『学びとは何か』を読む。勉強の効率ばかりを求めていると探求者にはなれないようだ。

飽きっぽい性格である。良く言えば好奇心旺盛といったところか。何かに打ち込むという経験は高校の部活以来していない。

仕事も勉強もとりあえず一生懸命やってきたのだが大成はしない。深さが足りないのである。ちょっとできると満足してしまい探究心をなくす。おかげで何一つ秀でたものがない。

昨今は学び直しの時代である。将来のことを考えて何かスキルを身につけたいと思い立った。

これからの時代はプログラミングの一つもできないとと思って本を買って読んでみた。これが全く理解ができなかった。

文章も平易で紛うことなき入門書のはずである。ところが何度読み返しても理解ができないのである。

これはどうしたものだろうと思って、数年前に読んだ本書を思い出した。学習プロセスをきれいにまとめてくれている良書である。

というわけでプログラミングそっちのけで本書に夢中になってしまった。

学習を知識の習得と定義する。すると、まず知識には2つのレベルがあるようだ。

「事実としての知識」と「生きた知識」である。私が英文法を知っているのは「事実としての知識」である。ではなぜ私は英語を話せないのか。それは「生きた知識」に昇華されていないからである。

「事実としての知識」ではなく「生きた知識」の体得を目指さなければ意味はない。

次に、新たな知識を得るには、意味を理解するための知識が不可欠になる。意味を理解するための知識が「スキーマ」と呼ばれているものである。

ゼロから学習するにはまずこのスキーマを増やす必要がある。こどもの言語習得のプロセスがわかりやすい。

こどもは誰から教えられるでもなく自然と母語を話すようになる。最初は親の話している言葉から単語を理解して、そのうち単語をつなげてセンテンスになっていく。

何度も繰り返し触れることで知識は定着する。それがスキーマになる。スキーマができあがると、それを使ってさらに新しい知識を増やす。

このサイクルが学習の王道である。自分が知っている知識(=スキーマ)を使うことで学習は更に効率化していく。

つまり学習の初期段階では、わからなくても粘り強くコツコツやれる意思の強さが必要である。そして、この学習は教えてもらうのではなく自ら考えて発見することも重要である。

わからない課題に対して何日も何ヶ月も取り組めるだろうか。答えは否である。すでに私はプログラミングは自分には無理だとさじを投げている。

自分の知っている知識と経験だけで理解できるものしか理解しようとしないのは知の怠慢である。新しい知識を身につけスキーマを増やしていくべきである。

ではスキーマが多ければよいのかというとそうでもない。

スキーマは自分が得た知識や経験によって作られるため間違っている可能性がある。思い込みである。そのスキーマの思い込みを学習の過程で修正していかなければならない。

スキーマをベースにした直感による判断は、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』で述べているところの、ファスト思考である。スキーマは知識の習得を効率的にする反面、思い込みによるミス(間違った理解)を誘発する。

そこでスキーマを疑う批判思考が求められる。熟達者は常に自分の得てきた知識や経験による解釈を疑う。そして、仮説検証のプロセスや論理の構築を経てより正しい結論を出そうとするのだ。

熟達者はスロー思考を使って知識のアップデートを行うのである。

一方の私は完全にファスト思考のみを使っている。ニュースや記事を読んだくらいで、世の中を知った気になっているレベルである。ろくすっぽ自ら調べることなしに知識を得たと思い込んでいるわけだ。

自分の知識、経験をもとにしたスキーマで事実を理解すると主観的な解釈になる。それゆえ著者も主張しているように、世界を客観的に理解することは不可能である。

自分の知識が主観的であれば、当然違う意見や解釈が存在する。知識の浅い人は違う意見や解釈に不寛容である。自分の理解を正しいと思い込むからだ。

一方で、その道の専門家は、表面的な知識であれこれ語る私とは別次元で物事を見ているのである。そしてそれも少しずつ修正していくのである。熟達者は謙虚である。自分の知識に溺れない。


どうやったらプログラミングを効率よく学習できるかなどと考えて本書を繙いた自分が恥ずかしい限りである。

学問に近道なし。粘り強くコツコツと知識を増やしていくしかあるまい。それともすでに理解可能なスキーマで太刀打ちできる分野でも開拓しようか。

飽きっぽくてすぐ諦めるこの性格では何一つ大成はしなそうだと改めて悟った。


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