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「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

「六人の盲人と像」という話がある。

ある六人の盲人が、象の体の一部だけを触っただけで感想を言い合って、互いに象の正体について自分の主張を譲らないという話。

鼻だけを触って「象は蛇のようなものだ」と言ってみたり、しっぽだけに触れて「象は槍のようなものだ」と主張したり、という具合に。


盲人のそれぞれが触ったのは象の体の一部に過ぎない。

その一部だけで、あたかも物事や人物のすべてを理解した気になってしまうことはとても危うい。
まさしく「木を見て森を見ず」状態である。

ここから言えるのは、多面的な視点で物事や人物を捉える、つまり視野を広げることがとても大事だということ。



またある日、この話を想起させた出来事があった。

先日受講した、心理学のzoom講義中の
「人の短所を長所に言い換える」というワークでのできごと。

心理学の用語で「リフレーミング」と表現されるのだけど、
物事の枠組みを変え、違う視点から見ることを意味する言葉である。

講義の参加者の中に「飽きっぽい」性格を短所だと、目尻を下げながら困ったように話す人がいた。自分の短所について考えると、視野が狭くなって「飽きっぽい」という性格がどうしようもなく憎く感じられたりすると。

「仕事が長続きしないと悩んでいるのかな」とか「物事を極められない」と悩んでいるのかなあなんて余計なお節介を、気づいたら焼いていた。

その「飽きっぽい」性格を、参加者全員で長所に言い換えてみる。

すると、ものの20秒で「好奇心旺盛だ」とか「立ち直りが早い」とかいう長所になりかわってしまった。

自分の短所が長所に言い換えられると、
彼女はこれ以上ないほどに安心しきった様子で、
zoom画面からでも伝わってくる。
つい、こちらも口元がほころんでしまう。

次に、別の人のターンになる。
人の短所を言い換えるとなると、不思議と彼女からもどんどんポジティブワードが出てくる。
「物事を決められず、くよくよ悩んでしまう」という人がいれば、「先を見越して行動できる」とか「メリットデメリットをきちんと考えられる」と。
一部だけを切り取っても、その一部を表現する言葉は参加者の数だけあった。

そして、先ほど思い悩んでいた彼女の姿はどこにもない。

*

よっちゃんも2歳半になり、
言葉もだいぶ通じるし、会話もできるようになった。
そして保育園に通い出すと「順番こ」(おもちゃは順番に貸し借りする)だってあっという間にマスターした。

そんなある日。

よっちゃんを保育園に送っていくと、部屋の中を歩いてた別の子に胸の辺りを手で押されて、よっちゃんはちょっとよろけていた。
親である私は、「およよ」と思ったのだけれど、よっちゃんはケロッとした様子で部屋に入っていった。

仮に、押してきた子をしゅーちゃんと名付けるのだけど、

それを見ていた保育士さんが、よっちゃんに声をかけてくれた。

「あ、しゅーちゃんね、さっきトイレがうまくいかなくてちょっとイラッとしてたんだよ〜ごめんねよっちゃん〜」と、しばらくの間よっちゃんを抱きしめてくれていた。

その先生の姿が、とても愛おしかった。
園児のみんなのことを、みんなの心を守ってくれてるんだなあと感じて、心からありがとうの気持ちだった。

危うく私は、しゅーちゃんのその一面だけを見て、「気性が荒い子なのかしら」なんて決めつけてしまうところだった。
しゅーちゃんのお母さん、ごめんなさい。

クラスのみんなのことを、いろんな角度から見てくれて、その日々の積み重ねでその子を形成させてくれている。
お友達を叩いたことだけで、おもちゃを投げただけで、その子を決めつけるようなことはしない。

当たり前だけれども、親になったいま、難しかったりする時が、案外ある。

イラっとしていたのはしゅーちゃんの一部に過ぎなくて。
「気性が荒い」は、娘のことだけを見てしまっていた私の行き過ぎた解釈だった。

美味しいものを食べるとハイパー級の笑顔になるとか、
ミッキーを見るとつい踊り出してしまうとか、
そんな側面もあるはずだと思うのだ。

というか、よっちゃんも当たり前にいろんな側面がある。
親である私も、多分よっちゃんの全部は知らない、し、見えていない。

それを、切り取ったある一部だけを見て、
分かった気になって決めつけるのは本当に失礼なことで。
ただ、その一部ずつを全部合わせて、パズルみたいに組み合わせても
きっと「よっちゃん」は完成しない。

あくまで、一部の理解は「私の理解」で、
私の中にある価値観や感情でしか理解できないから。

そう考えたら、正しいも間違いもなくて。
表現した言葉や、切り取った部分が違うだけで、
それぞれが見ている「しゅーちゃん」や「よっちゃん」は同じであることに変わりはない。

正解も間違いもないのなら、
そんな気の遠くなる作業はやめて、型にはめることもやめて、
そして、自分の理解を相手に強要することもやめて。

お互いの理解でひっそりと心の中に留めておけばいいのかなあ、
なんて考えた朝なのだった。

子どもと一緒にいて考えさせられることはこんなに多いのか、
と、ちょっとにんまりしながら帰った朝でした。

それでも、まだ考え足りていない気がする。
まだまだ、これから。

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