見出し画像

ソユーズロケットのカードのはなし

すっかり算数嫌いになる前、将来の夢はと聞かれると、たいてい「宇宙物理学者です」とドヤ顔で言っていた時期があった。7歳の作文集に「バイオテクノロジーの科学者になって、青いバラをつくって、ノーベル賞をとりたい」と書いた少し後のこと。

小学館のひみつシリーズで育まれた科学への漠然とした興味は、少しずつ宇宙にピントがあってきて、宇宙に関する本やニュートンを買うようになった。背伸びしてブルーバックスなんかを買ってみて、かじりついたり。個別の天体よりも、宇宙の存在や仕組みそのものを解き明かそうとしている人たちがいることを知って、宇宙物理学に憧れた。

中学受験の準備を始めたころには、とある進学塾の算数のクラスが嫌で(だって、後ろの席の子に話しかけたら、幼稚園で微積を終えたなんて真顔で言うんだもの)、科学なんか大嫌いになってしまったのだけれど、少なくともそれまでの数年間は首ったけだった。

脇道にそれたけれど、とあるきっかけから、宇宙物理学への憧れは、宇宙開発に関わりたいという気持ちに変わっていった。まず、当時は日本初の宇宙飛行士として毛利衛さんが注目を浴びていて、ちょっとした宇宙ブームだった。日本人もスペースシャトルに乗れるとなって、毛利さんの姿は宇宙ファンの子どもの目に輝かしかった。

ある科学イベントに参加したおり、毛利さんが食事をしている個室に、「行儀の良いキッズファンの健気な一大決心による突撃」は許されると計算のうえ、ノックして「YAC(日本宇宙少年団)の団員です! 入ってもいいでしょうかー!?」とハキハキ風であがりこんでしまったことがあった。(大人たちは気づいていなかったが、イベント参加者で賑わうレストランにもかかわらず、毛利さんがスタッフに囲まれて、そっと奥の部屋に入っていくのを見逃さなかった。)なお、やさしい毛利さんには、お話をしていただいたうえにサインまでくださるというご対応をいただいた。図々しさとあざとさに反吐が出そうなのは置いておいて、今思い出すだけでも背筋が縮む。無論、以来、いやそれ以前から毛利さんが大好きだ。NASAよりもNASDAがかっこよくて、まぶしかった。

もうひとつのきっかけは、ほんのささいなこと、というか、モノだった。友人の誘いもあって、当時、前述の毛利さん率いる日本宇宙少年団という宇宙科学版ボーイ/ガールスカウトのような組織に入団していたのだけれど、しばらくして、友人が持っていたラミネートされた名刺サイズのカードに強烈な衝撃を受けた。なにやら宇宙少年団でもらったのだという。

解像度の悪いソユーズロケットの打ち上げシーンがプリントされたアートポスト紙と一緒に、10mm角の銀色の薄い金属片が少し雑にラミネートされていた。他でもない本物のソユーズの破片だった。

遠くぼんやり見上げていた夜空は、人類の手の届く空間なのだと急に実感が湧いた。そのカード欲しさに熱心に日本宇宙少年団のイベントに参加して入手したのだけれど、宝物として今も保管している。

博物館や科学館で観るのではなくて、今、手のひらのなかに宇宙へ飛び立ったソユーズの一部がある。他人事じゃなくなったような気がして、なんだか心が奮い立った。

結局は、さきに書いたとおり、科学っ子はさっさと科学への興味を失って、文学っ子に転向することになるのだけれど、夢物語と現実をつなぐのは、遠い国のだれかが手作業でつくってくれた1枚のカードかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?