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俳句鑑賞

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俳句鑑賞、テーマごとの選句をまとめました。
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記事一覧

俳句で知る「わたしの武蔵野」

 少し前の記事ですが、読売新聞の記事に、「武蔵野」という言葉について深掘りした記事がありました。

(参照)
・「武蔵野」はどこ?…範囲は様々、武蔵野市も「はっきり由来はわからない」 : 読売新聞

 武蔵野の醸し出す情緒は、作者によって異なる結果をもたらすというのが記事の結論でした。雑にまとめれば、「わたしの武蔵野」ということでしょう。それで話が終わってしまいますが、せっかくなので「わたしの武蔵

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俳枕の理解を深める:俳句の描く「不思議な街」渋谷

 渋谷という街は、僕にとっては、馴染みがないことはなく、しかし、あまり理解が深くはない街です。渋谷がどのような街なのか、インターネットで渋谷を詠んだ俳句をいくつか見つけましたので、例句を掲げて、鑑賞をしていきながら考えてみようという試みです。

 おそらくは、大正〜昭和前期の時代でしょうか。当時からすでにターミナル駅としての渋谷があり、賑やかさはあるけれども、まだ大量消費が進んでいないようで、のん

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俳句鑑賞:俳句に見る負けの美学

 ナイターの俳句は、ナイターが流行している昭和中後期の時代背景も手伝って、季語として認められたと言われています。中でも水原秋櫻子は句材としてナイターを好んでいて、秋櫻子の句がきっかけでナイターは季語として認められたと言われています。座右の歳時記をひっくり返すと、

 というナイターの照明の美しさを詠んだ句から、

 と、ナイターに熱狂する句もあります。
 もちろん、勝負事には勝ちもあれば負けもあり

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一句鑑賞

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中  久保田万太郎

 「人の中」という言葉が句の解釈を分けています。風が人体の中に入り込むか、群衆の中に秋風が入り込んだ様子か。作意は後者と思いますが、読者としての楽しみも残したいです。ひらがなは風の言語を翻訳したような読感です。

俳句鑑賞:はぐれもののひかり

 舞台芸術というのはあまり好きになれません。
 舞台芸術というのは、単に役者が芸を披露するだけでなく、表現を見た観客の反応を見ながら演者と観客の双方向のコミュニケーションで作り上げていく形式であるようです。なんなら判例にもなっているくらいです。
 「長短」ではないけど、あれもこれも処理していると、情報を処理するのに時間がかかって、反応に遅れること山の如し、うっかり観客席に座った日には、セコい客だっ

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髪洗うまでの優柔不断かな 宇多喜代子

季語「髪洗う」の扱いが繊細な現代です。「髪洗う」のイメージが主観的で内省的、そして色っぽい光景を想像させる掲句は、季語のイメージを削いでも、受身の人間関係の辛さが残ります。「受身」の人生は選択肢の世界で、そこに迷う辛さは現代に続いています。

恋猫の恋する猫で押し通す 永田耕衣

季語「猫の恋」の例に多い句です。意味より先に恋猫の勢いを感じます。そして、意味を読んだとき、二重の意味で恋猫の情熱を知るのです。そして、俯瞰で恋猫を描くことで、押し通す側と押し通される側と視点が違っても、それぞれの視点で共感できます。

駅蕎麦の湯気やはらかき雪眼かな  細川加賀

 雪しまく中、乗換待ちで入った駅蕎麦で、蕎麦の湯気を味わい、眼から温まる。旅の途中でしょうか。気取った感じがないのが良いです。この駅蕎麦に何を乗せるかだけでも語り合えるのではないかと思います。

サッカーの子より女教師息切らす  樋笠文

 『日本大歳時記』(講談社)の「サッカー(冬・生活)」の例句より。体育の授業で走り回る子どもと、審判として走っている教師を想像します。息切れの感覚、サッカーで走り回る感覚は、冬に研ぎ澄まされる感覚です。

俳句の「ゆゆし」〜命と死〜

 死を悼む言葉として、古代からある言葉に「ゆゆし」という言葉があります。初出とされているのは『万葉集』の巻二、新編国歌大観番号199番の挽歌です。最初は死者に対して憚りを含んだ敬意を示す言葉であったのですが、時代が降るにつれて意味が増えていきます。遠慮の気持ちは、「恥づ」のようにネガティブな意味の方向、すなわち不浄へと変化し、程度が「甚だしい」ものになります。さらに時代が降ると、この世のものとは思

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俳句鑑賞:デパートの夢

 この間、デパートに行ってきました。デパートの売場は、食品部門を除けば、今や人の少ない場所で、売り場によっては従業員の方が多い有様です。そんなデパートですが、ある一定の年齢層以上の人にとっては特別なもので、戦後社会を象徴する夢のような空間であったように思います。

有名な句の鑑賞による年代記

 デパートは俳句でも詠まれていて、

 という句がデパート俳句の始まりだったのではないでしょうか。『増殖

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俳句鑑賞〜昭和の電話事情を考える〜

 ここ30年で、使い方が劇的に変化したのは電話であると思います。音声を伝える電話は、ビデオ通話やグループ通話が安価にできるようになり、文書データをやり取りするのはファックスからメール、チャットなど、自動車電話から始まった携帯電話に、パソコン通信からインターネット……。端末も家に据え付けてある電話機から、コードレスフォン、携帯電話、スマートフォン、パソコン、タブレットと、大きく変化しています。街の中

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