仁科ひかり

フリーランスのライターです。わんちゃんを1匹飼っていて、一生一緒に生き続けてほしいと願…

仁科ひかり

フリーランスのライターです。わんちゃんを1匹飼っていて、一生一緒に生き続けてほしいと願ってやまない今日この頃です。 |さとゆみビジネスライティングゼミ4期生

マガジン

  • 我々、今日もひょうきん族。【子育てエッセイ】

    現在2歳のムスメとの毎日を、父と母の目線から。社会と絡めてみたり。自分の人生と絡めてみたり。自分の受けてきた教育と絡めてみたり。いまの私から切り離せなくなったムスメとの生活をおもしろおかしく書いてみます。

最近の記事

「母親」やめたら我が子が愛おしくなった話【我々、今日もひょうきん族。Vol.9】

親になった今、「子どもはかわいい」という人の感情が理解できる。 これだけ言うと、すごく冷徹な人間みたいだけれど。笑 我が子は、愛おしく、尊く、ときに虚しい。そんな存在であることが、今なら苦しいほど理解できる。 自分の中の感性が三つくらい増えたような。 春の夕焼けのような、涼しい風が吹く穏やかなオレンジ色の空のような、そんな感情があることをよっちゃんは教えてくれた。 ただ、数年前の私にはそんな感情がなかった。 そういう感情に気づいていなかった、だけ?なのか? そんな私が、

    • 感情のその先にある学びに向き合う【我々、今日もひょうきん族。Vol.8

      「2人なら喜びは2倍に 悲しみは半分に」とよく言われる。 感情を数値で表すことは不可能だけれども、 本当に2倍になるのか?半分に減るのか? なんて途方もないことを延々と考えている時期があった。 一体、誰がこんなこと言い出したんだろうか。 約3年前、姉が白血病だと診断された。 診断即日入院で、悲しみに暮れる余裕もなかった。 まさに家族に訪れた緊急事態だった。 ただみなさん、安心してください。 担当医からは、 手術がうまくいく可能性は20%だとか、なんとかかんとかいろいろ言

      • 思い出に守られて強くなる【我々、今日もひょうきん族。Vol.7】

        小さい頃の記憶なんて無いも同然だから小さい頃に旅行に行くのはもったいない、と言う人がいる。 実際に、私も数人から言われた経験がある。 小さい頃の記憶は本人が大人になった時には消えているし、 親が大変なだけだから行くだけ無駄だ、というもの。 それはそうだけど、と思いつつ。 3月末、個人的に東京に行く用事があり、 「せっかくだし!思い出になるし!」 と思い立ち、パパとよっちゃんと3人で東京へ行くことにした。 そして、ちゃっかりディズニーランドに行くことにもしてしまった。

        • あれこれ言うの、やめてみる。【我々、今日もひょうきん族。Vol.6】

          人は信頼ある人からの言葉しか受け入れられない。 または、信頼しているものから、か。そう痛感させられた出来事があった。 先日、旦那さんが 「今日さ〜、保健師さんから中性脂肪が高くなってきてるって言われたんだよー。運動始めよっかなあ」 と背中を丸くしながら話してくれた。 どうやらその日、職場で保健師さんからの健康指導があったらしい。 週に1回からでいいから、運動を始めた方がいいと言われたのだとか。 ほれ、言わんこっちゃない、私が何回も言ってたのに! と言いそうになる。まぁ言

        「母親」やめたら我が子が愛おしくなった話【我々、今日もひょうきん族。Vol.9】

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        • 我々、今日もひょうきん族。【子育てエッセイ】
          9本

        記事

          行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

          高校時代からの友人と食事したある日の夜。 友人は、仕事のことで、どうにも表現し難いほどに悩み、落ち込んでいた。 ただこれがもどかしいのだけど、彼女は自分の悩みを、人に言葉にして表現できない。それでも、彼女の様子から、激しく落ち込んでいる様子は見てとれた。 これまでの付き合いの中でこれほどまでに落ち込んでいる姿を見たことはなかったかも、と新しい友人の一面を見られた気がして少し嬉しくもあった。(悩んでいる友人にはとても失礼。) 焼き鳥屋さんのカウンターで、二人横並びになっ

          行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

          「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

          「六人の盲人と像」という話がある。 ある六人の盲人が、象の体の一部だけを触っただけで感想を言い合って、互いに象の正体について自分の主張を譲らないという話。 鼻だけを触って「象は蛇のようなものだ」と言ってみたり、しっぽだけに触れて「象は槍のようなものだ」と主張したり、という具合に。 盲人のそれぞれが触ったのは象の体の一部に過ぎない。 その一部だけで、あたかも物事や人物のすべてを理解した気になってしまうことはとても危うい。 まさしく「木を見て森を見ず」状態である。 ここ

          「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

          よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

          私がまだ小学生に上がったばかりの頃だったかしら。 今ではよっちゃんに、 目尻下がりっぱなしで、ばぁばへのテレビ電話にも必ず映り込んでくるじぃじ(私の父)なのだけれども、 20年ほど前はそれはそれは厳しかった。 4きょうだいの末っ子である私に、 父の怒りの矛先が向くことは少なかったのだけど、 お姉ちゃんや兄ちゃんには、それはまあ厳しかった。 ある日の夜、 もうみんなが寝ようと、 歯磨きしたりトイレに行ったりしている玄関ホールで事件は起こた。 思春期ど真ん中を走っている姉

          よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

          正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

          初めて聞いたときから、どうしても忘れられない言葉がある。 正しいことが、必ずしも「正解」であるとは限らない。 仕事をしているときも、ムスメと接しているときも、パートナーと話しているときも。 人によって、場面によって、「正しいこと」は移り変わるのかもしれない。 正しさだけを刀のように振りかざしていると、いずれ大事な人は離れていってしまうのかもしれない。 *************************************** 「やだぁ〜〜〜。よっちゃんこっちが

          正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

          よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

          チャイムが鳴る、朝7時50分。 当時小学4年生だった私は、小学校の玄関にある公衆電話の陰にひそりと隠れて、お母さんが教科書を持ってきてくれるのを待っていた。 (あ〜〜もうお母さん早くきてくれないかなぁ…) 自分が準備できていなかった教科書を、母に持ってきてほしいと公衆電話から家に電話をかけて頼んでいたのだ。 当時は、公衆電話はお迎えの連絡をする要件にしか使ってはならず、先生の許可も必要だった。だから、忘れ物を持ってきてほしいという私の都合のいい連絡に使うことは許されない

          よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

          お仕事のご依頼について〜ポートフォリオ

          初めまして。 現在、フリーランスのライターの仁科ひかりと申します。 この度は、私のポートフォリオをご覧いただき誠にありがとうございます。 私について少しでもご興味をお持ちいただき、ご依頼等の検討材料にしていただけますと幸いです。 ※お仕事のご依頼やご相談は、以下メールアドレスよりお気軽にご連絡ください。 eda19930905@gmail.com ■プロフィール・1993年生まれ | 一児のママ ・福岡の私立大学を卒業  保険営業:法人営業・個人営業  ブライダルコーデ

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