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7時間の話を聞くのが平気だったころ

20代前半に訓練されたことが今に生きている。あまり人に話すことがないので、たまには少しだけ。

10代後半から、とある教育者に師事していた。賛否両論あれど、彼の教育の真骨頂と言うべきは、週に一度の「セミナー」だった。13時から19時か20時ごろまで。その間、休憩は一回のみ。父兄を含めて200人ほどが座りっぱなしで、彼の話を聞く。もちろん学生や父兄も発言することができるが、それなりに緊張感があり、理解が浅いことを言うと集団で責められるという、いくぶん過激な教育空間である。その話は別の機会に。

そんなに長時間、何を話すのかといえば、彼の経験談、社会の話、政治の話、お金の話、心の話、哲学に文学に、はては陰謀論まで。自由闊達、縦横無尽。本当に話術に長けていた。師弟関係による強制性とは関係なく、少なくとも僕は師の話を好んで聞いていた。

さて、そのセミナーには司会がいる。生徒と師のつなぎ役である。ときに少しだけ言葉を足すこともある。いわゆる単純な進行でもないし、ファシリテーションでもないし、「まわし」でもない。

会にはさまざまな変数がある。世の中で話題になっていること、師が今読んでいる書籍、注目している人物やその思想、100人近い生徒それぞれの状況や性格、思考の傾向、家族構成、家族がその日に参加しているかどうか、今抱えている問題など、これらが環境変数的なもの。事前に師からこんな話をすると電話があることもある。(電話の声は低くて聞き取りづらく、聞き返しづらいこともあり、聞き取れなかったときは泣きそうだった。)

ちなみに、師が会場に到着したときの雰囲気や声のトーンにもアンテナを張る。だから、師の車が到着するときには遅れずに、その日の挨拶をするのだが、それは挨拶が目的ではなく、師の顔を見たいからであった。

次に、師周辺の動的な変数。師が何を気にしているのか。何を見ているのか。何を求めているのか。どうもっていこうとしているのか。ときに、対集団に見えて、非常に個別的にメッセージを投げていることなどもある。メタメッセージをくみとること。

そして、場や生徒の動的な変数。会の流れ、話題の流れ、雰囲気、生徒の表情や反応、集中力、発言内容や声の大きさ、落ち着きのなさなどに目を配る。

楽しい会なのか、引き締まる会なのか、疑問を残す会なのか、毎週着地点は違う。それは師の思惑だけでなく、さまざまなことが反応してそのようになる。

そんなわけで、師のセミナーの司会は何もしていないようで、実は難しい。

20年以上司会をしていた彼の右腕にあたる大先輩が異動するというので、入社数ヶ月、21だったか22だったかの僕がなぜかその役を負うことになった。どう考えても力不足なのである。そして、この尊敬すべき大先輩は、あえて僕に一切の助言をしなかった。

そこから退職するまで、約3年、司会をした。たくさんの失敗もしたのだけれど、自分にできることを工夫して試みた。まずは学生が主体的に関われるように、毎週何かの発表を学生にさせた。なるべく彼らが自主的に企画ができる土壌ができるように工夫をした。

もうひとつの工夫は、「セミナー語録」なるニュースレターのようなものをつくることだった。「ベテランの某先生が昔やろうとしてもできなかったから、あなたには到底できないと思うけれど」と少し意地悪な言い方で、アイデアの種をくれたのは組織のナンバー2にあたる直截の上司だった。

自分にできるかどうかは棚上げして、生徒の復習とセミナーに参加できないその他の部署の職員や生徒に情報共有することを目指して挑戦することにした。根本的なマインドとしては、自分にまともな司会などできるはずもないが、師に最も近い場所で話を聴くからには、一聴き手としてできることから取り組んでみようと思ったのである。仕事を放り出して退職するまではただの一度も欠かさずに続けた。

A4一枚、4〜5トピックに絞り、1000文字以内くらいを目安に、師の喋った内容のエッセンスを抜き出して、その日のうちにまとめる。ノートテイキングなんてほとんど関係なくて、頭にあったものを書き出していく。ときに翌日になることもあったが、翌日の昼を目指して、件の上司の机に置いておく。師はすぐに興味や関心が移り変わっていくし、刻々と考えが変わるから、情報は鮮度と思っていた。上司が昼過ぎに出勤して、真っ先に赤を入れてくれる。日を追うに連れ、少しずつ赤は少なくなっていったが、半年くらいはひどく真っ赤になって返ってきた。毎週、上司はチェックの手を抜かない。滅多なことでは褒めてもらうことはなかったけれど、褒め言葉の代わりに一発OKなどがあると嬉しかった。OKをもらうと、せっせとメールとFAXを全部署に流す。

今、手元にあるものを見返してもみれば、びっくりするほど、下手くそなレイアウトだし、文字がぎっしりしていて読みづらいけれど、それなりに分かりやすく書けている。誰かの役に立っていたのかどうかは分からない。

ただ、その3年間、上司に徹底的に編集訓練を受けたことは、自分の今の仕事に少なからず影響を与えている。

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