思う。

しかし、半藤氏が太平洋戦争の日本軍指導者を研究して明らかにした「日本型リーダー」とは、巷で求められるリーダーシップに必要な要素を決定的に欠いている。それは責任である。

日本型リーダーの特徴を一言で言えば無責任なのである。

この日本型リーダーの起源は西南戦争から始まるという。新政府軍と西郷隆盛率いる薩摩軍の戦いにおいて、新政府軍の組織が日本型リーダーの典型であった。

新政府軍の総大将つまりリーダーはいわゆる貴族。天皇という権威を使って求心力を保つ役割だ。一方戦争の実務は参謀の山縣有朋。リーダーは飾りでよく、神輿に乗っていればよい。実質的には参謀が権限をふるい現場を指揮する。

それ以降、日清、日露戦争、太平洋戦を経て今日に至るまで、トップは常に権威の象徴であり飾り立てられる存在になる。

参謀や配下のものが手柄を立てれば、内容を誇張してトップの功績として称える。組織が敗北を喫すれば、トップの名誉を傷つけぬようになかったことにする。あるいは部下が責任を負う。

権限は持つけれど責任を負わない参謀。権限も持たないし責任すらもたないトップ。権限はないが責任だけ取らされる部下。

リーダーシップ論が展開する「責任と権限はセット」という現象が日本社会では通用しないのである。

これは半藤氏が憂慮しているように、現在でも行政だけでなく教育機関、民間の会社でも、そして私の属する組織にも一定程度存在しているように思われる。

組織のトップが責任を追求されるのは、株主など外からの圧力によってのみである。

偉くなれば成果に対するコミットはなくなり、成果目標は下へ下へ降りてくる。下の人間は限られた裁量権の中で必死で働く。当然結果がでないときもある。真っ先に成果による評価で厳しく責任を問われるのは、当事者である部下である。

半藤氏の指摘する日本型リーダーが存在していると、部下の責任が、課長、部長の責任に上ってゆかない。部下は嘆く、結果責任を問うのなら、裁量権を渡してくれと。

責任への意識が希薄な上司がいたら要注意だ。氏の言う日本型リーダーにちがいない。そういえば私の身近にも思い当たる人物が数名いる。


閑話休題。私はこの責任の曖昧さを示す日本人の価値観を思い出した。丸山眞男が表現した「であること」と「すること」の違い。日本人は「であること」を好む。

例えばビジネスでの意思決定。「誰が決めた」ではなく「会議で決まった」と表現する。日本人は元より主体的に「する」ことに慣れていないのではないか。自分の行動の結果、起こったことに対して「こうなってしまった」という他人事で片付けられる。

丸山眞男によれば、こうした主体性の欠如は江戸時代かららしい。半藤氏が指摘する日本型リーダーの起源よりも随分前である。

無責任、これはおそらく日本人のDNAなのだろう。起こってしまったことは、自分の意志とは無関係に、神や自然がもたらしたものと考える癖がついているのかもしれない。脈々とその血筋を受け継いでいるというわけである。

タイトル通り、責任の所在を曖昧にしたリーダーは組織を社会を滅ぼすわけだから、肝に銘じなければならない。

とはいえ部下として働く人はそんな上司や組織を嘆くだけでよいとも思えない。

「リーダーシップは一人ひとりが身につけるべきである」という議論もある。せめて自分の人生くらいは自分で決めて、その結果には責任を持ちたいものである。


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