髙木 大吾

編集者・ライター|Design Studio PASTEL Inc.代表、SRHR J…

髙木 大吾

編集者・ライター|Design Studio PASTEL Inc.代表、SRHR Japan理事、海と空ユースクリニック、YOTSUBASHI BOOK CIRCLE、anoesis|古書蒐集|西村賢太、福永武彦、野呂邦暢、木山捷平、永瀬清子、鷺沢萌、多和田葉子、川上未映子

最近の記事

インタビューの具合

私は自己管理と呼ばれるものが、てんでできない。小さい頃から慢性の不眠だし、決してショートスリーパーではないから、常に調子は良くない。とはいえ、仕事柄、毎日誰かと会って、話を聞く。きちんと記事に仕上げるインタビューもあれば、事情や状況を詳しく聞く仕事もある。 そんなときに、自分はどんなコンディションでいたらよいのだろうか。私は朝の早い予定に合わせようとすると、たいていはよく眠れないまま朝を迎える。そして、またうまくやれなかった、十分に休めなかったと舌打ちをするところから一日が

    • あっというまに

      ※クセ強すぎたから改題(2023/11/22) 気まぐれに事務所に行ってみることにして、帰り道に空を見上げると、緑の光条が浮かんでいて、何事かと思った。こう、科学的に解釈できないものを目にすると、いつか来るかもしれない、日常のがらりとした変化、それこそ緊急事態宣言で暮らしがあっという間に変わったように、いざというときが今なのかななんて思ってしまう。 久々にかわぐちかいじさんの漫画がおもしろくて、『空母いぶき』を読んだ。これもまた同じ。いざというときは、あっという間に、それ

      • 西村賢太の初盆墓参の記

        厄年などいい加減なもので、そんなものは関係なく、かつてない絶望はいとも簡単に、そして不意に襲ってくる。それが2022年だった。去年の2月5日、西村賢太が死んだ。これは凡庸な追悼である。 一人の作家が死んだくらいで大仰だと思う人もいるかもしれないが、作品は読者の血肉になる。西村賢太は、私の体を流れる血であった。運命という圧倒的な暴力でこの身を裂かれてしまった。 同時代に生きたことがもつ意味は少なくない。死んでしまうと、一度でも直接会っていればなんて頭をよぎるが、作家に会うこ

        • 語り手のすりかえと当事者性。取材と編集を考える。

          語りを聞くこと最近、取材のしかたを大きく変えた。眼前に広がっている仕事には、さまざまな声が散らばっている。高齢者福祉関係者、障がい福祉の当事者や家族、支援者、災害被災者、マイノリティ支援者、セカンドキャリアに踏み出す女性、あるいは企業人。Macのディスプレイに映っているテキストは、すべて誰かのナラティブで、それを毎日読んで、整えている。そして、それらの多くは、他でもない自分自身が企画したことで聞きに行っていることになる。 これまでは、半構造化面接に近いかたちで進めることが多

        インタビューの具合

          中央大学に入ってみた [vol.00]

          2020年10月から中央大学法学部の通信教育課程に入学しました。親しい人に話すと、なんで今?とか、なんで法学部?と聞かれます。せっかくなので、vol.00として書いておきたいと思います。 なんでvol.00かというと、定期的に記録を残しておくと、在学生の役に立つように思ったからです。はじまって約半年とちょっと。このシステムはかなり厄介だと気づいたので、少しずつ書き残しておきたいと思います。 ①大学院に行きたい大学院へのパスポートがほしいのです。最終学歴が海外短大卒というの

          中央大学に入ってみた [vol.00]

          ソユーズロケットのカードのはなし

          すっかり算数嫌いになる前、将来の夢はと聞かれると、たいてい「宇宙物理学者です」とドヤ顔で言っていた時期があった。7歳の作文集に「バイオテクノロジーの科学者になって、青いバラをつくって、ノーベル賞をとりたい」と書いた少し後のこと。 小学館のひみつシリーズで育まれた科学への漠然とした興味は、少しずつ宇宙にピントがあってきて、宇宙に関する本やニュートンを買うようになった。背伸びしてブルーバックスなんかを買ってみて、かじりついたり。個別の天体よりも、宇宙の存在や仕組みそのものを解き

          ソユーズロケットのカードのはなし

          おとなになってもこわいもの

          こわいものってありますか? おばけ、宇宙人。それとも、自然災害とか、病気とか、死ぬこととか。苦手なものじゃなくって、こわいもの。 なんだかいわゆる霊感とかにまったくうとくって、ついぞ幽霊のたぐいは見たこともなく。映画『学校の怪談』の撮影場所になったくらいに割と気味の悪い小学校に通っていたのに。 小さいころから今もなおずっとこわいのは、宇宙人。5つか6つのときは、おうちでトイレに行くときも、リビングから駆け足。廊下で待ち伏せているかもしれない宇宙人に隙を見せません。用を足

          おとなになってもこわいもの

          2020年11月にぼんやりと考えていること。雑記。

          書くことがあるようでない最近。今、関心のあることや考えていることを雑多に放出してみます。なにか答えをもっている人はぜひ教えてください。 雑①編集の職域編集者と言ってもさまざま。最近では地域の編集やプロジェクトの編集といった広義化が散見される。他ならぬ自分自身も編集者を名乗りながら、いわゆる編集以外に、コンセプト立案や言語化までもを編集と呼んでいる。職域の定義が難しい。職能といっても、チームによって役割も立ち居振る舞いも大きく変わるので、そのとらえどころのなさに、自身もあるい

          2020年11月にぼんやりと考えていること。雑記。

          サブスクリプションにいくらかかっているか見直してみた【編集、デザイン、企画の1人会社編】

          こんにちは。最近のnoteはお仕事から離れた話題が多かったので、今回はぐいと卑近なことを。と言いながら、仕事の話でなくて、その周縁の話。(しょうもない話です!) さて、ここ1〜2年くらいで仕事におけるサブスク依存がどんどん進んでいて、ちょっと改めて見直さないと、これが噂のサブスク貧乏では……と。てことで、言い訳つきで見直してみます。 お仕事で必須なサブスクDropbox:15,840円/年 BusinessからPlusにプラン変更したばかり。スマートシンクが神すぎて、もは

          サブスクリプションにいくらかかっているか見直してみた【編集、デザイン、企画の1人会社編】

          インポッシブル・バーガーの話。ワクワクする未来の終わり。

          ところどころで耳にするインポッシブル・バーガー。食べたことのある人っていますか? なんでもいわゆる「代用肉」を使ったハンバーガーのこと。雑誌の巻頭の鼎談で、社会学者の福永真弓さんが話題にされていて知りました。 肉汁といいなんといい、肉です。しかし成分は肉ではない。人間が肉らしさを感じるのはヘムという鉄とポルフィリンの錯体からだそうで、植物性タンパク質を分解するときにヘムを生み出すよう遺伝子操作した酵母で大豆を発酵させて作る。このようにかつて七〇年代に恐ろしいと、あるいは夢

          インポッシブル・バーガーの話。ワクワクする未来の終わり。

          学校に行くべきか。

          学校にてんで行かなかった経歴を知っている人から、自分の子どもが学校に足が向かないのだけれど、と聞かれることが頻繁にあります。 前職では、自身が青春期に慕った恩師のもとで、いわば後輩というべき不登校生を主に対象とした学校外教育に携わっていました。恩師の教育思想や自分に与えた影響を遠景にみることができるようになった一方、現場から離れたこの10年の間の社会環境の変化の大きさに圧倒されて、不登校の相談にはとても答えづらくなりました。 そもそも不登校という現象そのものは別のなにかが

          学校に行くべきか。

          日ごろから気を配れる「用字」のこと。

          どんなときにどんな漢字を使うか、自分のなかで決まりごとを持っている人がたくさんいます。たとえば、メールの宛名を「◯◯さま」とするか、「◯◯様」とするか。あるいは「お疲れ様です」と「お疲れさまです」。身近にもいろいろな例がありますが、こだわりの漢字の使い方があれば、ぜひ教えてください。 3種類の表記体系を使い分けること漢字を使うか、ひらがなを使うかで、字づら(見た目)が与える印象が異なるのは日本語の特徴です。 「お疲れさまです」という言葉を例に考えてみると、「様」を使うより

          日ごろから気を配れる「用字」のこと。

          お便りのはなし

          昨日、とある仕事で「お客様の声」をどう表現するか考えていた。結果、「お便り」と提案することに。それが良かったかどうかはさておき、便りって良い言葉だなあと。 日々、連絡を取りたい人にすぐに連絡を取れる便利さを享受している。この便利という言葉に、便りの「便」が入っているのだけれど、人の消息をすぐに知れるし、たいていの幼馴染も消息をたどれる。文字通り、利器に便って、便りを求められるというわけ。 便りって、会わないから、便り。その知らせに消息を便る。あの人はどうしているのだろう、

          お便りのはなし

          作家の痕跡と想像力。想像に共感はいらない。

          昨年のクリスマスだっただろうか。ある古書店主の粋な計らいで、好きな作家の原稿を手に取る機会があった。肉筆の力を感じた。その作家がたしかに生きていた痕跡であり、内面世界の作家像と、リアルな作家の生あるいは死が交差する瞬間である。 僕が今の仕事でなんとか食べていけるようになったのは、26だった。開業して2年ほど経って、安家賃と生活費のわずかな余りを貯金しはじめていた。はじめて古本で奮発をしたのは、その頃のことで、福永武彦の署名本だった。神保町の八木書店で見つけた『夢百首 雑百首

          作家の痕跡と想像力。想像に共感はいらない。

          7時間の話を聞くのが平気だったころ

          20代前半に訓練されたことが今に生きている。あまり人に話すことがないので、たまには少しだけ。 10代後半から、とある教育者に師事していた。賛否両論あれど、彼の教育の真骨頂と言うべきは、週に一度の「セミナー」だった。13時から19時か20時ごろまで。その間、休憩は一回のみ。父兄を含めて200人ほどが座りっぱなしで、彼の話を聞く。もちろん学生や父兄も発言することができるが、それなりに緊張感があり、理解が浅いことを言うと集団で責められるという、いくぶん過激な教育空間である。その話

          7時間の話を聞くのが平気だったころ

          ファンシーなアイスクリームを買いにきたオブセッシブなヘイトおじさんのこと

          東京駅で新幹線を待っていると、列の後ろのおじさんに「ここは指定席かな」と話しかけられたので、「そうですね」と答えると、「そうだよねえ」と親しげに仰る。「大阪までですか?」「いいや、静岡なんだけれど、ちょっと別の号車を探してくるよ、ありがとう」と柔和な話しぶりで、ゆっくりと去っていかれた。カーキのジャンパーに茶色のキャリーケースの後ろ姿。一期一会のその背中がなんとも愛らしかった。 そんな風に一言二言で素敵なコミュニケーションが生まれることもあれば、面倒なこともある。金曜に門前

          ファンシーなアイスクリームを買いにきたオブセッシブなヘイトおじさんのこと