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我々、今日もひょうきん族。【子育てエッセイ】

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現在2歳のムスメとの毎日を、父と母の目線から。社会と絡めてみたり。自分の人生と絡めてみたり。自分の受けてきた教育と絡めてみたり。いまの私から切り離せなくなったムスメとの生活をおも… もっと読む
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思い出に守られて強くなる【我々、今日もひょうきん族。Vol.7】

思い出に守られて強くなる【我々、今日もひょうきん族。Vol.7】

小さい頃の記憶なんて無いも同然だから小さい頃に旅行に行くのはもったいない、と言う人がいる。

実際に、私も数人から言われた経験がある。

小さい頃の記憶は本人が大人になった時には消えているし、
親が大変なだけだから行くだけ無駄だ、というもの。

それはそうだけど、と思いつつ。

3月末、個人的に東京に行く用事があり、
「せっかくだし!思い出になるし!」
と思い立ち、パパとよっちゃんと3人で東京へ行

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あれこれ言うの、やめてみる。【我々、今日もひょうきん族。Vol.6】

あれこれ言うの、やめてみる。【我々、今日もひょうきん族。Vol.6】

人は信頼ある人からの言葉しか受け入れられない。
または、信頼しているものから、か。そう痛感させられた出来事があった。

先日、旦那さんが
「今日さ〜、保健師さんから中性脂肪が高くなってきてるって言われたんだよー。運動始めよっかなあ」
と背中を丸くしながら話してくれた。

どうやらその日、職場で保健師さんからの健康指導があったらしい。
週に1回からでいいから、運動を始めた方がいいと言われたのだとか。

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行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

高校時代からの友人と食事したある日の夜。

友人は、仕事のことで、どうにも表現し難いほどに悩み、落ち込んでいた。
ただこれがもどかしいのだけど、彼女は自分の悩みを、人に言葉にして表現できない。それでも、彼女の様子から、激しく落ち込んでいる様子は見てとれた。

これまでの付き合いの中でこれほどまでに落ち込んでいる姿を見たことはなかったかも、と新しい友人の一面を見られた気がして少し嬉しくもあった。(

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「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

「六人の盲人と像」という話がある。

ある六人の盲人が、象の体の一部だけを触っただけで感想を言い合って、互いに象の正体について自分の主張を譲らないという話。

鼻だけを触って「象は蛇のようなものだ」と言ってみたり、しっぽだけに触れて「象は槍のようなものだ」と主張したり、という具合に。

盲人のそれぞれが触ったのは象の体の一部に過ぎない。

その一部だけで、あたかも物事や人物のすべてを理解した気にな

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よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

私がまだ小学生に上がったばかりの頃だったかしら。

今ではよっちゃんに、
目尻下がりっぱなしで、ばぁばへのテレビ電話にも必ず映り込んでくるじぃじ(私の父)なのだけれども、
20年ほど前はそれはそれは厳しかった。

4きょうだいの末っ子である私に、
父の怒りの矛先が向くことは少なかったのだけど、
お姉ちゃんや兄ちゃんには、それはまあ厳しかった。

ある日の夜、
もうみんなが寝ようと、
歯磨きしたりト

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正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

初めて聞いたときから、どうしても忘れられない言葉がある。

正しいことが、必ずしも「正解」であるとは限らない。

仕事をしているときも、ムスメと接しているときも、パートナーと話しているときも。

人によって、場面によって、「正しいこと」は移り変わるのかもしれない。

正しさだけを刀のように振りかざしていると、いずれ大事な人は離れていってしまうのかもしれない。

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よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

チャイムが鳴る、朝7時50分。
当時小学4年生だった私は、小学校の玄関にある公衆電話の陰にひそりと隠れて、お母さんが教科書を持ってきてくれるのを待っていた。

(あ〜〜もうお母さん早くきてくれないかなぁ…)

自分が準備できていなかった教科書を、母に持ってきてほしいと公衆電話から家に電話をかけて頼んでいたのだ。

当時は、公衆電話はお迎えの連絡をする要件にしか使ってはならず、先生の許可も必要だった

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