俳句鑑賞〜昭和の電話事情を考える〜

 ここ30年で、使い方が劇的に変化したのは電話であると思います。音声を伝える電話は、ビデオ通話やグループ通話が安価にできるようになり、文書データをやり取りするのはファックスからメール、チャットなど、自動車電話から始まった携帯電話に、パソコン通信からインターネット……。端末も家に据え付けてある電話機から、コードレスフォン、携帯電話、スマートフォン、パソコン、タブレットと、大きく変化しています。街の中から公衆電話は姿を消し、端末を出さずに無線イヤホンで通話する人も増えています。電話加入権なんていっていたのは今は昔です。
 目まぐるしく変化してきた電話事情ですが、今回は、電話を詠んだ俳句を読みながら、昔の電話の事情について考えていきたいと思います。

  幼児語の電話了はりて汗滂沱 植木里水

 大人に憧れる子どもが、電話機のおもちゃを使って大人の真似をしているようです。電話ごっこにも熱が入っていたのでしょう。体が常に熱い子どもは、電話を終えると汗をかいています。熱演の後のようです。今でも、携帯電話のハリボテ(店頭サンプル)を小さな子どもに渡すと喜ばれるから、電話をかける大人の姿を真似する子どもは、今も変わらず存在していて、掲句はまだ時代の作品になった感じはしません。

  子の電話待ちつゝ母の日の暮るゝ 吉本信子

 掲句も、今も見られる光景ですね。母の日だけれども、遠くに暮らす子から電話が掛かってこない。もしかしたら掛かってこないかもしれないけど、掛かってきたときに電話に出られなかったら、子に叱られそうだから、掛かってこないと決めることもできない。母親に長く小さな緊張感が漂っています。

  待つてゐし初電話今ひびき鳴る 今井千鶴子

 「初電話」の句がいくつかあります。初電話の習慣を意識づけていないので想像になるのですが、新年を迎えて気分一新で年初の挨拶をするという習慣で、簡略的な新年のごあいさつとして今でも行なっている人はいるように思います。今は、SNSのスタンプで済ましてしまうこともあるので、義理で話さなければならない人もいる中で、電話を待ち続けていることは、それだけ大事な相手からの電話だったのでしょう。安堵と興奮が入り混じった句です。

  初電話鳴りをり吉か凶か知らず 村山古郷

 電話が掛かってきた相手が、話したい人か話したくない人かとも取れるし、電話の内容が吉事を含むか凶事を含むかとも取れます。電話に出てみないと終話時の気分はわからないということで、電話に出ることもおみくじのような気分であるという風に読みました。新年詠に「凶」を読み込むのがすごいと思いました。

  交通の事故の電話や肌寒し 田所一滴

 電話は待ち遠しいばかりではなく、ときに辛い報せを届けることもあります。季語の寒さが、冴えるとか凍つるほど強くはないから、一命は取り留めた事故だったのでしょうけれども、後のことを考えたら、恐ろしい気持ちになるでしょうね。

  初電話簡潔にして父の情 近藤昌平

 最近は、背中で語るタイプの父親もそう多くはないのでしょうけれども、寡黙な父親が電話口で言葉少なに出す言葉に、なんとなく情が感じられるという観察の句です。物静かな父親は、静かにやさしく物事をよく見ているという印象です。

まとめ

 例句の探し方によっては、他にも面白い句があったのですが、今回はこの選句で電話事情を読んでいきました。
 電話を詠んだ俳句を読んでみると、意外に昭和の頃の電話文化は歴史になった感じはしませんでした。「たばこ屋の前の公衆電話に10円を積んで、長電話をした」みたいなベタに硬派な俳句は例句に集まってきていませんが、電話する情に大きな変化はなく、会話の楽しさが全くわからないということもないと思います。技術的には、昭和と違って現代は、嫌な相手との電話に出なくて良くなってきていて、話す相手を選ぶことを技術が後押ししてくれている気がします。

(例句参照)
大型俳句/俳句関連文書検索エンジン
http://taka.no.coocan.jp/a1/cgi-bin/haikukensaku.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?